カテゴリー「舞台」の記事

今年を振り返って。

先日の『国盗人』再演東京公演をもって、ワタクシの今年の観劇予定は全て終了致しました。昨年末に「今年の舞台 MYベストテン」みたいな記事を書きましたが、昨年こっきりで終わらすのもナンですので(笑)…今年もやってみようと思います。じゃあ来年もやるのかと言えばさァどうでしょう(笑)。

  1. 第9回 雙ノ会 『川上』 女:野村萬斎 (セレブでもない、わわしいのでもない、ただ自分の夫を愛するだけの、普通の当たり前の妻がいました。だからこそ感動です。)
  2. 鎌倉能舞台40周年記念特別公演 乱能 (病み上がりの身体があっという間に回復した魔法のエンタメ企画。6時間をこんなに短く感じるとは。)
  3. 第12回 金春流 座・SQUARE公演 ~運命(さだめ)~ (能の若手の意欲溢れる舞台。心より「頑張れ!」とエールを送ります。)
  4. 万作を観る会 袴狂言『釣狐』 白蔵主:野村万作 (遂に"伝説"を生で観た!親子共演の火花も凄かった。) 
  5. 万作・狂言十八選 第十回 『法螺侍』 (遂に観た!part2・笑。ここからシェイクスピアとの格闘が始まりました。)
  6. 狂言劇場 その六 Bプログラム 『博奕十王』 (サイコロ・トリックは何度観ても面白い。)
  7. 狂言ござる乃座 42nd 『附子』 (まるでいたずらっ子のような万作家じーちゃんズのスラップスティックに爆笑。)
  8. 狂言ござる乃座 42nd 『蝸牛』 (万作家ジャニーズ隊本格始動。アイドル性バッチリ・笑。)
  9. 万作を観る会 『止動方角』 (『釣狐』の緊張感からぶっ飛んで大笑い。)

  ※番外 『国盗人』再演

「『雙ノ会』の感想なんてあったっけ?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが…大人の事情(げふんげふん)にて今回は割愛させていただいております(汗)。しかしこの記事書くにあたって真っ先に思い浮かべたのがこの『川上』。これをNo.1に書きたいが為にこの記事にしているような(笑)。理由は↑の通り。女役がいまひとつしっくりこないイメージだった若旦那の、まさかの(失礼っ!)大変革でした。「普通の奥さんでした」という印象の素晴らしさ。「『川上』をどう見るか」という既成の枠がひとつ吹っ飛んだ思いがしました。

さて『国盗人』が番外になってますが…これだけカテゴリーが違うとか言う問題では無く、自分の中での評価にかなり苦しみましたのでここに逃げる(苦笑)。観に行く日の朝はドキドキして食事がのどを通らないなんて状態まで体験しましたもので、この世の楽しみを与えてもらったという点ではぶっちぎりの筆頭になります。しかしこの再演、感想にも書きましたように"大手術後の予後"が今一つ芳しくない。非常にスッキリしてスピーディーになり、いくつかの新演出もばっちり決まってはいましたが、全体的な芝居の生命感は落ちているように思います。もちろんこれで終わりにするのではなく、海外公演も視野に入れた上での体力快復とさらなるパワーアップを望みます、ということで敢えてランクインはさせませんでした。でもやはり自分にとって大好きで大好きでしょうがないお芝居です。それだけは繰り返しておきます(笑)。

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『国盗人』あれこれ。

某所(笑)に吐き散らしたモノを転載。順不同。言葉遣い・言葉選びは極力修正しますが粗相があったらすみません…というか粗相だらけなので申し訳ございませんがご承知の上で。

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もし初演時と同じく今井理智門が参加していたなら?

再演はどう変えるつもりだったのか?

それとも変えないつもりだったのか(笑)?
(まぁさすがにまったく何も変えないってことはないだろうけど)



さっきまであれこれ考えてたんだけど梅チューハイ飲んだら全部吹っ飛んだ(爆)。

スポーツに「たら」「れば」は禁句だけど、
お芝居にはアリじゃないかなぁ(笑)。


※…と酔っぱらいながら他人様の日記を覗いていたら…
来年年明け早々に『国盗人』をNHK-BS「ミッドナイトステージ館」でオンエアするらしい…と言っても新生さぶちゃんではなく2007年版ではないか。消臭プラグ殿様のお名前があったので。「らしい」としたのはソースがハッキリしないので(苦笑)。

※今一つ良く分からない「王妃弟」のぶっこみ。「あーこれリヴァース伯だなー」と思いながら舞台見てました。"対立関係"なら王妃と言い争いさせた初演時の方が分かりやすかったんだけどね。森川久美さんの『天(そら)の戴冠』に出て来るリヴァース伯の方がインパクト強かったなぁ(笑)。あ、このマンガのさぶちゃんは善玉設定なんですけどね~。

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今井理智門は、登場した瞬間「やべェさぶちゃん!コイツには勝てねぇぞやめとけー!」と叫びたくなるようなオーラ持ってたよね(笑)。

「こいつ…戦(ケンカ)がうめぇ…」(←『ベルセルク』より・笑)

最初の一声でどっちが"敵役"だか分かんなくなるんだよなぁ。見方によっちゃあ今井理智門の方が悪そうだったり(大笑)。

リッチモンド伯ヘンリー・チューダー。
エドワード・プランタジネット(一郎ね)がテュークスベリーの戦いで勝利してランカスター(赤薔薇一族)を追っ払った時、ランカスター側だったヘンリーはフランスはブルゴーニュへ逃げて時を待っていた。

(↑物凄くあやふやな記憶…間違ってたら後で直す・苦笑)

ま、充分に家康的要素は持ってると思う。今井理智門には「満を持してやってきた」確固たる自信を感じる。
対して若松理智門は、何というか天草四郎?みたいなんだよね(爆)。悪三郎に反旗を翻す連中にわーーーっと持ち上げられて正義感だけで立っちゃった、みたいな。

どっちが良いとか悪いとかまでは思わないけど、どーしたって今井理智門に今の段階では分があるように思えるけどね。このあたりも修正プランに入ってくるかも知れない。
若松さん自体は悪くないと思う。立ち姿なんか凛としてるし。嫌いじゃないけど…あのままでは手負いのさぶちゃんにも勝てません(苦笑)。

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大森左大臣は、明らかにネタを"外して"たとこがあったよなぁ。「スベッた」ということじゃなくてネタにしないで普通に流してたということ。

ツッキー太郎冠者とのカラミで自分がめっちゃ好きなギャグがあったんだけど、9日はマチネでもソワレでもスルーされて悲しかったの…。
11日ソワレではちょっと遠慮がちだったけどやってくれてました♪
さすがの大森さんも"大手術"の予後で試行錯誤中なんだろか。

『ハムレット』の道化役から何かと縁のある大森さん。芸術監督ファンの中にも大森ワールド期待してる人は多いだろうから、ここんとこは踏ん張って(笑)やらかしちゃって下さいませ~。


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あの展開のスピード感。

ラストの真っ白な闇。

この二つだけであと10回観に行けても足らないくらい。

10回分のチケット代がかかってもお釣りがくる気分。

いい加減ぐちゃぐちゃ書くのも馬鹿馬鹿しくなった。

蜜柑が好きな人が林檎を好きな人を説得しようとしても無駄なのと同じ。

楽しんでしまったものを「楽しくなかった」とウソは吐けない。

一応今まで書いたものももちろんウソではないことを明言しておいて。

これが自分の『国盗人』再演感想の全てです。

(注:ちょっといい加減キレた時のモノ言いなのでご容赦を。感想はまだまだ続けるつもりです・苦笑)

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(注:更にかなり問題あるモノ言いなので一部削除&反転させます・汗)

言ってみよう(笑)。

さぶちゃんオンステージ、再演で削られてホントに良かった(爆)。
あの初演時のいたたまれなさは拷問。
誰も立ちあがらない、誰も歌わない。手拍子さえ無し。
そんなつまらん思いするならいっそやめてしまえ。
んあ?それも全部役者の責任?ホントにそうですか?
お上品に観賞しようとしてたんだろ自分も含めて。最低。
今読んでみると酷いもんだね当時の自分の感想。
「もっと狂え」って役者に対して…
はっはっはこれこそゴーマンの極致。責任転嫁。
腕組んで観てたってライブは始まらん。
アドレナリン放出して立ち上がるべきだったね。

どうせならやらなきゃ損損。やったもん勝ち。
立たなかったのは後悔の二文字のみ。

だからね、再演でココを削られると知った時、
「あー…役者側に見限られたねー」とも思っちゃったよ正直(爆)。
「乗らないならやめましょ」って。
そういう考えはプロとしてイカン、というのも分かるけどね。
「客を乗せられない役者が悪い」って正論なんだろうけどね。
でも自分はそれだけには思えなかったんだよね。
もし初演で完全にライブになってたら、客が自主的に思いっきり乗ってたら、
きっと残ったよこのネタ。自分はそう思ってる。



あー言えたスッキリ。

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母屋のTOPが怖い…
「殺」の字って最近のネット常識では伏せないといけないの???
わからんちんですみません(でも今んとこクレームは無い・笑)。

サクッといこうねサクッと。
とにかく前半はスピードと展開が命。
一郎の死なんてそれこそ「チーン」で終わりだから(笑)。
確かにV12エンジンの馬力は無いけど、V8の小回りはそれで魅力。
あんまりスピードスピード言うと鴎の舞台を思い出して苦しみますが(苦笑)。

そういう意味も込めてのTOPだったりします。一応(笑)。

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今井理智門離脱は本当にとんでもないアクシデントだったんじゃないかと。
もちろん急病とかじゃなく、向こうのスケジュールと照らし合わせての「前もって重々承知」の事態であったのだけど。
ただ「今井さんが今回は参加されないので…」という記述がパンフにも戯曲本にも「わざわざ」書いてあったのが最初から物凄く気になってた。
なんだか観客へのエクスキューズのようにも思えるし…一時はもしかしたら芝居に対する見解の相違とかあったのかと邪推まで(爆)。
しかし理智門と善二郎は代役をたてたけど本格的に任せたのは削りようのない理智門だけで、善二郎は影がぐんと薄くなり、右大臣に至ってはさっくりと削除(爆)。実際問題としてこれは発展的刷新では無くやはり応急処置的に見えてしまうのですが…。
ちょっと希望的予測で言えば「席空けて復帰をお待ちしてます」とか(笑)。

