カテゴリー「文化・芸術」の記事

激闘の鎧。

200907062131000 ちょくちょくお邪魔している某ブログさんにて情報をGET、「もう行ける日が無い!」と急遽、本日終業後に渋谷はBunkamuraまで足を伸ばしました。お目当ては…

Bunkamura20周年記念企画 Bunkamuraの軌跡展 Vol.2「邁進-Ⅰ」 7/2~7/8

Bunkamura内のギャラリーにて、今年20周年を迎える文化村の軌跡を振り返る企画の第2弾…今回『オイディプス王』アテネ公演時の衣装が展示されていると知って矢も盾も止まらず(爆)。

「多分大きなショーケースに入っちゃってるんだろうなぁ」と思っていたら、なんとむき出しのまま(笑)ボディだけのマネキンさんに着せられて燦然と輝くように立っておられました(感涙)。まず目に入った瞬間金縛り(爆)。更に近付いたら思わず手が出てしまいそうになる…周囲には特に「手を触れないで下さい」みたいな注意書きは見当たりませんでしたが常識で考えてガマンガマン。しっかりと腕を組んで自分を戒めて(おいおい)目を皿のようにして観察開始。

若旦那が着用していた王のローブ、サテン風の白の生地ですが胸元と腕、ほぼ上半身全体がくすんだクリーム色に変色しています。もちろん若旦那の汗の跡。過酷な環境だったヘロディス・アティコスでの当時の奮闘ぶりが窺えます。なで肩の若旦那なので、たぶん肩パットの類を着けてたんじゃないかと思うんですが、それも通してしまうほどの汗だったのかと想像。背面のマントにはあの墨絵のような模様。荒く織ったマント生地の上から直接、一気に筆で描いたのが良く分かります。マントの裾にほんの少し赤い汚れ発見!かすれた感じですがもしかして血糊?ラストの血まみれシーンではマントを外しているのでさてどこで付いたのやら…舞台の床に少し残ってたとか?

お隣はイオカステ麻実さんのドレス。生地は王のそれより光沢感が無く、さらっとした綿のように柔らかな感じ。胸元の赤いポイントのラインが鮮やかです。汗染みらしきものは見えませんでしたが、ちょうど膝から裾にかけてが擦れたように変色していて、そう言えばひざまづくシーンが多かったなと思いました。マントは袖と一体型のように見えて、袖部分はマントと同じような荒い織りの…例えは悪いですが網戸みたいな(笑)生地で通気性バツグン。マントの背中には王と同じように直に一気に書いた薄墨の文様があります。

どちらの衣装にも細かいほつれや小さな穴があって、まさにあの暑い熱いギリシャの夏を戦い抜いてきた"戦闘服"の勲章のように見えました。更にこの"二人"の横にはつき従うように3体のコロスの真っ赤な衣装が"ひざまづいて"います。前身ごろのお下げのような組紐模様にフォークロア的テイスト。良く見るとかなり凝った作りになっています。さすがに"徹底的に酷使された"コロスの衣装、ほころび方は王や王妃の比では無い(苦笑)。

衣装だけでなく、シアターコクーンでの2004年再演時のポスター、アテネ公演のパンフ&チケット(もちろんギリシャ文字)、公演を記念して描かれたヘロディス・アティコスの風景画なども展示。他の舞台のポスター等も沢山飾られていましたが、『オイディプス王』in アテネのスペースが一番大きかったです(笑)。また、DVD特典の映像も流されていて、いきなりどなり声が聞こえたなぁと思ったら、ちょうど蜷川さんがリハーサル中のコロスに檄を飛ばしてるところでした(大笑)。

あまり長い時間は居られず、後ろ髪を引かれるようにギャラリーを後にしましたが、未練たらたらで(泣笑)ギャラリーの外からももう一度覗きこむ。ギャラリーはガラス張りなので、ちょうど王と王妃の衣装の後ろ正面をガラス越しに拝むことが出来ました(喜)。王と王妃が寄り添うように、マントをたなびかせて舞台後方のドアに向かっていくあのシーンを思い出さずにはいられない…。

残念ながらこの展示もあと2日。お時間のある方は是非ご覧になっていただきたいと思います。勇気のある方は匂いを嗅いで来て下さい(こら)。平日の午後4時過ぎだったので人影はまばらでしたが、私の後に入って来た二人連れの片割れさんがオイディプス・スペースに入るなり「おー!野村萬斎だ!」と声を上げたのが何となく嬉しかったです(笑)。

詳細はこちらです。

| | コメント (0)

時節柄。

……若旦那、こんなお仕事もしてたんですかcoldsweats02

http://www.sanpaolo-shop.com/product/6973

このショップ、昔からしょっちゅう行ってたんですが全然気が付かなかった…。
(あ、宗教的バックグラウンドは全然関係無いですcoldsweats01

…ちょっくら顔出してみるかな(おいおい・笑)。

| | コメント (0)

MANSAI◎解体新書 その拾参②。

※①からの続きです。

それではここで、和央さんに一曲歌っていただくことに。客席からはわあっという歓声が。普段は大きいところでは2000~2500、小さいところで500ぐらいのキャパの劇場に出られるそうですが、ここSePTは小さめの方でしょうか?

曲は"Never Say Good-bye"。BGMと、シンプルなライティングのみのワンマンショーnotes舞台両サイドの客席の方を向いたり、舞台前方に腰掛けてみたり…ファンの方々はただただうっとりlovelyだったかと。

歌い終わり、満場の拍手。感想を聞かれて和央さん「とても気持ち良かったです!男役に近い雰囲気で歌ってみました。ここは良い劇場ですね(笑)。両横にいらっしゃるお客さんに歌うというのは初めてでした」。

再び着席してトークに戻ります。和央さん「人間の性格というのはどうしてもあるので、押し出しの強い人というのに物凄く憧れがあります。でも自分はそれが出来ないので、今までお話ししたように、違う形で("一歩引いた感じ"という意味か)表現しようとしていますね」。芸術監督「たとえば、黒澤明監督の映画で、非常に血なまぐさい残酷なシーンで、BGMに美しいアリアを流す、そういう"逆ベクトル"から狙った効果や魅力みたいなものでしょうか」。

男性にチェンジするスイッチングはどのように?という問いに和央さん「自分の中に入って行って、落ち着いて重心を落として…(このあたり、ちょっと抽象的でうまく聴き取れませんでした)」。小沼先生「それはスイッチとは違うかも知れませんね。もっとアナログな感じ。自分の中にある"別のもの"になっていくんじゃないでしょうか」。芸術監督「それもソフトな切り替えですね。そうなるように訓練されています。和央さんは自然に歌に入って行っている。自分の場合("歌"ではなく"謡")は、いきなり"ソレっぽく"なるんです。型の意識が強いんでしょうね」。小沼先生「狂言の場合は、女役でも声はそのまま男性ですよね。宝塚の男役は、確かに低めの声だけどやはり女性なんです」。