今思えば、今井さんの絡んでいたシーンってオカルティックというか、悪三郎の計画の外にある超常的な力(それこそ政子の呪い?)が垣間見られるものだったよなぁ、と。牢獄での海に沈められる悪夢(善二郎)とか、左大臣が罠に陥れられるのを象徴的に予知している夢とか(右大臣)。悪三郎の痛快な殺戮ショーの裏に、うすぼんやりとしてなんともつかみどころのない、不気味な空間の穴があいているようなシーン。そこを司っていたのも今井さんだった。これも一つの舞台の奥行きだったんだろう。それに確かに、温厚でクレバーなイメージの右大臣が居ないと大森左大臣のはっちゃけが対比的に見せられない。特に"イノシシの予知夢"シーンはその最たるものだったから。

理智門の違いについては先にいろいろ書いたので割愛(笑)。
芝居に対する齟齬での離脱でないことを祈りたいし(絶対違うと思うけどね)、もしもう一度再演(多分海外だろうが)するなら、復帰してもらって、何度も言うけど再演のスピード感を保ちつつ、奥行きを再現して欲しいかな。

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今回の悪三郎はロックではなくパンク。
昨夜、ふと思いついた(笑)。
「姿見買ってもっとオシャレしよう」なんて本気で考えて無いよね。
どんだけ着飾っても結局醜いのは重々承知。
きっと、わざとゴッテゴテにおしゃれして顔なんか白塗りとかして、
家臣たちの前に出てビックリさせて、
彼らが必死に御世辞でかわそうとするのをいたぶるように弄んで、
「どいつもこいつも(俺も)クソだ」と裏で唾吐いて見せたりするんじゃないかと想像。
世の中の意味なんてまるっきり信じて無いかも知れない。
"vacant"、あのラストの真っ白な空間はそういう意味にも見える。
…とすると、あの合戦前夜、
悪夢の後の内省的な台詞の理由がちょっと飛んでしまうんだけど(大汗)。
流転する運命、確固たるものは何も無い。
虚無の中に消えて行った影法師はラストで理智門の背後に。
だからこそ、理智門に重みと充足感が無いと
影法師が背後に立つショックが薄まってしまう。頑張れ若松さん。
「いつかはオマエモナー」
自分はそういう意味に取ってしまうのだけど。
エンディングにSex Pistolsが流れても良いんじゃないかとも思った(笑)。

妄想です(笑)。

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…結局あまり修正しなかった…。

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再演 国盗人(2)。

200912131417000 (1)より続き。舞台後半。

「選ばれてあることの恍惚と不安と…」第一幕ラストで放たれるヴェルレーヌの一節が第二幕冒頭で繰り返される。再演初見の9日マチネ、ここでの空気の変わり方が凄過ぎて2階席だったにも関わらず気押された。第一幕と第二幕、全く別の芝居かと思うほど様相が変わるのはこの直後の事件の為。腹心の久秀が王子暗殺計画にすぐに首を縦に振らなかったのに業を煮やして、悪三郎自ら王子を手にかけに行く。「Aボタン連打のゲーム感覚」が突如真実味を帯び、本物の罪の匂いが漂い出す。幽閉された我が子に逢えず悲嘆にくれる王妃のシーンの後、王子を殺害したイメージだけを流した初演時とは変えて、リアルに王子を舞台中央まで追いつめ滅多斬り。「死ぬる子みめよし、とは…」の台詞も、さすがに年端の行かぬ子供を惨殺した所業への後悔を漂わせた初演時とは真逆に、残酷な侮蔑の意味を込めて吐き出される。背後にはいつもの"死のメッセンジャー"影法師。その動向に思わず目が行く。いつもなら犠牲者に面を被せるだけの彼が、王子の小さな遺骸を抱き上げ、王子殺害成功に酔いしれる悪三郎をゆっくりと一瞥する。これはメッセンジャーの初めての意志表示ではないか。「…いくらなんでもそこまで…」仮面の奥の顔がそう言っているように思えた。

ここまでの悪三郎の所業は玉座奪取への必須イベント。しかし現実に玉座を得た今、継承権を剥奪され肉親とも離れ離れになったこの小さな命を奪うことに何の必然があるのか。ここまで悪三郎と一緒にゲームを楽しんできた観客の心がふっつりと離れて行く。それを映し出す鏡のような影法師の行動。「選ばれてあることの恍惚と不安」…「不安」という、悪三郎の胸の内に広がる暗雲が彼の闇を一層深くする。目的達成の「恍惚」は儚い。しばし無呼吸観賞(苦笑)。

忠臣久秀の心も離れ、かつてのように口八丁手八丁で周囲を煙に巻き操る余裕は全くなくなった悪三郎。反攻の為赤薔薇の理智門が動き出し、前王の姫を娶ろうと画策していると知って、それを阻止せんと元王妃に詰め寄るも、もうあの痛快な手練手管は戻らない。拒否する王妃を力ずくで脅す様(初演時よりも暴力的)はむしろ惨めなだけ。しかしここでも、舞台序盤の杏とのやりとりの時と同じように、どうも王妃の行動にもやもやした気持ちになる。脅されて従うのか、それともこの場はウソをついて悪三郎の裏をかくつもりなのか。退場直前の悪三郎への一瞥は意味深だけど、第一幕で王妃のシーンが一つ削られている(王妃弟とチェンジ)ことも影響してか、王妃の性格付けがなんとなくスッキリ伝わって来ないのが残念。動きや台詞で「客観的にそのように推測」することは可能だけど、役者が発散するものから感じ取れる方がドスンと響いて来て納得出来る。

第一幕の杏の心変わりも、或るブログで「(杏は)ビッ●ですか?」と評されていて申し訳ないけど笑ってしまったのだけれど、悪三郎の口車効果以上に、杏側の内面の事情がもっと浮き上がってくれば、少なくとも「ビッ●」レベルの女と見られることは無いと思う。物語の構成が大きく変えられ、それによって各キャラクターの性格付けにも変化が見られ、一番影響を受けたのが4役をこなす白石さんであり、それはパンフのインタでも率直にその変化が大きな課題であることを語っていらっしゃる。ハッキリ言っておくがこの難役、白石さんでなければとっくの昔に空中分解しているだろう。思うに今回の再演は大手術の予後からまだ完全に抜け出てはいない、傷口が塞がっていない状態なのだと。しかしこの大手術、単に今井さんという強力メンバーの離脱の修復のみならず、あわよくば海外に持って行くもくろみも含んだ大仕事であり、翻案の河合先生と演出の萬斎師はスーパー外科医としてかなり苦労を強いられたのではないかと推測する。王妃弟の導入と共に、更に煮詰めて密度と圧力を高めていけば…だって白石さんですよ…バッチリ決まったところを想像したら恐ろしいぐらいで(苦笑)。

状況は一変、各地の諸侯が次々と裏切り、悪三郎の陣営はじわじわと追い詰められる。久秀も捕えられ処刑、遂には悪三郎の生みの親でもある皇太后も離れて行く。悪三郎戴冠の際にその頭上に掲げられた十字架(初演時と同じく舞台装置が回転する)が、そのまま前王一郎と善二郎の墓標となり、そこにすがって嘆く皇太后。実の息子への呪詛は今回も哀しい。ただ、息子の首を絞める行為はどうだろう?悲しみの呪詛の重みがそのアクションで断ち切られてしまう(単に観ているコッチがビックリしたのか・笑)。今回、悪三郎に対する呪いの中核として政子という存在により重点を置いた形になっている所為か、どうも他の3名の造形がしっくりこない。この皇太后の在りようもまた大手術の予後の影響なんだろうか。その所為なのかどうなのか、白石さんパートの最大の見せ場である4人の女の憑依のシーンはするするとアンカーの政子に集約されてしまい、スッキリとはしているが初演ほどのインパクトは感じなくなってしまった。何度も言うけど白石さんの存在感が格別であることには変わりない。でも、4人の女がそれぞれの背景を抱えて、悪三郎と言う稀代の悪人と関わって呪いの中に堕ちて行く内面の地獄絵図は明らかに薄まっている。白石さんの本当のパワーはこんなものではないと思うのだが。

いよいよ理智門軍との戦闘へ。舞台上手と下手に分かれての両軍の掛け合いの演出は何度観ても感心するばかり。今回ふと思ったことがあるのだけど…理智門の軍勢は両大将の間に居る雑兵達だが、悪三郎の軍勢は密かに観客達が見立てられているのではないかと。前述した王子暗殺で悪三郎は共感を失っている。久秀と市長の客いじりの時のように客電が点いて一体感を感じたのとは対照的に、真っ暗な客席に向かってどれだけ悪三郎が檄を飛ばそうと、そこには冷えた空気があるだけ。ゲーム風に言えば「兵士の忠誠度0」に限りなく近い状態を無意識に「演じさせて」もらっている感覚があった。対する理智門は初演時の今井さんから若松さんへ。余裕しゃくしゃくで、何か腹に一物ありそうな今井理智門とは違って、青臭い正義感(決して悪い意味で無く)で悪三郎と言う強大な敵に必死に立ち向かおうとしている若きリーダーという印象だ。雪崩式に周囲の忠誠を失っている悪三郎の背後には、本来なら今井理智門のような寝業師(?・笑)の入念な根回しがあると想像するのが定石だろう。若松理智門には清々しさがある。若さもある。眼力も良い。その魅力は認めるけど、やはり"純粋まっすぐ君"的な弱さは否めない。血なまぐさい戦国の世を生き延びて来た諸侯が迷わずこのまっすぐ君に付いていくかと言うと…ちと疑問。かつてのクセモノ今井理智門を思い出しては関ヶ原の戦いでの徳川家康になぞらえてしまう自分は…まだまだ"大河後遺症"か(泣笑)。

続く悪三郎の悪夢のシーンも何度観ても良い。能面に"死"のイメージを、全編通して影法師によって刷り込まれてきた目には、このシーンが本当に恐ろしく美しく映る。これは2階・3階席から観ると照明とセットのコントラストもハッキリ見えて場面の魅力が倍増する。目覚めた悪三郎の突然の内省。「誰も自分を愛していない。自分すら自分を大事に思っていない」という慟哭は、あの王子の遺骸を抱き上げた影法師の一瞥の寒々しさに繋がっていくようだ。しかしこの慟哭も、観劇の日に寄って微妙に変わっている。自分が観た日に"ヒット"があったのかどうかは分からないのだけど、正直なところまだ"掴むべき"ところが残されているような…観ていて胸がきゅっとする感触は間違いなくあるのだけれど(笑)。

圧巻はラストの戦闘シーン。これはもう呆気にとられた。まさか影法師がこういう活躍の場を与えられるとは想像もつかなかった。狂言『止動方角』の馬の型を超ド級にパワーアップ(笑)し、影法師じゅんじゅんさんの高い身体能力をフルに生かして、戦場を縦横無尽に駆け巡る悪三郎の単騎が誕生した。何が驚いたと言って、特に2階から観た時、これはもう冗談でも誇張でも無く「馬を操る悪三郎」にしか見えないのだ。赤兎馬を駆る呂布かと思った(爆)。観ていて一気に血が沸き立った。「人馬一体」となったお陰で戦闘シーンのスピード感と迫力が初演時の比では無い。理智門の影武者も雑兵達も動きが良い。華々しい戦闘に見とれているといよいよ馬から悪三郎が振り落とされ、「馬をよこせば国をやるぞ!」…

突如としてバックスクリーンが上がり、ただただ真っ白な空間に。その中心に、すっと立つ影法師。

これには声も出なかった。あの、王子を抱き上げた影法師に意志表示を感じたシーンがフラッシュバックする。死のメッセンジャーとして、悪三郎に寄りそう影として、荒野を駆ける馬として、顔を持つモノではなく一つの記号として存在した影法師が、明らかに意志を持ち、ゆっくりと肩を落として"真っ白な闇"の中に歩を進め消えていく。まるで悪三郎の命運が消えていくように、「さようなら」と声なき声を掛けるように。あの悪夢の後の慟哭よりも、この影法師との決別に涙が出てしょうがなかった。影法師の消えた空間に向かって自嘲のひきつり笑いを響かせる悪三郎が、心底哀れでならなかった。いや、哀れと言うのも適切ではないのかも知れない。この涙は何だろう。11日にご一緒した某常連さんも泣いていた。後で尋ねたら「分からんけど泣けた」と(笑)。止められなかった、と。その涙の理由を自己分析したところでそれほどの意味は(少なくとも自分には)無いかも知れない。でも間違いないのは、カタルシスだったと思う。

理智門勝利宣言。その背後にあの白い闇に消えて行った影法師がすっと姿を現す。ココも今井理智門と若松理智門では、影法師の意味合いが変わってくるかも知れない。激しい雷鳴の後、現代に戻った舞台には再び白い傘の女。「…つわものどもが 夢のあと」。オープニングで途切れた句が最後に完結する。白石さんの最後の台詞がジンと心に沁み入ったように思えた。

カーテンコールはどの日も3回ほどあったかと思う。仮面を取って素顔を見せるじゅんじゅんさんへの拍手が一番大きい。今回、この影法師には本当にいろいろと考えさせられたし最後にはいやというほど泣かされた(苦笑)。若手の役者さん達のやり遂げた笑顔はいつ見ても気持ち良い。当の悪三郎君は9日マチネのカーテンコールでスキップ退場(笑)。何せ自分はこの時が初見だったので何がそんなに嬉しかったのかは分からない(苦笑)。11日ソワレの客席にはお父上万作師の姿が。ロビーでお見かけした姿はハンチングを被られてオシャレ。お席では開演までじっくりとパンフレットを読まれて、カーテンコールでは大きな拍手。倅さんの舞台をどのようにご覧になったのか…気になるところではある。

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…とまぁ全く計画性も無く舞台の時系列に沿ってだらだらと2回にもわたって(苦笑)感想書いてみました。いろいろと言ってるようですが所詮シロウトの"感想"です。しっかりした分析は分かっている方にお任せします(笑)。改めて繰り返しておきたいことは、まず展開が整理されてスピーディーになったことと、その"手術"の予後の影響がまだ残っているように思えること、非常にまとまった舞台だと思うけれど決してこれが完成形では無く、次にはスッキリしたことによっていささかダウンしたと思われる初演時のパワーを取り戻すこと、そのためには構成変化によって見直しや刷新が図られたいくつかのキャラクターの"中身"の再構築が必要かなと思うこと。特に白石さんの4役は初演時も今回もこのお芝居の最大のキモであり、この再構築から中身が詰まってくれば…考えるだけでワクワクしてきますね。演出家ドノ、まだまだやることいっぱいありそうです(笑)。

公共劇場の芸術監督と言うお仕事を全うするにあたって、昨今の不況の影響は決して小さなものではなく、「事業仕分け」と言う名の大ナタが振り回されている以上、その大ナタに対抗するだけの実績が求められているという背景は想像出来ます。表現が適切かどうか分からないのですが、今回の再演は言わば、世界を視野に入れることも含め、実績の為の「大人の仕事」だったとも思えるのです。戯曲本の巻末の対談で「世界に持って行きたい」という話があり、河合&萬斎タッグのファンである自分は心底嬉しく思っているのですが、単なる希望や夢物語ではなくしっかりと実現を目標とした発言であると信じると同時に、クリエイトする人間としての創造の追及と、社会にアピール出来る実績の達成を同時に成そうという苦労は自分のようなドシロウトには想像もつきません。

でも、このタッグならきっとやってくれると思っています。

それにしても2日間のべ3回の観劇、本当に本当に楽しかった。『国盗人』というお芝居が好き過ぎて(爆)観に行く日の朝はドキドキしてご飯が喉を通らなかった(←実話)。仕事を一所懸命やってるふりをしてその実うわの空だったり(爆)。心底さぶちゃんが好きなんだなぁ自分。11日の舞台がハネた後の寂しさったらもう無かった。この世の楽しみが全部終わっちゃったような気分と言ってもそう言い過ぎでも無かったり(笑)。感想書くとなったらたわごとをごちゃごちゃこねくり回すけど、観てるその時はもう楽しくて幸せで…ホントそれだけなんですねスミマセン(苦笑)。

9日のマチソワにはカメラが入ってました。多分DVD化の為だと思われます。もったいぶらないでとっとと発売して下さいね宜しくお願い致しますよ!

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再演 国盗人(1)。

200912121739000 2009年12月9日(水)14:00~/19:00~、12月11日(金)19:00~
於:世田谷パブリックシアター

◆原作:W. シェイクスピア『リチャード三世』より
◆作:河合祥一郎
◆演出:野村萬斎
◆作調:田中傳左衛門
◆美術:松井るみ
◆衣裳:コシノジュンコ
◆照明:小笠原純
◆音響:尾崎弘征
◆ヘアメイク:鎌田直樹
◆殺陣:栗原直樹
◆映像:吉川寛(nido) 木村康次郎
◆演出助手:小美濃利明 桐山知也
◆舞台監督:勝康隆
◆プロダクションマネジャー:福田純平

◆キャスト

 女・杏・王妃・政子・皇太后:白石加代子
 一郎:山野史人
 善二郎:泉陽二
 悪三郎:野村萬斎

 王妃の弟:小田豊
 王妃の連れ子:入月謙一
 王子:中村美貴

 左大臣:大森博史
 久秀:石田幸雄
 太郎冠者:月崎晴夫
 貴族:坂根泰士・泉陽二
 女官:高島玲
 
 理智門:若松力

 悪三郎一党の者:平原テツ・すがぽん
 悪三郎の手下:時田光洋

 市長:山野史人
 民(夫):若松力
 民(妻):大竹えり
 街角の女:黒川深雪

 影法師:じゅんじゅん

◆囃子方

 囃子:梅屋小三郎・古寺正憲
 笛:福原友裕
 

待ちに待った2007年舞台の再演。おもちゃ箱をひっくり返したように「やりたいこと」を遠慮なく詰め込んだ初演時の冗長さ(←当時はそれはそれで楽しかった・笑)を見事に払拭、タイトでスピーディーな展開に再構築されていたと思います。初演の赤と黒の毒々しく重いオフィシャル・イメージも一新、ポスターもパンフもヴィジュアル系ミュージシャンかと見まごうヘア&メイクの新生悪三郎(笑)。満を持して再演を企んだ芸術監督ドノの並々ならぬ意欲をひしひしと感じます…いや、単にコスプレ好き(こら)。

上演台本にあたる河合先生の著作も出ましたので、舞台の流れに沿って都合3回拝見した感想をつらつらと…。

オープニング白石さん、衣装が初演時と変わってました。黒のロングワンピース(女4役がそれぞれのローブの下に着けているのと同じか?)に、白地に黒の模様がちりばめられたシースルーのストール。焼け落ちた能舞台に登り落ちていた白い武悪面を跪いて手に取り高く掲げ、 「夏草や つわものどもが…」ここで詠むのを止める(初演と今回の台本では「夢のあと」まで詠み切っている)。面を手にした瞬間に幻視に陥る女の唐突な状況を示したか?

軍勢の幻影が走り去った後に舞台後方のスクリーン裏から悪三郎登場。トレードマークである赤の武悪面を着けての登場はこれも再演演出。「悪党になる」決意表明?は3回ともいろいろと変えていたような…諧謔味を強くしたり、重くドスを効かせたり。でもやっぱりあの"さぶちゃん"だった(笑)。2年ぶりの再会に思わず「お久しぶりー」と声を掛けたくなる(笑)。今回はちゃっかりと下ネタも紛れこませ…例の愛用の大剣、柄のグリップエンドが実に意味深なフォルム(初演時のトークか何かでハッキリと"何か"言ってませんでした?)。その剣にお馬遊び宜しく跨って「…ご婦人がたの部屋で器用に軽く飛び跳ねる…」とパッカパッカ。剣を股に挟んだままご丁寧にくいっと腰を突き出してみたり(爆)。まぁこのあたりの台詞はそういう含みのあるところだけど。『ハムレット』の軽口とお下品アクションを思い出す(笑)。

ココまでの経緯を語る悪三郎のバックで演じられる無言劇もマイナーチェンジで分かりやすく。王・一郎が身罷った後、次男善二郎と王の忘れ形見の王子が台座の上に同時にドンッ!と片足を掛けて、どちらも継承権を主張している立場を見せる。全体的にテンポが早くなっていて、語りのそれなりの長さをあまり感じさせない、飽きさせない。