和央さん「『ガラスの仮面』の北島マヤのように(笑)"私は●●だ…私は●●だ…"と自分に暗示をかけるんですよね。声は作りません。キーが変わったかな?と思うくらい。自分の中に、男性的な線の太いものを作っていくんです」。小沼先生「声というのは扱いづらい。書くことも出来ない。聴いてみないと分かりません」。芸術監督「自分の声に対する客観性を持たないとダメなんですね。自分の声をそのまま"聴く"ことは出来ないから」。和央さん「(後で映像や録音を聴いて)こんな声だとは思わないですよ(笑)!」。

芸術監督「音程的(音域的)に違う人との合わせ方は?」。和央さん「低い声で合わせるのは難しい。自分の声のまま自然に下げて行くんです。声の指導は自分の責任で、ですね」。芸術監督「動きの真似なんかはしますか?」。和央さん「かっこいいなーと思う人の動きを見ることはあります。基本的には"盗む"ので(笑)。でも、先輩達がみな面倒見が良いので、いろいろ教えてもらえるんですよ」。芸術監督「もし拒否したらどうなります(笑)?」。和央さん「それは…『もうこの子は言っても無駄』と思われるんでしょうね(苦笑)。自分は、"自分流"を押し付ける気は全然ありません。『みんなで一緒にやろう!!』という気持ち。正規の練習時間後に『自主練やりたい人ー!!』と呼びかけます(笑)」。

芸術監督「どんな伝統でも変容してきますが、『風と共に去りぬ』や『ベルサイユのばら』のような代表作は、その時代その時のスターによって雰囲気が変わるものなんですか?」。和央さん「みんないつも自分みたいだったらイヤですよぉ(大笑)!!みなそれぞれの個性で、個々のバランスが取れた時に良いものが出来ていると思います」。芸術監督「我々の世界では"師匠にそっくり"というのが褒め言葉なんですが…最近さっぱり言われなくなりました(←意味深過ぎてbleah…さすが芸術監督)」。

小沼先生「伝統とは作っていくものでもあると思うんです。そういう意味では宝塚というのは伝統芸能では?」。和央さん「伝統芸能のしきたり的なことはあるんでしょうね。たとえば掃除の際(笑)、拭くやり方が決まってるんです。こうやって、こうやって、全部きっちり決まっている。それに則って、自分の割り当て場所を血眼になって拭く(笑)」。小沼先生「宝塚のラインダンスって、あの一糸乱れぬ揃い方が凄いですよね。ブロードウェイやオペラ座でもあそこまでは揃わない」。芸術監督「背の高さも足の長さも違うのに揃っちゃう。北朝鮮の軍事パレードほどじゃないけど(笑)」。和央さん「さすがにあれには敵いません(大笑)!」。

宝塚というシステムについて。和央さん「基本的には年功序列です。これは良い風習だと思う。"たとえあの世で会っても上級生"。家族的にならないんです」。芸術監督「それはいわゆる個性とは相反しませんか?」。和央さん「相反してますね」。

和央さん「みなさん、一度は音楽学校を体験してみた方が良いと思います。今はなかなか出来ない経験を得られますよ」。芸術監督「某ヨットスクールみたいなんですが(会場大笑)」。和央さん「なぜ、学校の廊下の端を直角に歩くのか(ここで直角に歩く実演・会場大笑)、最初は全然分からなかったんです。それは廊下の真ん中を先輩方が通るからなんですね」。芸術監督「合理性を求めることが、規律や型に繋がっていくと」。和央さん「『あ、上級生が真ん中を通るからか』と後から分かってくる(笑)」。

芸術監督「演劇と歌劇の違いはありますが、なぜお客さんは劇場にいらっしゃるのか?一つはライブの楽しさ、もう一つは"この世のものとは思えないものに逢いに来る"というのがあると思います。そこには古くの"見世物小屋"に通ずる"怖いもの見たさ"もあり、猛烈に美しいものを観るという意味もありますね。あと、歌劇なら音楽に乗せて"酔わせてもらえる"というのもあるかと」。和央さん「自分はもうとにかく『エネルギー出すのでみんな思いっきり楽しんで下さい!そしてそのあと自分に力を下さい(笑)』という気持ちですね。普段の生活の嫌なことや悲しいことを忘れて『一緒に遊ぼう!』みたいな」。

小沼先生「"芝居"というと言葉が主なんですけど、『こんなことしちゃうんだ!』と思ってしまうような身体の動きや、そういうことが出来るパフォーマーがいる。生身の人間の魅力。そのおかげで、最初は疲れたりふさいだりしていても、観た後は元気になっちゃうんですよね」。和央さん「私も、お客さんの前に出ると元気になるんです。ああ、このステージをやって良かったなと思えるんです」。

芸術監督「…なんで宝塚を引退するんですか(笑)?」。和央さん「宝塚というのは"引退するもの"なんです(笑)。頂点に立ったら、やめることをいつも考えます。そのやめる時点に向かってピークを持って行くんです」。芸術監督「古典はいつまでもやれるんですけど(笑)。その時々の"花の愛で方"がある。齢を経ても、古木に一輪一輪咲く花を愛でるようなところがありますね」。

時間も押し迫り、いよいよ恒例の芸術監督&ゲストのパフォーマンスタイムshineスタッフが2着の燕尾服を持って来ます。和央さんはステージで使うようなシャープなラインのもの、芸術監督はごく普通の(笑)…やや大きめに見えてしまうのは芸術監督の体形の所為かcoldsweats01まずステップや組み方の練習。いやはや、洋モノと和モノの動きの違いが歴然と。日ごろ芸術監督ドノが「バレエのダンサーは骨盤を上に、我々は下に向けて云々」と語ることが目の前で繰り広げられています(笑)。和央さんがステップを踏めば客席から「おお~lovely」と溜息、芸術監督がそれを真似れば(略)。体型の違い(さらに略)。

期待と不安(爆)いっぱいで始まったダンス・パフォーマンス。タンゴっぽいオープニングでしたが…始まってみると、芸術監督が意外に(失礼っ!)順応していて、笑いが巻き起こりつつも見入ってしまう。『国盗人』の悪三郎オン・ステージで使ったミラーボールが二人の共演に花を添えます…いや、ミラーボールが回りだした瞬間爆笑がsmile

ラストの決めポーズもばっちりおさまって、会場は拍手大喝采shine和央さん、くるくると回るステップを再度披露して「燕尾服の尻尾の先まで神経を通らせるつもりで…尻尾がついてくるように見せるんです」。芸術監督、それを真似てみせると「うーん、萬斎さんのはやり過ぎです(会場大爆笑)。なんかいやらしいです(笑)」。

最後に質疑応答。

Q1:型はアレンジするのですか?

A1:芸術監督「型を作った人の意識や意味を変えてしまってはいけない。そこに自分の味をどう入れるか。見え方はちょっとずつ変わるとは思います」。和央さん「アレンジして良いのかいけないのか、見極めないと和を乱すことになってしまいますね」。

Q2:宝塚の男役は夢を与えてくれる。狂言の女役は現実を見せる(笑)。男役から"一女優"として切り替えたところは?