善二郎・左大臣・未亡人杏とのやり取りは初演時と同じように悪三郎の"口"が大活躍。ここで観客のハートをがっちり盗めるかどうかが大きなポイントと思われる。やはり3度目のが良かったかな。お客のノリも良かったし。それにしても杏の口説かれ方というのはさぶちゃんの口車がどれだけ鮮やかだったとしても不思議だなぁと思うのは今回も変わらない。この作品におけるシェイクスピア(というかその当時)の女性観に起因するのかも知れないけど「そこであっさり堕ちるか普通?」というのが正直なところ。この、現代から見たらあり得ない無茶な展開を、悪三郎の魅力で通してしまう強引さが求められるわけで、まるでやんちゃ坊主のようにも見えた悪三郎の熱烈プッシュ作戦は「やれやれしょうがないなぁ」と観ているコチラを"諦めさせる"のに充分な効果を出していたように思う。「ちょっと小汚いキュートさ(笑)」って結構説得力があるんだな(笑)。悪三郎と杏のやり取りはむしろ思いっきり笑えてしまう。血まみれの遺体を横になにやってるんだこの二人は(笑)?萬斎師と白石さんの掛け合いが息ぴったりなだけに「コレは一種の漫才なのかも」と…そうだ例の大剣のグリップエンドを「ほれほれ」と杏の鼻先に突きつけてた(爆)。その気満々ですな。

杏の亡夫の遺体への侮辱はエスカレート。かけられた布をはぎ取って髪の毛をつかみ頭を引き上げ「麗しき王子様♪」と皮肉っぽく褒めて唾を掛ける。今回は初演時にあまりこだわらなかったりイメージでソフトに表現した部分がいくつか直接的な表現に変わっている。ここもその一つ。悪三郎の残虐性をもっと押し出して、終盤で悪夢によって内省の苦しみに陥る彼と対比を明確にしているのではないかなと思う。

第二場にて今回の再演で初登場の王妃弟と王妃の連れ子の会話。確か初演ではスクリーン奥の"再現シーン"で悪三郎の部下に捕えられるところを見せるにとどまったキャラが、今回はオモテに立って悪三郎と対立関係を見せる。気がついたら身分不相応な爵位を手にしてしまい今置かれている自分の立場に心底困惑する姿には、おおよそ王族とは言い難い卑近さがある。何とも言えない「小物」っぽさも(笑)。連れ子はのほほんとして何も考えていなさそうな(苦笑)…。初めて観た時は「なぜここでこのキャラが?」と不思議に思ったのだけど、後々での王妃の性格付け(初演時の気の強さが消えている)を考えると、悪三郎と対立する勢力の代表として代打登場、というポジションぐらいに感じるのだけど。まず王妃の性格変化ありきの演出?

いよいよ赤薔薇の政子登場。新演出、バックスクリーンに荒い粒子のモノクロの"政子どアップ"映像投影。このド迫力が半端ない。同場面で王妃の存在が薄められているのとは対照的に、"呪いの女"政子の格段のパワーアップ。白石さんの独壇場とも言うべき呪詛の連射と呪術的アクションはますます冴えわたるけど、日によっては「こりゃもう半ば"コースアウト"してないか?」と思ってしまうほどの壊れっぷりもございまして(苦笑)。「悪三郎ー!」と呼ばれて「はーーーい!」と元気良く返事をし、小学校低学年の児童宜しくピッと手を上げる悪三郎のおふざけは可愛かった(笑)。元々呪詛が撒き散らされる陰鬱なシーンなのだろうけど、先ほどの杏口説き落としシーンと同じく、喜劇的な要素がふんだんに盛り込まれることによって、説明的な場面の多い前半のもたれがちなテンポを調整するのに大きく役だっているように感じた。

初演の善二郎(と理智門)役であった今井朋彦さんの離脱(スケジュール調整がどうしても無理だったか)によって、投獄された善二郎の悪夢のシーンは削除され、真っ赤に塗られた東急ハンズのパーティーグッズの出番は無くなった(笑)。同時に同じく今井さんが演じていた右大臣役が無くなり、それとともに左大臣が捕縛される予知夢のシーン(イノシシ=悪三郎の紋章 の夢)もカット。"夢"に関するシーンが削られていくのはそれなりに寂しいものがあるが、パンフで河合先生が仰っていたように、大きな筋にそれほどの影響がなく、ここでも思い切った"仕分け"がテンポの良さを作り出していると思う。

善二郎の死が告げられ、激昂しそのまま憤死?する王・一郎。初演時にはあまり感じなかったのだけど、今回改めてこの一連の動向を見ていると「王の死の扱いが軽いぞー(笑)!」と思えてしょうがない。影法師が王の後を追って行って戻ってくるまでもあっという間、影法師が「喪」の黒い垂れ幕を落としてその下に王妃が泣き崩れるのも、その流れの溜めの無さ故になんだかドタバタギャグのアクションに見えなくもない(もちろん良い意味で)。「下の兄を殺したら上の兄も死んじゃった♪」と笑いが止まらない悪三郎を見ていると、まるでTVゲームで「Aボタン連打してたら面クリしちゃったよラッキー!」とでも言っているかのような、それこそゲーム感覚の無邪気さを感じてしまう。このチャーミングな毒気を持つ萬斎悪三郎に、観客は逆らえず惹かれてしまうのではないか。口八丁手八丁で"イベントボス"をサクサクと攻略していく悪三郎。無論目的は王の玉座奪取だが、その過程すら全身で楽しんでいる風に見えるので、かえってその心の奥はどのような風景なのだろうとつくづく考えてしまう。

悪三郎の腹心・久秀の冷静沈着なキャラも健在。初演・再演通じて一番ブレの無いのがこの石田久秀。穏やかでいて、その実得体の知れない怖さを秘めた強力な脇役が舞台の要所要所をきっちりしめていく。萬斎悪三郎との息の合い方は言わずもがな。それにしてもこの忠臣の名前の由来がココとは皮肉なもので(笑)。まぁ結局は裏切るのだから間違ってはいないのだろうけど。

今回は少々大人しめに見える大森左大臣。太郎冠者から悪三郎の伝言を受け取るシーンで一気にキャラ放出(爆)。黒川さん演じる遊女を相手に、寝そべる両足をパカッと開いたり、おもむろに上にのしかかろうとしたり…初演で使われていたピンク(笑)の衝立が取っ払われたモロ見えの状態での"痴態"に大笑い。初演では衝立に映るシルエットのみで観る側があらぬ妄想を膨らませていたけれど今回は直接的観たまんま(爆)。政敵である王妃弟の刑死を聴いてはしゃぎまくるところで、本当に"あの大森ワールド"が帰って来て良かった良かった(笑)。これ自分の楽しみの一つなんだもんなぁ。

その左大臣も悪三郎の餌食に。遊女とのイチャイチャシーンからそのまま王子戴冠式の詮議シーンへ。前シーンの最後に遊女に呼び止められた左大臣、詮議に入って来た様子は妙に急いで息が多少切れていたか(笑)。いや芸が細かいですナニをしていたのか(爆)。詮議では不自由な左手の原因は黒魔術をかけられた所為だと悪三郎が騒ぎだし、まんまとその濡れ衣を左大臣にかぶせる。ここも正直言えばかなり唐突な言いがかりに聞こえる。初演では前述した右大臣がらみの予知夢の話があり左大臣に降りかかる災難が予見されていたので。しかし少々の唐突さを懸念するより、思い切りの良いカットで悪三郎の王位簒奪ゲームをリズム良く進める方に重きを置いて正解だったろう。

面を被せられスクリーンの奥に消えた左大臣と同時に舞台中央にはもう左大臣の首が(笑)。この場面転換の早さがこの舞台の信条の一つかと。一郎も兼ねて演じた山野さんの市長が実に良い。悪三郎が正式に玉座に就くまでの、久秀とのやりとりや客いじりがどれもこれも目と耳を惹いて楽しくて仕方がない。客電が点いて階(きざはし)に市長が立った瞬間、ぱっと場内の空気が変わってリフレッシュする気分(笑)。実直で気弱そうな市長のしどろもどろの説明(王子に王位継承の資格が無いので悪三郎を王にすべき)から業を煮やした久秀の巧みな客いじりの流れは毎回最大の楽しみの一つ。久秀の「さあ、帰ろう」は本当に傑作だ。お客さんも初演体験済みの方は勝手知ったる流れに余裕で乗って行けるし、もちろん初見の方も市長と久秀の巧みなアプローチで楽しく"参加"出来たのではないかと。再演開幕前の萬斎師インタビュー等で、あの「さぶちゃんオン・ステージ ミラーボール付き」が完全カットされるのを知り悲嘆(笑)に暮れていたけど、全身がすっぽり隠れる僧衣を利用して、その下に王の装束を隠していた悪三郎が王と認定されたその時にぱっとそれを脱ぎ捨てて誇示した瞬間、その悲嘆も随分軽減された(笑)。ヴェルレーヌの一節も「アデュー♪」も充分映える。初演よりも随分シェイプアップされたけど盛り上がりは決して痩せていない。オン・ステージが観たいという気持ちは今でもあるけれど(苦笑)。

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…何の計画も無く垂れ流しで感想書いてるので前半だけでこんなに長く(苦笑)。
一旦切ります。

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マチソワさぶちゃん。

『国盗人』再演 (12/9 マチネ&ソワレ)

以下、身勝手着眼と激しいネタバレなので自己責任で(苦笑)。
ちゃんとしたまとめはもっと後で…出来たら、ですが(笑)。




























かなりテンポ良くブラッシュ・アップされていたように思う。 初演時の善二郎・理智門役・今井さんが今回不参加ということで、善二郎の獄中の悪夢を含む一連の"夢"に関するエピソードを思い切ってカット。暗示的なシーンで初演時には結構面白かったと記憶しているが、ざっくり切り取ってみても実際には問題無かった。
戯曲本『国盗人』の河合先生の後口上にも、今回のパンフにもわざわざ書いてあったので、今井さん離脱という事態はそれなりに"大きな苦難"だったのかなぁと思ったり。今井さん不参加は自分にとってもちょっと残念だったけど、結果的にそこの部分の構成し直しが吉と出たような。
前半と後半、全く別の舞台かと思うほど空気が違った(特にマチネ)。前半、まるでロールプレイングゲームのように"イベントボス"を蹴散らしながら玉座に突き進む悪三郎は軽妙の一言。少々悪ふざけに近いぐらいのお道化っぷりは「ちょっと小汚いキュートさ(笑)」がありテンポアップに一役買っていたか。それでも前半はまだもたつく感はある(初演時はもっともたれたか)。原作でも状況説明的なパートなので難しい部分もあるかと。前半ハイライトの王座獲得シーンはもたつく空気を一新する。「さぶちゃんオンステージ」のカットは涙が出るほど寂しいのだけど(爆)その分、エセ坊主の僧衣を利用した新演出で補填(笑)。このあたりもテンポアップの効果大。
休憩をはさんで空気は一転、頂点に立った悪三郎が転落する姿を、白石さんの目玉シーンでもある「4人の女の呪い」に絡ませて、じわじわと真綿で締め上げられるような息苦しさで展開する。理智門軍との対比シーンも健在。新生理智門は良い意味で青臭い正義感を感じさせる。初演の今井理智門は余裕しゃくしゃくでどこか食わせ者という雰囲気を纏っていて(笑)今思い起こしてみるとシチュエーションの違いはあるが、悪三郎が石田三成で理智門が徳川家康みたいだった(爆)…関ヶ原の。この戦いになるまで絶対裏でがっちり根回ししてたよな今井理智門は(笑)。翻って今回の理智門は単に「悪三郎の人望の無さ」に助けられただけなのかも…。
圧巻はラストのバトルシーン。何よりじゅんじゅんさん演じる影法師が"悪三郎の馬"をマイムでやってのけたのに目を見張った。狂言『止動方角』よろしく悪三郎の前に立って激しく身体を動かす。SEに馬のいななきと走る蹄の音。これが本当に「馬を駆る悪三郎」に見える見える。馬上から大剣を振り回し敵の雑兵や理智門の影武者をバッタバッタとなぎ倒すさぶちゃんブラボー。
そして今回目の当たりにして全身硬直した、舞台奥に大きく広がる「真っ白な闇」。馬から振り落とされた悪三郎が「馬をよこせば国をやるぞ!」と喚くのをしり目に、馬の役目を果たした影法師が肩を落としゆっくりと白い闇の中に消えていく。遂には"もう一人の自分"にも去られた悪三郎の救いようのない孤独と、それを自ら皮肉る癇性の笑い。最後に登場した「本物の理智門」に斬られ絶命するところは初演と同じだが、この「真っ白な闇」を挿入したおかげで初演時よりも"感動的な"断末魔に見えた。


とりあえず最初はメモ的書きなぐり(笑)。
本当の決戦は金曜日(爆)。

※パンフは宝物。
 遂に完全ビジュアル系に頭を突っ込んだ芸術監督ドノに乾杯。
 あの唇はルージュなのかそれとも「地色」なのか(爆)。
 ルージュ…だよな…であって欲しい(泣笑)。
 さあ今から待ち受け作るぞ~。

※ただし…
 芸術監督ドノ&白石さんの演技で"お腹いっぱい"感は否めない。
 それが良いと思う時もあるし、ゲップが出そうな時もある(爆)。
 客席の位置取りも関係してるかなぁ…ちなみにマチネは2階最前列、
 ソワレは1階L列。それなりに計画的に取ってます(笑)。

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こんなのやるんだ。

特別企画公演 野馬台の詩

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2522.html

ふらふらっとブログ検索してたらこんなの発見~!!!
是非是非チラシはクリックしてデカくしてご覧あれ~。
「晴明新バージョン???」とツッコミたくなる方は
どのくらいの割合になるでしょうか(笑)。

以前、とあるブログで
"未来の大河ドラマ勝手に予想"ネタやってたのを見つけたんですが、
そこで「野村萬斎=吉備真備」というキャスティングが上がってたんですよね~。
そのブログ主さんビンゴです(笑)。

メンツめちゃくちゃ豪華ですけどね。
万作師も出るし…う~ん、観てみたい気がする…。
演出は若旦那…ここも重要ポイント。
時期も時期なんだけど迷うなぁ~~~~~~~~~~。

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今頃気づいた副題。

たまたま近くに前回のござるパンフがあったので何の気なしに眺めてたら…巻末の「これからの予定一覧」の中の『マクベス』に副題が付いていたのに今更気が付いたwobbly

『マクベス―Day before tomorrow―』

…うーん、「明日の前」だから今日(笑)?いや、もしかして原文のどこかにこのフレーズが出て来るのか(全文から探す根性は無いcoldsweats01)?"tomorrow"を繰り返すのは例の有名な「消えろ、消えろ、短い蝋燭…」の独白だがあまり関係ないかbleahまぁ今のところ「仮題」だからまた変わっちゃうかも知れないし気を揉んでも無駄かなーgawk

ま、芸術監督ドノが何か企んでることだけは確かだと思うwink

何か「心当たり」がある方は是非ご考察ご一報をconfident

実は『国盗人』と『マクベス』のどちらでも良いのでエンディングに使って欲しいなーと思ってる一曲があるんですが…妄想が強すぎてオモテで言えませんcoldsweats01ベタと言えば実にベタな選曲ではあるんですが…これ本当にエンディングで流れたらマジで泣くcrying舞台の出来に左右されるでしょうがね~。

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--中森晶三 一周忌追善能--能を知る会 東京公演。

2009年10月21日(水)14:00~ 於:国立能楽堂

◆ご挨拶 中森貫太

◆仕舞 『当麻』   足立禮子
      『砧之段』 津村禮次郎
      『融』    観世喜正
      地謡:駒瀬直也・弘田裕一・桑田貴志・中森健之介

◆狂言『武悪』

 武悪:野村萬斎 主人:野村万之介 太郎冠者:深田博治
 後見:高野和憲

◆仕舞『卒塔婆小町』 観世喜之
      地謡:五木田三郎・弘田裕一・桑田貴志・小島英明

◆能『求塚』

 (前)里女/(後)菟名日少女ノ霊:中森貫太
 旅僧:殿田謙吉 
 従僧:大日方寛・梅村昌功 
 里女:古川充・遠藤喜久
 所ノ者:竹山悠樹

 大鼓:安福建雄 小鼓:大倉源次郎 太鼓:観世元伯 笛:寺井久八郎
 地謡:小島英明・鈴木啓吾・坂真太郎・奥川恒治・観世喜之・観世喜正
     ・五木田三郎・駒瀬直也
 後見:津村禮次郎・安達禮子・長沼範夫

※ご挨拶

お父上・中森晶三師の一周忌追善能ということで、まずご子息貫太師のご挨拶がありました。「今回は『求塚』という大曲を控えて集中を高めなければならないので、いつもの演目解説は失礼させていただきます」ということでそれは納得だったのですが、その代わりに師の口から出たのは"観劇マナーの御注意"が大半だったのにはちょっとビックリ。「まだいらっしゃるんですよね~携帯や時計のアラームを鳴らされる方が」。まぁこの国立能楽堂は電波遮断システムが導入されているので、もし携帯をOFFにし忘れても一応は大丈夫ですが…時計アラームは切るしかなく、携帯のヴァイブ音もダメという方も少なくないのでOFFにしておくのが間違いない。それと終曲後の拍手について、「この曲(『求塚』は演者・囃子方に作り物もあって退場にかなり時間がかかります。その間是非、ゆったりと曲の余韻を楽しんでいただければと思います」。つまり、拍手はしないで欲しいということですね。

マナーについてはいまだに徹底出来ないところがあるのも分かるし、その都度演者の方々も他の見所の方々も嫌な思いをされることが多いと思いますが、折角の"一周忌追善能"、出来ればご子息ならではの視点で、亡きお父上のエピソードの一つや二つ、ご供養替わりに伺いたかったなぁと思いました。それはもしかしたら終演後の質疑応答で語られたのかも知れませんが…。

※仕舞『当麻』『砧之段』『融』

※狂言『武悪』

主人は非常に腹を立てており、太郎冠者を呼び出して奉公を怠けている武悪を成敗して来いと命じます。奉公仲間である武悪を討ち難い太郎冠者は一度は断りますが、主人に強く言われ仕方なく武悪の元へ。武道の心得がある武悪を騙し討ちにしようと、川へ誘い出します。太郎冠者に襲われ武悪は主人の不興を買ったことを知り観念します。しかしどうしても武悪を討てない太郎冠者。遂には武悪を逃がしてしまいます。帰宅した太郎冠者は主人に武悪を討ったと嘘の報告をし、機嫌が良くなった主人は太郎冠者を連れ立って東山に出かけます。一方命の助かった武悪もまた、その幸運のお礼にと清水の観音様に向かっています。ばったりと出会ってしまう双方ですが、太郎冠者が機転を利かせて、ここは鳥辺野だから武悪の幽霊が出たのだと主人に信じさせます。主人が怯えるのを良いことに、武悪は幽霊の振りのまま主人からあれこれ品物を巻き上げて、最後は冥途で主人の父親に逢って主人を連れて来てくるよう頼まれたと言って、主人を追いまわします。

今回のパンフレットに、この『武悪』は故・晶三師が生前大好きだった一曲であり、こちらから頼むことは出来なかったのに萬斎師の方からこの会にこの曲を選んでくれて大変嬉しかった、という旨の貫太師の言葉が載っていました。トリの『求塚』に負けず劣らずの"狂言の大曲"。今まで二度ばかり拝見したと記憶していますが、毎回、前半の緊張感溢れるドラマ性と後半のコミカルな展開という贅沢な構成を楽しませてもらっています。晶三師の好んだポイントはこのあたりだったのでしょうか。

今回もその前半のドラマ性は実に強烈で、更にこの日はこの曲の直前の仕舞『融』に引っ張られたかのように重々しさが倍増していたオープニングでした。主人が武悪の何に憤っているのか定かではありませんが(奉公を怠けているとのことですがそれだけなら解雇で済むのに敢えて成敗を求めるワケは?)、いきり立った主人が家人を捜しまわり、太郎冠者を見つけて武悪の成敗を言い渡すと舞台の空気がひんやりと冷えたように感じました。ちょっと大げさですがまるで要人の暗殺を企てる会話のように思えました。実直そうな深田太郎冠者はもとより、普段は飄々としている万之介主人が猛烈にブラックな味わいなのがビックリです。仲間を裏切れない太郎冠者を脅して追い詰めるところなど本当に怖いんですね。

深田太郎冠者と萬斎武悪のやり取りも大変ドラマチックでした。特に深田太郎冠者の葛藤が素晴らしい。武悪が結構のほほんとしていて(だからますます"不興"の原因が分からん!)全く疑っていないだけに、太郎冠者の苦悩ははかり知れません。そのあたりの胃がキリキリするようなシチュエーションを、深田師がしっかりと見せてくれていました。しかし不思議なもので、それだけ太郎冠者が空気を作っていても、結局太郎冠者に逃がしてもらえることになった武悪が破顔一笑するとあっという間にコメディになってしまう。あまりにちゃっかりな(笑)武悪に呆れた笑いが湧いてきますね。

後半、鳥辺野での偽幽霊騒ぎはひたすら笑えました。武悪幽霊が「ま~だ~あ~り~ま~す~…」と主人に何度もにじり寄るところは志村けんチックでした(確か幽霊の格好で「あ~~~」大声出して相手を怖がらせるギャグがあった・笑)。こういう恰好をするとどうも不可思議オーラ放出過多になりがちな萬斎師ですが(だから曲によっては佇まいが凄まじくなる…)、ここはもう徹底的に胡散臭い偽幽霊で良かったです。

ご子息の大曲シテの前でしたが、お空の晶三師はフェイバリット演目を楽しんでいただけたでしょうか?