A2:和央さん「自分は結構順応性がある方だと思う。でも茶々役の時は、普段男役として足を開いていることが多かったので、意識していないと開いてしまう(苦笑)。そこは普段から気をつけていました(笑)。映画の世界では、そこにいらっしゃる方々の職人気質の素晴らしさを感じました」。

Q3:萬斎さん演出・和央さん主演で何かやるとしたら?

A3:和央さん「とにかくいろいろ挑戦してみたい。自分らしくやってみたい。もし男役ばかりだったら、別に宝塚に居たままで良いのでは?となってしまう。男役だったことは隠し持って(笑)。男役・女役に関わらず、成長を目指したい」。芸術監督「和央さんと拮抗出来る役者さんがいないとだめですね(笑)。(和央さんが)非常に良い食材なので、"つけあわせ"がそれなりでないと(笑)」。

最後の最後に、和央さんと小沼先生から一言ずつ。

小沼先生「萬斎さんと和央さんの会話の中から宿題を出されたような気分です(笑)。この貴重な場で、大勢のお客さんと共に体験出来たのが良かった」。和央さん「実は、こういう場で話すのは得意じゃないんです(苦笑)。ちょうど、一昨年の今頃が退団した時期でした。今、このタイミングでこの時に、このようなお話が出来て、それは大変幸せなことだと思います。結構、萬斎さんと私は同じ考え方かも知れません(笑)」。

++++++++++++++++++++++++++++++

終演後、お客さんの一団がいつもと違う方向に出て行くなぁと思っていたら、いつもは開けていない階段も開けて流していました。玄関から出てビックリ!出口の両脇に黄色いロープが張られていて、その双方に黒山の人だかり。一瞬状況が飲み込めず、鈴なりの人の山の真ん中を抜けていくのにちょっと気遅れshockなるほど、和央さんを待つ"出待ち"だったのか…見慣れた終演後のSePTの風景を一変させるヅカ・ファンのパワーに驚くばかりでした。立ち見が叶わなかった方も大勢いらっしゃったようなので…もしかしたらこの時間までお待ちになっていたのか???

| | コメント (0)

MANSAI◎解体新書 その拾参①。

「男時・女時(おどき・めどき)」~様式性のメタファー~

2008年7月1日 19:00~ 於:世田谷パブリックシアター

※企画・出演:野村萬斎(世田谷パブリックシアター芸術監督)

※出演:和央ようか(女優・元宝塚歌劇団宙組男役トップスター)

     小沼純一(早稲田大学文学学術院教授)

(注:毎度毎度ですが文中の発言はその場で語られたままの言葉ではありません。聴き取り間違い、意味の取り違い、その他もろもろあることをご了承下さいませ)

今回で13回目を数える『MANSAI◎解体新書』、まず登場した芸術監督ドノよりさりげなく本の紹介(もちろん例の「MANSAI◎解体新書」・笑)があり、「もう13回になりますが、見逃した回がある方はぜひどうぞ♪」。毎回チケット争奪戦が激しいこのイヴェントですが、今回はいつもにも増して立ち見の人数が凄く、3階席までびっしりwobbly「まさにウンカのごとく(笑)お客さんがいらっしゃいます。今回ゲット出来た方は幸せですねぇ~…しかし何故か前の方にところどころ空席が(大笑)」。いや、もったいないもったいない。

いよいよ今回のゲスト登場の時になり「女優さんが出られるのでドキドキしてます(笑)」と芸術監督ドノ。いや、他の回も女優さんが出ていらっしゃったでしょうがcoldsweats02…と心の中で突っ込んでいると奥の階段から和央さんと小沼先生が登場!場内割れんばかりの拍手の渦。空耳か…「キャーheart04」という叫び声も聞こえたようなcoldsweats01お二人が舞台中央に到着しても全く拍手が鳴りやまないので、芸術監督自ら舞台前方に出て、両手をスパッと広げて拍手を抑える(『いいとも』でおなじみのアレ・笑)。「止まりそうになかったもので…」。

お二人に舞台上の椅子に着席してもらって、いつものようにゲストのプロフィールを読み上げる芸術監督ドノ。初っ端から和央さんの座り方に全くスキが無く…自分のように宝塚に関して全くの門外漢でも「ああ、ヅカっぽいポーズってこういうのか」と思ってしまうほどに決まっています。しかし足が長い。長すぎる。今回の当日券争奪には、昨夜の8時から並んでいる方もいらっしゃったそうでcoldsweats0224時間開けている施設ではないので、一旦外に出ていただくよう指示したという事態もあったとか。

まずは和央さんの出演された作品の映像や写真をバックスクリーンに紹介。最初はミュージカルの映像。宝塚ファンならばタイトルがすぐ分かるんでしょうが…もしかしてお三方の会話の中に出て来たかも知れませんが聴き取れず。和央さん、当然ながら男役。「ミュージカルって、セリフから突然歌に入るんで、観ていてビックリしたり、ちょっと笑っちゃいそうになるんですが」と芸術監督。和央さん笑いながら「そこのところは笑われないように出来るだけさりげなく変えてるつもりです」。よく宝塚のミュージカルではどんな場面でも前を向いて歌っているという印象があることについて、「自分は後ろ向きで歌うのが好きですね(笑)。(このシーンでは)背景に朝焼けがあるので」。芸術監督ドノから「背中のルックスにも自信ありってことでしょうか?」と突っ込みが入ったような…bleah

続いて和央さんの初主演映画となった『茶々--天涯の貴妃(おんな)--』のスチール写真。一枚目は少女に近い頃の姿。この時、同じ茶々役の子役の子と自分がソックリな顔立ちで驚いたそう。「宝塚時代、武士の衣装はよく着けたけれど、女の着物は経験がありませんでした。一度だけ"滝夜叉"という花魁の役をやったけど、背が大き過ぎて(会場大笑)…」。秀吉に腰入れする直前のスチールでは「この手の組み方が実に女性的ですね~notes」と芸術監督ドノ。「だから女性なんですっannoy」と和央さん(苦笑)。最後に勇ましい鎧姿。大阪夏の陣(で良かったっけ?)で徳川家康と対決するシーン。さすが元・男役、似合ってます。「こういう(戦闘シーンの)カツラは使ったことがありますね」。

芸術監督「世阿弥は"男時"を"出る時"、"女時"を"引く時"としました。それこそ陰陽道でいうところの"陽"と"陰"…あまり言い過ぎると女性蔑視みたいにとられても困りますが(笑)。和央さんはこの違いを乗り越えて演じられていらっしゃったわけですが、男役と女役の違いというか、定義についてどのようにお考えでしょうか?」ここに小沼先生割り込み「まず、宝塚での男役、女役の決め方はどうなってるんでしょうか?」これに和央さん「学校に入ってから自分で決めることになっています。しかし自分は背が高いので、女役をやりたいとは言えませんでしたcoldsweats01逆に、背が低い人が男役をやるのも無理ですね」。170cm以上のお姫様と釣り合う王子様役をつくるのが無理というところか(笑)。