※仕舞『卒塔婆小町』

※能『求塚』

旅の僧が早春の野を訪れると、そこに三名の里女が若菜摘みをしています。僧が求塚について彼女達に尋ねると知らないと言いますが、やがてその中の一人が残り、僧を求塚(もとめづか)に案内して、その塚の謂れを語ります。昔、菟名日(うない)の乙女が二人の男性に同時に求愛されましたが、そのどちらにも決められず悩み抜き、二人に鴛鴦(おしどり)を射させる勝負までさせますが決着がつかず、遂に乙女は川に身を投げてしまった。その二人の男は乙女を葬った塚の前で争い、最後は刺し違えて彼らも亡くなってしまう。自分の優柔不断さが悲劇を招いてしまったと、乙女は僧に救いを求め、塚の中に姿を消します。やがて塚の中から乙女の亡霊が現れて、地獄に堕ちてあらゆる苦しみを受ける姿を見せ、その苦しみの後にやっと求塚を尋ね得たところで姿を消します。

この曲をモチーフに使った現代能楽集を思い出しておりました。今回本家本元を観賞出来るとあってそれなりに気合いを入れて臨んだつもりだったのですが…情けないことに前場の三乙女のところはほとんど記憶がございません(泣)。謡がかなり気持ち良かったのと、貫太乙女が殊の外美しく、同性ながら桃源郷に誘われてしまいました(苦笑)。なので貫太師が塚の中に入った瞬間が観られずがっかり…。

シャキッと目が覚めたのは竹山師のアイ。ここの語りで前場の沈没を必死に補う(苦笑)。求愛してきた二人の男に、鴛鴦(おしどり)を射させる勝負をさせて見事射当てた方の求愛を受け入れるという乙女の試み…悩みあぐねた末の苦肉の策とも考えられますが、やはり殺生を賭けの種にしたというのは罪深い。まだうら若い女の思慮の浅さが、タイプはちょっと違いますがあの『恋重荷』の女御を思い出します。いつものように存在感たっぷりに通る声の竹山師アイの裏で…背後の塚が小刻みに動いている。あの狭い空間の中での"お着替え"、なかなか難しいとは思いますが…ちょっと気になってしまったのも事実(苦笑)。

後場、僧の回向の読経が始まると、塚の布が外されて中から、先ほどの匂い立つような乙女のみずみずしさとは一変した、やつれた女面が現れます。ここからは後シテが生前犯した罪(二人の男の心を惑わせ後追い心中させた)によって地獄の責苦を負うという凄惨な場面。塚の布を支えていた4本の細い柱は火柱となって燃え上がり、そこにすがった乙女の手をジリジリと焼いていく。ここからラストまで、貫太師の熱演が随所で光ります。自分の罪深さを悔いてさめざめと涙を流すところなど、もしかしたら見方によっては過剰に感じた方もいらっしゃったかも知れませんが、嗚咽の絡む声の向こうから、地獄の業火の熱さがこちらに伝わってくるような、リアルな感覚を持つことが出来ました。

終曲ではシンと静まりかえった見所でしたが、やはり演者退場のところでは貫太師の御挨拶の中に盛り込まれた"ご注意"の効果も無く拍手が起こる。ただこれ、確かに今回ここでは拍手しない方が余韻を楽しめた(基本自分は"拍手容認"です・爆)と思いますが、それほど特に後場でのシテの熱演が、観ている方々の胸に熱いモノをたぎらせてくれたのではないか、それで矢も盾も止まらず思わず拍手してしまったのかなぁとも思えました。ご挨拶でわざわざおことわりを入れた貫太師の御心境は分かりませんが…。

残念ながらタイムリミットで(終了予定時間を大幅に超えてました)、自分はここで退席。この後貫太師による質疑応答があったはずですが、どなたかその内容をお教えいただけたら幸いなのですが…。

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…というようなお願いを書かせていただいたところ、当サイト閲覧者の方から質疑応答のご報告をメールでいただけました!ありがとうございます!その方より許可をいただきましたので、以下にUP致します。いただいたメールを少々編集致しました。(H21.11.5)

【貫太師、大曲を終えられたばかりで呆然というか、頭真っ白な状態で登場されました。

最初の挨拶にあった余韻を楽しんで欲しいとのお願いに対して、「多少拍手はありましたが、囃子方があんなに静かに気持ちよく戻ってきて嬉しい。ご協力いただき感謝」との言葉でした。

『求塚』は内容としてはあまり追善公演向きではないが、父は大変強引な人で、自分は若い頃から大曲を披かせてもらった。(追善公演向きの曲はすでに披いている)今回は師匠の許しを得て挑戦させていただいたが、その分、仕舞は追善にふさわしい曲を師匠、先輩方にお願いしました。との事。

『求塚』は廃曲になっていたのを何年か前に復曲されたものだそうで、専用の扇はなく、今回、求塚用として後シテの扇を作られたそうです。(ご自身のブログにも書いたとのこと)銀地に黒い火炎の中に赤い火が一つ。職人さんと相談しながらデザインを決めたそうですが、どこの家も必ず赤を一つ入れるそうです。

(管理人注:ここで情報提供者の方より追加メールをいただきました)
 《『求塚』の廃曲について気になったので調べてみたところ、観世流は廃曲になっていたようですが、他の流儀では上演されていたようです。観世流は昭和27年に復曲と記載されているサイトがありました。(複数チェックは、していないです)貫太師、‘何年か前’ではなく‘数十年前’とおっしゃったのかも?》

外の世界から能楽の世界に入った晶三師は、ゼロから一つ一つ面や装束を集め、能一曲が出来るようにそろえていったそうです。今回は晶三師の集めた面や装束をなるべく使ったそうで、前シテの若女(違うかも?)は初めて購入された面だそうです。

最後に謡われた一節は、追善公演のため「附祝言」ではなく「追加」と言い、パンフレットに載せ忘れたのを、師匠から「どうしますか?」と言われてお願いしたそうです。今回は『海人』の一節だそうです。】

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MANSAI◎解体新書 その拾伍。

MANSAI◎解体新書 その拾伍
「ことば」~生命体としての存在論(オントロジー)~

2009年10月27日(火)19:00~ 於:世田谷パブリックシアター

企画・出演:野村萬斎(世田谷パブリックシアター芸術監督)
出演:穂村弘(ほむら・ひろし) 歌人
    春日武彦(かすが・たけひこ) 精神科医・作家

(例によってメモ取りがかなりあやふやです。お三方が言った通りの言葉になっていない・自分で意訳したところも多々ありますので後ほど間違い・勘違いをご指摘いただければ幸いです。ぼっこり抜けているところもあるかと思われますのでそこもよろしく)

名物企画(笑)『MANSAI◎解体新書』もいよいよ15回目。10回記念のコロッケさんゲストからもう随分経ったんですねぇ。今回も通常の"解体ルック"で登場の芸術監督ドノ「今回は毎度恒例のパフォーマンス(例によって"パァ~フォ~マンス"と独特の発音・笑)はやりません!(確かに足元はバレエシューズではなく革靴)"ことば"に集中して進めていきたい」とのことでした。

続いて今回のゲストである歌人・穂村弘さんと精神科医で作家の春日武彦さんが登場。お二人の略歴を紹介したあといよいよ本題に。

(以下、芸術監督ドノ=「萬」、穂村さん=「穂」、春日先生=「春」、と表記します)

【萬】自分にとって"ことば"とはそのまま"台詞"の意味になる。「覚えなければいけない!」という恐怖心に駆られる(笑)。また、その台詞を駆使して皆さんを喜ばせている。相手(客)とのコミュニケーション・ツール。
【穂】ことばをコミュニケーションとするのは日常的なレベルの意識。"お金"と似ている。例えば「ここに千円あります」としたら、「紙幣が1枚」「銀(100円玉)が10枚」「アルミ(1円玉)が1000枚」とかいろいろ考えられるが、これらを日常ではそれぞれ"違う"とは思わない。あくまで千円という価値・記号としてのお金。しかし、その記号性が破れた時に別の意味が生じる。例えば「ギザ10(ぎざじゅう)」ってありますよね?
【萬】…いや、知らないです(会場「えーっ?!」・笑)…。
【穂】(笑)10円玉の横にギザギザが刻んであるヤツです。レアだと言われる(ココで芸術監督ドノ気付く・笑)んで必死に見つけて集めたりした。あるいは二千円札をもらうと有難がるとか、または自分の生まれ年…自分の場合昭和37年だけど…のコインを集めて喜んだりとか、そういうことをするのは子供や、大人だったらちょっとアブナイ人(笑)。お金を単なる記号として見ている人は健全だと思う。確かにお金に記号以上の意味を持たせている人はアブナイというか怖いというのはあるけれど(苦笑)、でもそういう観点を持つことに寄って生き生きとしてたり幸せだったりしている。「これってギザ10じゃん!」と叫ぶことで自分の中に、単なる記号を破った意味を創ることが出来る。これこそ詩人や歌人が求めているものなのだ、と。

【春】自分が日ごろ思うに、ことばとは"曖昧"で"不正確"だと。このようなもので良くコミュニケーションが取れるなぁと思う(笑)。多分、それらを裏で支えているのは、そのことばの勢いや文脈や、意思を通じ合う者同士のなれあいとかではないか。しかし、精神を病んでしまうとこの裏で支えているモノが機能しなくなってししまう。