芸術監督「狂言の場合は体型的なことだけでなく様式的なことも女役には重要になってきます。まず狂言の女役は素顔のままなので」。どうやって女になるんですか?と問う和央さんに「体型は男のまんまですから(笑)男らしさを消す形を作るんですね。自分は撫で肩だから都合良いんですが(笑)。頭には美男鬘という白い布みたいのを巻いて、顔の両脇に垂らして男っぽい輪郭を隠します。あとは立った時に体を細身に見せるように。肩を張らないようにするとか」。和央さん「だと、身体からどんどん"引いて"行く感じですね。こちらの男役の場合は肩とかに"肉を足していく"感じです。自分はこんな肩幅だからいらなかったですけど(笑)。立ち方の基本ですが(ここで立って実演)こうやって足を広げて、重心を下に持って行きます」。芸術監督「狂言でも、身分のある男、たとえば大名とか、威張っている(笑)山伏とかは、身体を大きく見せて歩きますね(と、同じく立って"山伏ウォーク"披露foot)」。

和央さん「貴公子ならこんな風にすっと背筋を伸ばして立ちます(披露すると会場からほーっと溜息lovely)。自分的には、ちょっと力を抜いて背筋を少し丸めるくらいがカッコイイと思うんですけど(と、そのポーズも披露)」。芸術監督「男の自分から見ると、マイケル・ジャクソンとかバリシニコフ、ガデスあたりがかっこ良さの理想でしたね」。対して和央さん「実は、世の普通の男性が格好良いんですよ。宝塚の世界は、格好良い男を目指してどんどん"足して"いっちゃうんです。しかし自分は"引いて"しまう(笑)。ローソンにいるお兄さんなんか、さりげない仕草が格好良い(会場大笑)。気取り過ぎない、力が入り過ぎない、そういうところがかえって良いんです」。

芸術監督「伝統的宝塚の演技とは違う?"宝塚っぽい"基本はどのように考えられていますか?」。和央さん「こういう"力が抜けた格好良さ"を求めている自分がいますが、基本の良さはちゃんと守っています」。芸術監督「それは伝統芸能でいうところの"楷書の芸から草書の芸へ"というのと同じだと思います。狂言ではしつこいぐらいに(笑)細かく型が決められてますからね~」。和央さん「宝塚でも『風と共に去りぬ』や『ベルサイユのばら』のような、ある意味古典的な作品では非常に細かく型が決まっています。そのかっちり決まっているところに気持ちを入れるのって大変じゃないですか?」。芸術監督「まず動きがあって、そこに自然と気持ちがついていく、という感じですかね」。和央さん「「形があっても気持ちが入っていないと、演ってる側も観ている側も、本当に恥ずかしい!bearing」。

和央さん「昔は宝塚があまり好きじゃなかった。まずあのお化粧が凄い(笑)。あの付け睫毛も!どう見ても日本人じゃないし(笑)なので興味がわかなかった。自分がそうだったから、宝塚に入ってからは逆に、そういう興味の無い人達に、宝塚を好きになってもらおうと、そのためにいろいろな道を考えてました」。小沼先生「"男性的な部分"を足して足していって、そこから引いていって"自分の形"が出来上がるんですね和央さんの場合」。

芸術監督「和央さんの中に宝塚を"疑う"気持ちがあるんじゃないですか?」和央さん「小さい頃は宝塚が嫌いでした(苦笑)。友達に誘われて生を観に行って、そこで初めて好きになった。でもいざ内部に入ってみると、とてもじゃないがアレは出来ないsign03(笑)。かなり客観的に見ている自分がいました」。芸術監督「僕は"能はつまんねぇなあ"とあっけらかんと(大笑)」。すかさず和央さん「そんなこと言ったら大変ですよ!!(←芸術監督にとってか、自分にとってもか?)誤解が無いように…coldsweats02」。小沼先生「今のご時世、すぐにネットに乗っちゃうからbleah」。芸術監督「自分の場合、嫌いではないけれど"距離感"がある。狂言というもものに対して常に不安があります。"これはこのままで良いのか?"とか"このままでまっとうに食っていけるのか?"とか。自分としては、この狂言を観る方々に"面白い!"と思って欲しい(ここで和央さん「私も同じですっflair」)。単に今ある型をそのまんま演じるだけではなくて、"なぜのような形になったのか"、と追及していって、その意味を理解して初めて本当の面白さを伝えられるんじゃないか。お手本そのままではなく、そこに自分の感覚で引き算をしていきたいです」。

それではたとえばオリジナルの動きということで、和央さんつばのついた黒の帽子を使ってパフォーマンス。まず、帽子の形を整えて、それを被ったり取ったりするポーズ(このあたり、言葉で表現するのが難しいので割愛・苦笑)。単に恰好をつけているのではなく、「その場面のシチュエーションを考えてから出る動きです」と和央さん。「格好をつけてるだけってのは芝居で観たら結構滑稽ですよね?」と突っ込む芸術監督ドノcoldsweats01小沼先生「最近は"格好良い"という言葉をあまり言わないように思います。なぜその対象物(人)を"格好良い"と思うのかは分からないのだけれど、宝塚にはその"格好良い"がまだ生きているように思いますね。和央さんを見ていると」。小沼先生、和央さんをしげしげと眺めながらちょっとヲトメな心情になってるかsmile「和央さんはここにこうして居るだけで格好良いんです。"目の前にこういう人がいるんだ!"という。どこがどうとは言えない、意図的でなくても格好良いんです。それが空間で感じ取れる」。小沼先生、やや暴走気味かcoldsweats01

芸術監督「(和央さんに)フォルム・様式性・侵しがたい均整、一番安定している美意識を保つための訓練があると思うんです。そこに至るまでの宝塚の稽古が凄そうじゃないですか?一つ一つがインプット、つまりプログラミングされているんでしょうか?」。その問いに和央さん「はい!」と元気よく(笑)。「観られることに対するバランス感覚や、時間や空間をコントロールする術(すべ)は、習うだけでなく経験からも得られますよね」と芸術監督。和央さん「経験上、男らしい形にしようしようと思うより、声でいえば普通の声で『おはよう!』と言う方が(ここで典型的な男役的『おはよう!』と、もっと自然な声での『おはよう!』を比較披露)、良いんじゃないかと気づきました。これで「力を抜いていこう!」と」。

「役のポジションに責任がついてくる(主役級ということか?)と"おせおせ"タイプの人は自分自身が熱くなってしまうけど、"引き算"の人はもっと醒めた批評的な眼を持っている。"離見の見"ということでしょうか。宝塚の先輩に『あなた醒めてるの?』とか言われませんでした(笑)?」と芸術監督。和央さん答えて「自分はさらさらした髪が好きだったので、あの髪をかちっとぴちっと固める(男役のアレ)のが嫌でさらさらのままでいたんですが、案の定先輩に『その髪はなにっannoyannoyannoy』と(苦笑)。ずっと後でその同じ先輩に出くわしたら『あら、その髪良いわね』だって(大笑)」。ポマードべったりのリーゼントも必要があればやるけれど「ダンスの中でリーゼントをくしゃくしゃにかきむしって苦悩をあらわして、そのあともう一度ピシッとさせる、というのも作りました。これはお風呂の中で考えたspa」。

芸術監督「狂言では衣装は昔のままでも髪だけ現代です(笑)。髪には特に左右されず、身体だけで表現しますので。演技中、振り乱してくしゃくしゃになっても直さない。だからしょっちゅう『ちゃんと切れ!』と言われちゃうhairsalon宝塚に"髪の演技"があるのが凄いですね」。

++++++++++++++++++++++++++

…長くなりそうなのでここで一旦切りますcoldsweats01

| | コメント (0)

目賀博士逝く。

TOP絵の更新、旧TOPはギャラリーへ。レポ・ページに『MANSAI◎解体新書 その拾壱』『野村万作萬斎 狂言の現在2007』『東京春の能・狂言』レポを清書UP。

普通なら「観世榮夫師逝く」とタイトルに書くところでしょうが、実のところ、観世師の舞台は喜寿祝いの『姨捨』シテと『子午線の祀り』大臣殿宗盛しか生で拝見していない手前、何か深く語れるでもなし…あの時の『姨捨』を観たというだけでもある意味貴重な体験だったのかも知れませんが、当時はあの曲の"全くと言って良いほど動かない"展開に、お恥ずかしながら何度も睡魔の壇ノ浦に入水しかけ、とてもじゃありませんがキチンと"鑑賞した"とは言えない状態でした。ただ、最後の最後、老女の面がふと見せた寂しげな、それでいて全てを達観したような表情だけがシッカリと印象に残っている、そんな体験であったわけです。まぁ一言で言えば、能初心者(今でもあまり変わりませんが・爆)の私には手に余りすぎる"重い曲"だったということでしょう。

『子午線の祀り』は遂にまとまった感想が書けなかった。感動の涙にむせんだ日もあったのですが、おおむねあのような展開(演出)の舞台に最後まで感情が乗っていくことが出来なかった。一部の俳優陣にマジ切れして本気で途中で帰ってしまおうと思ったこともありましたが、とにかく舞台がなんとか形になって欲しい、その気持ちだけで楽日まで引っ張って観てしまった舞台でした。観世榮夫師に関しては、その演出の手法よりも、知盛の意志薄弱な兄・宗盛を演じる姿に目を向けていました。見ようによってはコミカルな宗盛。チャットなどでは"ヘタレ兄ちゃん"などと、大変失礼な呼び方をしていたこともありました(汗)。あのコミカルな(コミカルと言ってしまいますが)演技は観る方によっては賛否あったと思いますが、"お堅い"能の世界の人があのような空気を創っているということの方が、自分には新しい発見でその点ではとても楽しく拝見したように記憶しています。

今回の訃報によって、ブログなどで師の過去の活動歴がそこかしこで紹介されています。『子午線の祀り』のような大きな舞台のみならず、アングラ・小劇場系の舞台の演出・出演も数知れず手がけていた師。舞台のタイトルは失念してしまいましたが、比較的最近の舞台のチラシで、師の顔写真をコラージュしたちょっと笑えるデザインのものを見つけて「ああ、こういうタイプの舞台にも出てるんだなぁ」と思ったこともありました。自分にとってはやはり1970年代に放映されていた古谷一行さん主演の横溝正史シリーズの中の『悪魔が来たりて笛を吹く』・目賀博士役が強く印象に残っています。当時はもちろん、その人が能楽界の方だとはつゆ知らず、小柄な体型に鋭い眼光、ちょっと不気味でクセのある存在感が目に焼き付いていました。下唇をやや突きだして、粘っこい声でボソボソと喋る。惨劇の舞台となる椿家の一体ナニを知るのかこの男は…"怪優"という称号がピッタリとハマる"怪演"だったと思っています。

おみ足の具合がかなり悪そうだったことも、今となっては長く患っていたらしい大腸癌との戦いも少なからず影響していたことと想像出来ます。あの不幸な交通事故は、当時事故責任が師にあったこと、警察が師の回復を待って事情聴取するといったような報道がなされていて、事態の深刻さを鑑みて敢えてBBSやこのブログに書くことをためらいました。結果的にこのような形で師の生涯が幕を閉じてしまったことは残念で仕方がないのですが、私の知らなかったことがほとんどですけれども、今になって師の様々な活動が紹介され、その意欲や情熱、強い反骨精神に今更ながら驚かされます。師ご自身にとって、ここまでのことは満足出来るのか、それともまだまだやり足らないのか、それはもちろん分かりませんが、今はただ、疾走し続けた"反骨の能楽師"のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

| | コメント (0)

コーヒーもう一杯。

レポ・ページに『現代能楽集Ⅲ「鵺/NUE」』感想&ポストトークレポをUP。

現代能楽集Ⅲ 『鵺/NUE』

「いや~困ったな~'60年代だよどうするんだよ自分…」と悩みながら(苦笑)足を運びました三軒茶屋へ。新宿のアングラ劇?若き日の蜷川さん?機動隊突入?フォークゲリラ?(いや、それはなかった・笑)…どうもあの時代にはなんか引っかかりがある。英吉利の港町に誕生した4人組に出会った(その年に彼等は解散してしまいましたが)のをキッカケに、生まれが遅くてリアルタイムで体験出来なかった時代の息吹に憧れて憧れて、実体験から得たのではない"幻影"をまるでホンモノのように"知ったつもり"になっていた時期が、かつての自分にはありました。音楽の側面からだけではありましたが。

いつしか冷めたんですけどね熱は。革命とか反体制とか既成概念打破とかLove&Peaceとか…何もかもが嘘くさく思えてきたというか。10ン年後にすうっと熱が引いた後、いったいどれだけの曲が音楽として自分の中に残ったのか。その時代に明確な意識を持って"実体験"してないから当然と言えば当然だけれど、そのあっけない"冷え方"に我ながら驚いたり(苦笑)。やっぱり自分は'60年代に生を受け、'70年代にいろいろ物事を考え始め、'80年代になってようやく自分なりの価値観を固めだした世代なのだなぁと確認したに過ぎなかったのかも知れません。

そんな負い目(?)を背負いながら、空港のトランジット・ルームに現れた"黒ずくめの男"がかつての仲間の前で紡ぎ出す「過去の幻影」を観ていました。正直言いまして、劇中劇はどれもこれもさっぱり意味が分かりません(爆)。当時のアングラ劇の、それも4つの劇の一部を抜き出した断片的なシーンだけ。当時の空気を知らず、更に当時の演劇の何たるかなど何一つ分からない自分がその意味を理解しようとすることすら無駄だったかも知れませんが、それならばそこのところが退屈だったとか不快だったかと言えばさにあらず。