(スクリーン:資料No.39)「私はスイスだ」(患者の言葉。ミンコフスキー『精神分裂病』より)

【春】これは「スイス」が永世中立国として一種の"自由の象徴"と認識されて発せられた言葉だが、本人は「自由になりたい」とか「スイスに行って自由になりたい」と言いたいのだろうけど、文としての構造が壊れて常識的なつながりが無くなってしまっている例。

(スクリーン:短歌について)「一行のことばの連なりで、世界が開示出来る」

【萬】短歌という"かたち(定型)"の中での表現。ルールの中での表現ということでは狂言(古典)と同類。
【穂】その定型の中でどうやって記号を破っていくか。例えば「二千円札はキャラメルの匂いがする」と言ったら…それはアブナイ人・キモい人か詩人(大笑)。映画『羊たちの沈黙』のレクター博士のような…これは春日先生の管轄のお話でしょうが(笑)。危険だけど生き生きとしている。

(スクリーン:資料No.1)「あっ今日は老人ホームに行く日なり支度して待つ迎えの車」(相澤キヨ)

【穂】この「あっ」というところが魅力(笑)。ここを例えば「火曜日は」などにすると言葉が記号化されて魅力が無くなる。社会性が強くなってしまう。
【萬】じゃあ「えっ」ならどうなりますか(笑)?
【穂】それでも良いです(笑)。社会性の無い「怖い人」になりたくないと思ってしまうと、ここの「あっ」を記号化したものに変えてしまう。「あっ」という表現が"破れて"いるから良いんです。

(スクリーン:資料No.2)「最期には納得できず死んで行く和牛たちよ今年は干支だ」(二宮正博)

【穂】「今年は干支だ」と、最後に和牛たちを励ましてるんですね(爆笑)。社会的には間違った励まし(笑)。干支は人間が勝手に考えたものだから。社会的には二重三重に間違っていても良い短歌だと思う。
【萬】牛丼喰いながらのシチュエーションだったりして(笑)。

(スクリーン:資料No.3)「蓋とらば鰻あるらむ鰻重の蓋とるまでのこの不安感」(村田一広)

【穂】コレはもう全体が「ギザ10」(笑)。全体が不安感に支配されている。社会的に「鰻重に鰻が入っている」のは当たり前。海老天丼なら蓋の外にシッポが覗いてるから不安が無いけど(笑)。社会的に「当たり前」であるところに不安を見出しているのが凄い。

【萬】短歌は五七五七七という制約の中。
【穂】短歌として型の中にあるから説得力がある。先ほど春日先生が出された「私はスイスだ」の途方もない怖さとは違う。自分は「短歌」という制約の中で表現していなければ今頃は精神を病んでいたと思う(笑)。
【萬】「私はスイスだ」の中に何か隠れているのでは?わざと隠しているので中身を探りたくなる?
【穂】型や象徴性をピンポイントで表現しているのでそう感じるのでは。

(スクリーン:資料No.4)「床屋では気づかなかったもみあげの長さが左右揃っていない」(船山登)

【穂】その場に居ても人間の判断はいい加減という(笑)。床屋の鏡でちゃんと見ていたはずなのに。人間の判断力が所詮この程度なら、結婚や家を買うなんて到底怖くて出来ない。膨大な情報の前で呆然とする人間の姿をこの歌から感じる(笑)。
【春】ある患者に、「先生、この本の中には実は宇宙の秘密が全て入っているんです」と声をかけられた。彼はこの一行で全てを表そうとしているのだが結果負けているように思う。逆により"記号"の方に向かってしまっていて、そうしないと不安なんだろう。破れた「無防備さ」は逆に強くないと出せないのではないか。

(スクリーン:資料No.6)「買い物に出でしそのまま置き去りにされはしないかちかごろ思う」(林達夫)

【穂】これは旦那さんが奥さんに置いていかれてるんでしょうね。
【萬】奥さんだけ買い物に行って旦那さんが留守番なのか、それとも買い物先で奥さんだけズンズン先に行ってしまって、旦那さんがぽつんと取り残されてるのか(笑)。いずれにせよ、まるで姥捨て山のよう。
【穂】「姥捨て山」と感じるのは、萬斎さんの頭の中に和歌のイメージがあるからでしょうね。

【萬】五七調というのは音の数を合わせるので音楽的な要素がある。
【穂】アジア圏にそういう共通性があるかも。五と七には音の魔力があって、戦前・戦中にはその五七調で戦歌が作られた。五七調はテンションが上がるので。なので戦後にはそのリズム自体が否定されてしまったが。
【萬】今の短歌の詠み方は"朗誦"ではないですよね?戦後の揺り返しだろうか?「そんなに散文化しちゃって良いの?」とも思う。
【春】調子が良いからと言って、必ずしも心に残るとは限らない。
【萬】意外に抜けて行くんですよね。

【萬】「漁に出ると演歌を歌いたくなる」というが(笑)?演歌も五七(七五)調だが?やはりテンションがあがるから?
【種】実はそれが怖い(笑)。昔から人が死ぬと短歌で送ったり、天災が起こると短歌で悲嘆を示したりする。ネガティブなことへのテンションが短歌であらわされることが多い。だから、逆に物事が上手く運んでいる人は俳句の方を詠む(笑)。政治家とか、社長さんとか。
【萬】字数の違い(短歌:五七五七七、俳句:五七五)になにか関係しているんでしょうか。

(スクリーン:「いろいろなことば(~なことば、が多数羅列してある)」

【穂】例えば"偶然なことば"として…

(スクリーン:資料No.40)「人生には関係ない」(ヨツアナカシパンについての、百科事典の説明の結語)

【春】ヨツアナカシパンとはウニの一種で、食べられるわけでもないので人間にとって特に益の無い生き物(笑)。そこを「人生には関係ない」と締めくくっている。これは逆に見れば「人間の知らない(関知しない)ところで様々なことが起こっている」ということ。世界は無限である、と(笑)。

(同じく資料No.40)「私を捨てないで下さい」(ゴミと間違えられかねない木片の手製ドア・ストッパーに直接マジックで書かれていた言葉)

【春】これはその木片の叫びが聞こえて来るようで…怖い、深いところをグサグサ刺されるような感覚がある。
【種】「人生に関係ない」と「今年は干支だ」は似ている(大笑)。
【萬】どちらも人間のエゴを感じますね(笑)。

「つくったことば」

(スクリーン:資料No.38)「勉強しようとすると、頭のてっぺんが何か南北に強く感ずる、麻痺してしまうみたい」(患者の言葉、若松和哉『セネストパチーの研究』より)
「頭がピンとつっまりような気がし、集中力に欠ける。以前あった思考線(言語新作)が開いて思考の集中が出来ず、額がのっぺらぼうのようだ」(同上)

【春】普通の言葉では言い表しにくいので、苦し紛れに出た言葉と思われる。例えば神社に参詣して急に背中が重たくなったような気がするのを「因縁張り(いんねんばり)」とか表現するような。本質のど真ん中を言い当てたいと思うのだけど、それを表現するには造語するしかなく、そうすると往々にして何を言っているのか分からない場合が多い。

【種】萬斎さんは子供のころから"二重言語生活"でしたよね?(現代語と古語を同時に使っていたということ)「俺、みんなと違う!」とか思いませんでした(笑)?
【萬】ケータイのメールを旧仮名で打っていた。「今日」を「けふ」とか。「なんで"けふ"で変換出来ないんだ?!」と(大笑)。自分は普段から狂言的言語を現代的言語に"翻訳"して、現代人である皆さん(お客)とコミュニケーションを取っているつもり。だから良く、お前の芸はモダンだとか、現代的過ぎるとか言われる(苦笑)。
【種】「このあたりのものでござる」というのが大好きなんだけど、その意味は?
【萬】"We are"でもあり、"私が演じる役は"でもあり、観客と同一であるという意識もある。共有感や近さ。「ここに住んでいる」という意味では無い。なので英訳の"residence"とは違う。
【種】それは凄いことばだ!
【萬】同心円的にみんなを巻き込む言葉だと思う。
【種】&【春】狂言を観ていると真似をしたくなる。真似してみると何だか分からないんだけど嬉しい(笑)。

【萬】コミュニケーションとしての短歌はどうか?昔は連歌の会とか、今でも宮中の歌会とか、その他いろいろな会で催されていると思うが…例えば、患者さん同士が歌を詠んだらどうなると思うか?
【春】実際にやらせてみたいと思っている他の先生はいる。しかし多分思ったより上手くいかないんじゃないか。一見凄いことばが使われていそうで、実はそうでもなかったり。
【種】以前はらい病や結核患者の隔離病院で良く短歌が詠まれていた。当時は不治の病と思われていたので、そういう一種の極限状態の中で短歌が生まれていたという背景もあった。

(スクリーン:資料No.10)「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!」(会議の席上)

【萬】若い社員さんでしょうか?誰が相手?上司?取引先?
【種】当然発言者の方が目下。「おっしゃった」までは社会的だったが…「じゃねえか!」で"ギザ10"に(笑)。最初から椅子を蹴倒していくのも怖い。かといって最後まで社会的であり続けるのもつらかった、と。

(スクリーン:資料No.11)「この花火はぐろぐろ回ります」(中国製ねずみ花火の注意書き)

【種】「る」の下の丸いところが無くなっただけで凄い表現になってます(笑)。

(スクリーン:春日先生が診た患者さんの絵①。壁に何枚も画用紙を重ねて大きく広げたところに激しい筆致で無数の曲線が描かれている)

【春】最初は英語の筆記体のようなものを描いていた。そのうちに勢いがついてきてめちゃくちゃに。最初は意味らしきものがあったが最後はなくなっている。落ち着かせるつもりで描かせたのだが、逆に興奮してしまった。単なる運動をやっていただけ。形は何かのようだが意味は全くない。結局発散出来ていないと思われる。

(スクリーン:春日先生が診た患者さんの絵②。台所の流しの壁に縦に幾筋もの黒い線と、その左に「呪」などの漢字が書きなぐられている)

【春】この患者さんは長い間部屋に立てこもっていた。縦の黒い筋は描いたものではなくロウソクの煤。その場所にロウソクを灯して、少しずつ位置をずらしていったらしい。「呪」という文字が見えるがそれ自体に意味はあまりない。一見凄そうだけど、暴走族が漢字を使って「かっこいい」と思うようなレベル。こちらが(「呪」という文字とその意味を分かって)勝手に期待してしまうから意味があると思いがち。
【種】文字それ自体や、文字の間違いは怖くないが、送り仮名が違っているのは怖いと感じる。そういう張り紙があったりするとビクッとなる(笑)。そう思いませんか?(【萬】&【春】、ちょっと怪訝そう・苦笑)そのずれ具合が怖い。

【萬】現代における短歌といえば、コピー(キャッチーな言葉)のイメージがあるが?