暴走するように吐き出される"当時の言葉"を聴きながら、それでもその言葉を発しているのは紛れもない平成の役者さん達であると感じてしまう。意味も分からず聴きながら「この役者さん達が持っている空気は"今"だよな」と感じてしまう。当時を知らないのだから明確に比較することは当然出来ないのだけれど、「今っぽく感じちゃったんだから、多分当時とは違うんだろう」と想像することは出来る。当時を肌感覚で知り、その熱さの実体験を持つ方々にはもしかしたら噴飯モノのシーンだったかも知れません。しかし自分にとっては、「多分実際の姿とはズレているんだろう」というこの想像によって、また違ったアプローチでこの劇に入り込んでいく"道"になったように思いました。

「便所」という言葉が浮いている。「(当時は)みんなクスリでラリってた」というセリフの何か実感のない響き。役者さん達の力量の問題云々とは違う妙な違和感。トランジット・ルームという異空間に投影されている幻影としての「あの頃の芝居」は、あくまで平成の人々の目と身体を通して再現されている。これはリアルな思い出話ではない。"黒ずくめの男"は"昔とは変わってしまった演出家"に向かって「思い出せ!」と畳み掛けるのだけれど、そこに現れているのはホンモノではない。表現する者達によって、それを観る者達によって、このようにも、そのようにも、あのようにも見えてしまう。そんなところが"鵺的"だとも思えてきます。

もの凄く例えが悪いかも知れませんが、お葬式の場で故人の"偉業"を再現する劇を演じているような感じに見えました(そんなお葬式は普通あり得ませんが・苦笑)。後半に行くに従って、現実(どこかの国のトランジット・ルーム)と幻影(あの熱かった'60年代の新宿小劇場)がどんどん混然となってその境目が曖昧になっていくのですが、現実にふっと戻った瞬間の冷め方(醒め方?)に、いかんともし難い時代の隔たりがある。平成の役者達(劇中でも彼等は"平成の役者達"です)は、現代と'60年代との間の時空を行き来し黒ずくめの男の紡ぎ出す世界に惹かれながらも、最後はまた現実の、自分達の世代の価値観に戻っていく。あの時代を否定はしないけれど、既にその"役割を終えた"モノとして突き放しているようにも見えました。

ラスト、滑走路に現れた真っ黒いジャンボジェットを能『鵺』の舟に見立てて、葬送の意味を込めて"黒ずくめの男"(彼の"本体"は前日に日本の小さな病院で病死していた)を送り出すシーンの寂しさが、ただのセンチメンタリズムに感じなかったのは、時代の流れの中で戦い、敗れ、忘れ去られていく者達を送り出し、また送り出した側の者達もいつしか同じように時間の地層の中に埋もれていくかも知れないという無常観を自分がそこに見ていた(そう思いながら観たい、というのもあったでしょうが・笑)からだろうと思います。"黒ずくめの男"の遺骸(?)を演出家が抱えて舞台後方に去っていくのですが、それをハンディカメラで撮影している映像作家が「二人が(カメラのモニターに)映っていない」と狼狽する。"黒ずくめの男"と演出家が遠い昔に共に体験したことは、"記録"として残したところで何もその本質を後世に伝えることなど出来ない、と、その現象が語っているように思えました。

ジェット機の離陸する轟音と共に舞台が暗転し、明るくなった瞬間からカーテンコールとなったのですが、そのバックにボブ・ディランの『ONE MORE CUP OF COFFEE(邦題:コーヒーもう一杯)』が流れていました。万雷の拍手でメロディーがかき消され加減でしたが、この劇中劇の時代を生きた人々にとってはカリスマ的存在であったろうディランの、それから10年以上が経過し(この曲のリリースは'75年)同じく変容していった姿(ディラン本人というより彼の周辺・時代が変容していった)を示すような物悲しい旋律が本当に象徴的に使われていたように思いました。劇の中でも"黒ずくめの男"のセリフに「時代は変わる、と誰かが歌っていた」というのがありましたが無論これはディランの『THE TIMES THEY ARE CHANGIN'』('64年リリース)であり、さりげなくリンクしていたのかなぁと想像します。舞台に漂っていた煙草の煙に珈琲を一杯添えて、真っ黒い舟と共に静かに"黒ずくめの男=鵺"を送り出す、などとそれこそ自分がセンチメンタリズムに陥りそうな感覚でした(苦笑)。

ハッキリ申し上げまして、最初は芸術監督ドノが出演するポストトーク目当てで行きました(爆)。開演前、客席中央あたりに陣取った、大きなマスク姿の芸術監督ドノを発見し、いささか気もそぞろ(苦笑)になっていたのですが、劇も終盤に差しかかる頃には無意識に身を乗り出して舞台を凝視し、いつしか芸術監督ドノの存在も忘れておりました(笑)。パンフやポストトークで語られていた"複式夢幻能の形式"とか"言葉の持つ力"とか、演出家の宮沢さんや監修の芸術監督ドノが尽力されたところとは全く関係のない感想になってしまったのは申し訳なく思いますが、この舞台に対する自分の解釈の大きな間違いがあるとしても、思いも掛けず本当に楽しんで観てしまったのは事実です。時間とフトコロ具合に余裕があったらもう一回観たかった。一人一人の役者さん達の印象などあるにはあるのですが、ここでは一番「引っかかってしまった」ところを表すのみで終わりにしたいと思います。

| | コメント (2)

現代狂言。

いやこの日も暑かった…ダーリンの転勤で急に辞めることになった職場の仲間の送別会(にかこつけた飲み会・笑)に半分まで出席して、「え~行っちゃうの~?」の声にちょっぴり後ろ髪を引かれつつ千駄ヶ谷へ。汗だくになりながら某お方(笑)と待ち合わせて国立能楽堂に足を運びます。道すがら、普通の能狂言の会に必ずいらっしゃる着物姿のお客さんはほとんど見かけず。みな比較的ラフな格好で能楽堂の門をくぐって行かれます。若いカップルやら親子連れやらちょいとギョーカイ系の雰囲気を持った人やら…雑多な人々が集まった見所は実にリラックスモード。座席もほぼ満席。前日には笑福亭鶴瓶師匠もみえていたそうですが、今回は脇正面最後方のそのうしろ…いわゆる"御簾の中(笑)"の席だったにも関わらずオペラグラスの携帯を失念(泣)。始まるまでに有名人捜しを楽しもうかな~なんて思っていたのですがね(苦笑)。

※ご挨拶

開演のブザーが鳴り、切戸口よりナンチャン登場。黒紋付に袴、手にはマイク。ビックリしましたー!!そのなんとカッコイイこと(笑)!!以前今回のこの企画についてワイドショーの取材を受けて語っていたナンチャンですが、その際も淡い色の羽織袴姿で実に似合っていたのを思い出しました。実物は更にカッコイイ♪

一度口を開ければもうソコはナンチャンの話芸が冴えわたります。こういうところはさすが売れっ子芸能人、あっという間に見所のハートを掴む。「狂言と現代のコントが結婚して、出来る子供がこの舞台です。お客さんには是非、助産婦さんの気持ちになって『どんな子が生まれるのかな?』と見守って欲しい。」共演者についても「狂言とルー大柴…600年の伝統と"トゥギャザーしようぜ!"…」「狂言とウド鈴木…600年の伝統と"天野くぅ~~~ん!(←ウドちゃんのモノマネ)"…」と、見所を笑いの渦に巻き込みます。とにかく話が上手いし、そこに座長としての大きな存在感と、内に秘めた責任の重さを感じます。『ウリナリ狂言部』から始まった今回の経緯を語るに於いて、亡き野村万之丞師の遺したモノへの熱い思いも分かりました。

今回のお客さんの中には、狂言を観るのもこのような能楽堂に来るのも初めての方が多かったのではないかと推測されますが、もし慣れない空間に来て緊張している方が居たとしても、このナンチャンの話芸で随分気持ちがほぐれたのではないかと思います。

※『萩大名』

管理人、恥ずかしながら万蔵師、というか野村萬家の狂言はコレが初見でございます(爆)。今回の舞台鑑賞の目的はまず第一に『ウリナリ狂言部』の一つの成果を見届けることでしたが、同時にやっと萬家の狂言を観られるというのも大きな楽しみでした。

野村の本家(という言い方で良いのでしょうか?)ということで、先入観(爆)としては基本にしっかりと則った、よく言えば生真面目…視点を変えれば堅苦しい(失礼!)。そんなイメージを持っていましたが、いざ始まってみると…確かに(もしかしたらそれは万蔵師ご自身のキャラクターなのかも知れませんが)生真面目な、誠実な舞台ではありますが、ほのかに泥臭さも感じる、意外に骨太の印象を受けました。

ナンチャンの「ご挨拶」で見所の空気がかなりほぐれていましたので、正統派の狂言が始まってもあらためて畏まるようなことはなく、皆さん大声で笑っていらっしゃいました。私が座っていた"御簾の中"は何故か一様に実にノリが良く(笑)、万蔵師演じる大名がおバカな受け答えをする度に歓声に近いような笑い声が起こっていました。

今回の企画のコンセプト"狂言とコントが結婚したら"に合わせたワケでは無いのでしょうが、今まで観た万作家と茂山家の『萩大名』よりも、やや現代風にテンポアップした感じを受けました。まぁそれでも、機関銃のようにポンポンとネタが飛び出す現代のコントに比べればはるかにユックリズムなので、どちらかと言えばTVの人気者達目当てで来たお客さまが多いだろうこの見所のことを考えると、始まる前は反応がちょっと心配だったのですが杞憂だったようです。私も初の本家狂言を大いに楽しませていただきました♪

※『萩代議』

【選挙を控えた大柴代議士は、以前からの賄賂工作や家族の浪費・不祥事の補填やもみ消しの為に選挙資金が足らずに困り果て、大金持ちで文化の通人と言われる金満家の当主を訪ねて金の無心をしようとします。当主は訪れた客に自慢の庭を見せて一句詠んでいただくのを趣味にしているので、普段はそのような趣味など持たぬ代議士はなんとか句を詠もうと悪戦苦闘。秘書から"ブロックサイン"で句の言葉を送ってもらったり、あやしげな英語で(学歴詐称でテキサス大を出たことになっている)ごまかそうとしたり…】

『萩大名』の大名を、現代の代議士に置き換えた現代狂言。と言っても、登場人物はスーツ姿ではなく、裃や袴姿。シテ(笑)のルーさんはラメ生地の裃の胸に議員バッヂを付けています。橋掛かりに先頭で登場したルーさん、なんか上半身がブレてる(笑)。威張りくさった代議士のイメージで肩で風切って歩いているのか。意外に細身で驚きました。後に続く秘書と通人は若手お笑いコンビのエネルギー。この二人の後ろ姿が実に凛々しい!お二人ともそこそこイケメン(そこそこって失礼?・苦笑)な所為か舞台映えがします。

ストーリーは本家本元『萩大名』のパロディーになっています。シテのルーさんは現代的なセリフと、本家と同じ言葉遣いを混ぜて繰り出しますが、演出上かも知れませんが現代的な方に流れていたと思います。かっこつけすぎで逆に格好悪い台詞回しやあやしげな腰つき(笑)など、普段TVなどでお馴染みの"ルー大柴ワールド"全開!しかしここは、敢えて狂言の型にきっちりはめ込む部分と、ここぞというところで繰り出す"ルー大柴節"をハッキリ分けておいたほうが良かったような気がします。ルーさんが元々お持ちの胡散臭さや俗物振り(失礼極まりないです~・笑)が、この現代になぞらえられた代議士という役柄に実にぴったりなだけに、きちっとした型の中からその人間性を滲み出させてくる方がより効果的ではないでしょうか。徹頭徹尾"ルー大柴ワールド"ではどうしてもメリハリが無くなってしまっていたように思います。ルーさんがはまり役なだけに本当に惜しい!!

対するエネルギーのお二人は、これはもう見事なまでに型をやり通して立派に"狂言師"していたのが驚きでした。ルーさんが現代寄りだったのは、このお二人とのコントラストを考えてのところもあったかと思います。ピンと通った背筋にしっかりとした足取り、明晰な語り口は堂々たるもの。どーにもならん俗物の代議士の下で我慢して働いている真面目な秘書という役割にピッタリ。通人も意外に腰の据わった様子がうかがえて、なるほど文化にも通ずるお金持ちといったおもむき。プロフィールを見なければ二人とも若手狂言師だと勘違いされたかも知れません。もちろん見る方が見れば違いは歴然でしょうが、そのくらいしっかりと稽古を積んできたのだなぁと思った次第です。

学歴詐称にひっかけた英語のオチは少々弱く感じましたが、古典の狂言であれば可愛げのあるおバカさんの大名が、現代の代議士に生まれ変わるとアクの強い、裏暗さも持った俗物に変身する、その違いがとても面白かったです。前述のように惜しい部分はあったものの、とにかくルーさんがはまってました。蛇足ながら、ナンチャンのご挨拶の中に「今回、ルー大柴が近年まれに見る出来というオリジナルのネタを盛り込みます。本人は『上半期の流行語大賞も取れる』と意気込んでおります。」みたいなくだりがあったのですが…さてはて、この『萩代議』の中にソレを盛り込んだのでしょうか(大爆)??思いっきりスベっていたかも知れません(苦笑)。まぁそうであってのルーさんとも言えますが(笑)。

※『連句』

【下級役人の神様である東方朔(とうほうさく)は、天上の木や花の元気が戻るようにと上司である大神の命を受けて、元気の素となる美しい言葉を探しに下界に降りてきます。やって来たのは現代日本。まず最初に出会ったアキバのヲタクと一緒になって美しい言葉を求めますが、聞こえてくるのは元気を萎えさせるきたない言葉ばかり。途中で出会った詐欺師や代議士、建築業者からも美しい言葉は得られず、しまいにはクラブで踊って憂さ晴らしを始めてしまう東方朔。そこに大神と部下の童子が現れ、東方朔に下界での成果を尋ねますが、美しい言葉に出会えなかった東方朔は仕方なく、ここで覚えた言葉を連ねます。これがたまたま意味の通る美しい句となって、喜んだ大神は東方朔を褒めて任を解き、天上に帰るよう命じます。出会った下界の人々と名残を惜しみつつ、天上に戻る東方朔。】