(スクリーン:資料NO.35)「けれども、君は、永遠じゃない」(パルコのコピー)

【種】これは結局「みんな(いつかは)死ぬ」という意味。「けれども」の前に"今の君は若くて美しい"という前提があって「しかし」永遠ではない、としている。つまり「もっと(思いっきり)生きろ!」と。より消費活動を活性化させる狙い(笑)?短い中にも美しさがある。「みな死ぬ」という絶対的真理、ど真ん中を突いている表現。
【春】その絶対的真理に付随する老いの醜さなどを隠している狡さもある(笑)。
【種】それが'80年代的な時代の輝きだと思う。徹底して前向きな。これが2000年代になると凄まじくリアリズムになって包み隠さなくなる。どちらも時代性とリンクしている。商品を売るというシビアさと自分の想いを(ことばに)託すシビアさを同時に持っていると思う。

【萬】言葉との格闘をしているという意識は?
【種】23才ぐらいの頃はあった。言葉に関しては世界の情報量のあまりの膨大さにクラクラする。なるべく"局地戦"にしているつもりだけど限界は感じている。萬斎さんは子供の頃から稽古をしているから自信がついている?
【萬】「信ずる者は救われる」的に(笑)。型というものを信ずることの拠り所にしているが、その点父はもう解脱していると言える。型が無くなって自在になっている。自分はまだまだ…。
【種】言葉の表現はそういうものに比べると脆い。言語表現に天才なし。テクニックだけでは補えない。現代は言葉が記号化していて、身体性も乏しい。音楽性とのシンクロ率も低い。
【萬】詩や短歌を詠む人達の孤独感みたいなものは今は薄れてる?今ならインターネットですぐ"お友達"が見つかるし(笑)。
【種】自分は実は歯の矯正をしている女性が好きで…探したらmixiにコミュがあった(爆笑)。宮澤賢治の孤独というものに思いをはせると、もし当時に今のように"エスペラント語コミュ"があったら?などとも考える(笑)。しかし(その孤独が解消されていたら)宮澤は宮澤たりえなかったのでは?

(これより質疑応答)

Q1:鰻重の短歌を聞いて。自分も同じような体験をカツ丼でした。仲間内で食事をした時、皆でカツ丼を頼んで、一人分だけご飯だけが入っていた。その瞬間、信頼関係がプツンと切れた気がした。感情のDNAの奥深いところにキズがついた感じ。鰻重の歌を聞いて、そこのキズに触った。そういう感覚を持っている者が、あまたの読者の中にも必ず居るというのを分かっていただけると嬉しい。

Q2:繰り返すと楽しいことばとういうのはありますか?

A2:【萬】「なもうだなもうだ」。踊り念仏。(ここで芸術監督ドノ実演)
     【種】ちょっと思いつかない(笑)。
     【萬】「うこん」「ちんすこう」とか(笑)。繰り返しただけだとあまり面白くないけど…字として見ると語順を変えたくなる(いきなりナニを言うんだ芸術監督ドノ・大笑)。
     【春】「おかいもの、おかいもの」(笑)。
     【萬】オノマトペを入れたりしませんか?
     【種】自分はあまり入れない。あまり上手じゃない(苦笑)。

Q3:『にほんごであそぼ』で、小さい子供達が難しい言葉を言っているが、どうやって覚えさせ演じさせているのか?

A3:【萬】あの子達はプロなので(笑)。記号的に覚えている。さすがに"味わい"とかを出すのは無理。絵などを見せてシチュエーションを感じさせるようにもしている。
     【種】意味の分からないことを繰り返すことの怖さに興味がある。(その言葉に)強い力があるのだけど意味が分からない、というのが好き。そういう点で古典というモノに強い興味があり、それは恐怖の対象でもある。
     【春】「反復する」というのは「酩酊」とほぼ同じ。反復するとどこかしら脳内麻薬が出て来る。気持ち良いはず。
     【萬】それは『三番叟』が同じ。
     【春】ただ、単純に繰り返しているとそこから逃れられなくなることもある。ストーカーなどがそれ。目的ではなく、その行為自体が主になってしまう。
     【萬】(古典で)型をすること自体が目的になってしまうのと同じだろうか?

Q4:若い人達の口癖に「普通に…」というのがある。実に気に入らないのだが、「普通に…」という感覚はどのようなところから来ると思うか?

A4:【春】「安心したい」という気持ちでは。例えば一時期"ガングロ"が流行ったが、ガングロ自体は突飛なものでも、ガングロのグループの中では安心出来る。しかしそうと言って、あなりフラットなのはつまらない。「普通に…」というのはそのどっちつかずな状態では。
     【萬】自分はずっと自身を「普通でない」と思っていた。今は開き直ってる(笑)。
     【種】能楽自体が突飛だと思う。
     【春】「特別」と…「変」というのもある(笑)。
     【種】萬斎さんは自信に満ち満ちている印象があるが?
     【萬】その自信の根拠が分からないと言われる(大笑)。単なる開き直り。普段から無理矢理テンションを上げる練習はしている。(テンションを上げる)スイッチングを植え込まれている。日常的なものは「生(なま)」と言って嫌われる世界。"非日常性=型"。
     【種】何となく羨ましい(笑)。自分達とは距離感がある。
     【萬】自分はサイボーグだと思っている。良い意味では無いけど…「009」みたいな。
     【種】(萬斎さんは)"一人っ子"だよねぇ(笑)。型を打ち破りたいと思うことは?
     【萬】既成のものを打ち破りたいとは思う。おもに狂言以外の舞台で。

Q5:自分は春日先生と同世代だが、この世代から見ると、昨今の現代詩等の"若者の表現"には、その表現に到達するまでの内面の葛藤が感じられない。何かを打ち崩そうとか刷新しようとか、根拠や動機を感じない。管理されている印象。表現の岩盤はどこにあるのだろうか。

A5:【萬】自分の場合、伝統という価値観が岩盤だろう。
     【春】自分は小さい頃、非常に不安感の強い子供だった。父が保健所で働いていたのだが、ある日職場に連れて行ってもらってそこでレントゲンの機械を見た。機械を移動させる足元のレールを見て、これは「世界一短い鉄道」だと思った。たわいもない例えだが、そういう発見が出来た自分を知って、急に気持ちが楽になった。それから自分にとって「見つける」ということに生きがい・支えが生まれたと思う。

(ここで質疑応答終了。最後にゲストのお二方よりコメント)

【種】舞台ってこんなにまぶしいのか(笑)。言葉の問題は語りつくせない。自分の人生に関わりの無いところに"何か"がある、ということが人生そのものに意味をもたせているのではないか。
【春】ここでのお話も楽しかったが、準備段階で資料を作るのも楽しかった(笑)。

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何を企んでいらっしゃるのでしょう。

えー…さまざまなところで波紋を呼んでいる(笑)ようですが…肩出し若旦那lovely

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/03/post_169.html

秋山さんの方が"いかり肩"(こら)bleah

なにせ、『鞍馬天狗』撮影の際も…「浪人役なんだから着物を着崩して襟元開けて下さい」と再三注意されても無意識に襟をきゅっと整えてしまうお方ですからcoldsweats01まずもって今まで肌を必要以上に露出する機会なんて無かったわけです。

強いて言えば…『あぐり』完全版DVDを見ていた時に見つけたアレですねcdどっぶり夜遊びしてきて、明け方に正体なく寝乱れているエイスケさんsleepy豪快に布団を剥いで太もも&胸元全開。あ、太ももは『鞍馬天狗』の殺陣でも景気良く披露されていたか…。

あ、はい、ですから普段全くと言って良いほど意図的な露出と縁の無いお方なので、今回のこのSePTのページみたいのをイキナリ出されると…

ごちそうさまです(爆)。

いやもう…これは素直に「綺麗だな」とshine鎖骨のラインとなで肩の"稜線"とのコントラストがたまらん(←一生言ってろ)happy02メイクもアイライン+ナチュラルファンデで地肌の透明感を損なっていない。こういう時やっぱ色白は最強。

…っつか、本当にコレで四十路なんでしょうか?逆サバとか読んでませんか(←それに何の必要が)??ヘアなんかアイドル系ですが?頭のてっぺんにしゅるっと伸びた一房の髪はいわゆるアキバ系キャラの「アホ毛」と解釈して良いのでしょうか(←脱線)???

落ち着け自分(泣笑)。

しかしまぁ、普通『マクベス』と言ったらもっさり髭をたくわえたむさい系の武将のイメージが強いんですが(若旦那のフェイバリット・ムービー『蜘蛛巣城』の影響もあるcoldsweats01)、この何ともたおやかで中性的とも言える写り方は、今回の舞台で何か新しい解釈が盛り込まれるという意識のあらわれでもあるのでしょうか?"盟友"吉田鋼太郎さんのAUN舞台『マクベス』がそれはそれは劇甘の(←これ、褒め言葉ね)ロマンティックな出来だったそうですが、当時のパンフに対談で参加している若旦那でしたから、それからの影響が何かあってもおかしくないかなとも思えます。当サイトの某常連さん曰く「(本を読み込めば読み込むほど)マクベスは根本的に善人、夫人はただ自分の夫を必死に愛した妻(と解釈出来る)」とのこと。自分も例のドラマ・リーディングを拝見していろいろ思うことがあったのでこの考えには納得。今回のこのイメージ・フォトでは二人とも余計な"飾り"を着けず文字通り"裸の(生身の)夫婦"として真正面を見据えている。今はそんな風に、自分なりの解釈をつけています。

…とか偉そうに書いてますが要は「美しい鎖骨万歳」と言いたいだけ(笑)。

そう言えば『国盗人』のイメージ・フォトも変わりましたね。無精髭が無くなって髪もきらびやかな銀髪に。表情も一変…笑顔と見るか一種の狂気と見るか、微妙なところが謎めいていてこれまたたまらんhappy02いったいどんな新しい舞台を企んでいるのだろう若旦那…。

これからのこのシェイクスピア二題、目が離せません!

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