今回の企画のメインディッシュとなる"現代狂言"。全体的な印象から言えばほぼ現代コントと言ってしまっても良いかも知れませんが、要所要所に狂言の型や表現方法を織り込んで(特にシテの東方朔ナンチャンは言葉にも動きにもしっかりとした様式性を持っていて非常に格好良かったです♪)舞台の中にコントラストを創り出していました。BGMは打楽器・笛(笙や篳篥も使用)・三味線の3名が地謡座のあたりに陣取って奏でられます。この音楽がエスニック調で実に良い!シルクロードの香りがふんわりと漂う土着的なサウンドは、故・野村万之丞師のアイディアに間違いないでしょう。人間の血肉に直接訴えかけるような土臭い芸能の息吹が感じられました。

ナンチャンの東方朔は烏帽子に紅い狩衣風の装束。天野っちのヲタクは白いつなぎにキャップにデイパックという"いかにも(笑)"ないでたち。大河ドラマその他でも実力は実証済みのナンチャンと、声の良く通る天野っちの掛け合いは、ギャグ仕立てながらなかなか見応えがあります。特に、東方朔の言葉遣いを真似して様式語りになる場面での天野っちは、このような衣装でいるのがもったいない(笑)ほどの朗々とした台詞回し。万之丞師がお元気だった頃の狂言部『盆山』をもう一度観たくなりました。個人的には様式の中の天野っちも観たかったと思っています。

詐欺師役のウドちゃんはもうウドちゃん以外の何者でもなく(笑)。目に鮮やかな黄色の上下スーツで橋掛かりに登場した時には、詐欺師というより福の神(爆)が似合うんじゃないだろうかと思うほどおめでたい。マヌケで全く人を騙せない詐欺師という点でははまり役だったのかも知れませんが…セリフを忘れたり、共演者との動きが合わなかったり、どこまでが天然でどこまでが演出なのやら観ているこっちは幻惑されるばかり(苦笑)。天野っちとの掛け合いが「久々にキャイ~ン漫才か?」と思わせるシーンも。それさえ予定通りなのか偶然なのか…ちょっと残念だったのは、ウドちゃんの立ち位置の関係で脇正面の席にお尻を向けてしまうポーズが多く、その状態であのウドちゃん喋りが始まるとほとんど何を言っているのか聴き取れない(爆)。詐欺師の講釈の内容は未だ謎です(笑)。

下界で様々な人間達に出会いながらも、美しい言葉を全く見つけられない東方朔はついにヤケを起こしてその人間達と一緒にクラブ(ちゃんと今風に"平坦イントネーション"でしたね・笑)に行くことになるのですが、そこで狂言と同じく"場面転換"があります。このあたりは、さすがに本職狂言師の方達のようにはいかなかったかな。実際は目に見えていない"背景の変化"をお客さんに想像させるテクニックは、当然ながら本職の方々が上。クラブでのドンチャン騒ぎシーンは、TV等で見慣れた出演者達そのままのキャラを見せており、ナンチャンは「ウリナリ社交ダンス部」よろしく、BGMに合わせてタンゴを披露(笑)。女性ダンサー役を務めた大柴代議士の秘書(代議士のあまりの横暴に耐えかね、同じクラブで飲んだくれていた)も袴姿でキビキビとした動き。ダンスが終わると見所から大きな拍手が巻き起こりました。

特別出演の万蔵師はさすが、大神役で橋掛かりに登場しただけで舞台の空気を一変させました。東方朔と同じ様な紅い狩衣風の装束に、手には白い撞木杖。ゆったりと大きく舞いながら橋掛かりを舞台へと進んでいきます。万蔵大神の足元に雲のような霞のようなモノが"見えて"くる…まさに「雲に乗って下界に降りてくる神様」そのもの(笑)。東方朔の帰りが遅いので大神自ら出向いて"美しい言葉集め"の成果を聴きに来たのですが…残念ながら東方朔の顔は暗い。出会った人達からもらった言葉はどれもこれも元気の萎えるものばかり。それでも仕方なく、東方朔はそれらの言葉を"収穫"として並べます。

ところが、この言葉の連なりが偶然に美しい意味を持つ一句となり、ソレを聞いた大神はたいそう喜んで東方朔を労い、その句を持って天上に戻るよう命じます。東方朔との別れを惜しむ下界の人間達。BGMは『赤とんぼ』(笑)。それぞれが何かと荒んだ気持ちを抱えていた人間達は、この偶然に出来た美しい句のお陰で心が和んだよう。おのおの自分のもといた場所に戻っていき、最後に残った天野ヲタクは東方朔の烏帽子と自分が被っていたキャップを交換、友情の証しとして去っていく。舞台上にはキャップを被った(笑)東方朔。BGMは再びアップテンポのエスニック調になり、東方朔が気持ちよさげに舞いながら橋掛かりに向かいます。ナンチャンの動きが実に大らかで、ハッピーエンドの余韻を更に深くしてくれました。

能楽堂が揺れるかと思うほどの拍手の中のカーテンコール。東京公演の最後ということもあって、出演者皆さんにホッとした表情がうかがえました。実は一番リラックスした表情だったのが万蔵師だったような(笑)。カーテンコールは3回だったような気がするのですが、某お方によると「もっとやったんじゃなかったっけ?」。手拍子と割れんばかりの拍手が全く止みません。最後には橋掛かり上でナンチャンと万蔵師の連れ舞いが観られるというオイシイ展開(脇正面席はお得でした♪)。エスニックBGMも最高潮に達し、この舞いとこのサウンドが、祝祭のような空気を生み出していたのが凄かったです。

「まずはとにかくやってみよう!」という意気込みを強く感じる舞台でした。単純に整合感の見地から言えば5割ぐらいのまとまり具合だったと思います。TVの人気者達のお馴染みのキャラクターに頼った(敢えてそのようにしたとも考えられますが)部分も散見されましたが、あれやこれやとチャレンジした"ごった煮"の中に、強い芸能のエネルギーを感じることが出来たのが嬉しかったです。そして、多分"外の世界の人達"との交流でこれほど大々的だったのは初めてだっただろう万蔵師の、実に生き生きと楽しそうな表情に、こちらの頬も緩みっぱなしになりました。人気者揃いの厳しいスケジュールの中、一つの舞台を仕上げるのには並々ならぬ苦労があったことと思います。お空の上の万之丞師はこの舞台をどんな風に観ていたのでしょうね。

今回は「旗揚げ公演」。これからもこの企画をねばり強く続けていくことに大きな意義があるのではないでしょうか。是非次回も拝見したいと思いました。それにしてもナンチャンは終始あっぱれでした!

| | コメント (3)