« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011・今年の10選&番外。

歳の暮れも押し迫りましたので、恒例?の"独断と偏見に寄るMY BEST 萬斎 STAGE"を今年も列挙してみたいと思います。いつもなら1位~10位まで順位をつけるのですが、今年は偶々初見で非常に面白かった曲が多かったのと、"BEST"よりも"番外"の方が気になったというのもあって(爆)ちょっとランキングつけが難しい…ということでBEST 10については公演日程順に挙げていくことにします。

  • 1/14 第53回野村狂言座 『麻生(あそう)』:初見。"国の宝"の頭を容赦無くペチペチ叩く倅さんに爆笑wカツラの髪を舞台上で実際に結いあげる場面では倅さんの手つきにドキドキwww
  • 3/28 MANSAI◎解体新書その拾八:東日本大震災後に最初に観た舞台(企画)。和蝋燭の揺らめく灯りの中での"祈り"と、ゲスト首藤さんとの"和洋ダンス合戦(?)"の高揚感。
  • 9/1 第55回野村狂言座 『不見不聞(みずきかず)』:初見。『三人片輪』よりも更にエグい(爆)リアル・ハンディキャップト同士の小競り合い。ギリギリ感たっぷりの笑い。
  • 9/15 野村万作萬斎 狂言の現在2011(関内) 『月見座頭(つきみざとう)』:ホールの空間にも全く揺るがない万作座頭の透明感。父子競演の美しさもただただ眼福。
  • 9/15 野村万作萬斎 狂言の現在2011(関内) 『吹取(ふきとり)』:初見。"吹き替え"無しの笛吹き萬斎を遂に観た(聴いた)wさすがに"本職さん"のようにはいかないまでも、それなりにちゃんと聴けてしまうのが凄い。お陰で肝心のストーリーを忘れるw
  • 10/20 万作を観る会 傘寿記念公演 『太鼓負(たいこおい)』:初見。中世の賑やかでどこか雅なお祭りの景色を堪能。傘寿の"座布団亭主"の可愛らしさに悶絶w
  • 10/22 新宿狂言vol.16 『川上(かわかみ)』:突然の不幸と"奇跡"の狭間に漂う"結婚10年の夫婦"のリアリティ。今までで一番すっきりと"自分の腹に落ちた"『川上』を体験。
  • 11/18 第56回野村狂言座 『瓢の神(ふくべのしん)』:初見。念仏ラインダンスwがいと楽し♪若手の元気の見せどころとも思えるので今後にますます期待w
  • 12/8 狂言劇場 その七 Bプロ 『奈須與市語(なすのよいちのかたり)』:"スパークする国の宝"を目の当たりに!傘寿の身体に"二十歳ばかりなる"若武者のオーラが…凄かった…。
  • 12/16 萬斎インセルリアンタワー11 『空腕(そらうで)』:初見。今年の"my締め"にふさわしいw萬斎師の魅力大放出の太郎冠者。空威張りもビビリも可愛過ぎてもうどうしてくれようかwww

10選は以上。そして番外…世間的に絶賛されたものもございますが、まぁこればかりは自分の気持ちに逆らうわけにはいかないので…。

  • 6/9~7/31 『ベッジ・パードン』:まさかの大番外。my初日は本当に面白くて楽しめたのですが…2回目以降から頭の中にどんどん「?」が増えていく三段逆スライド方式。やはり"sense of humour"の決着の付け方の余りの気持ち悪さと、前半にぐっと盛り上がった問題意識が後半にどっかに行ってしまったように感じたことかなぁ…震災を挟んで物語の空気をがらっと変えたことが脚本の整合性に影響していたらしいことは、書かれた三谷さんご自身が後々語っていらしたので、まぁコチラの感じたことは丸っきり間違いでは無かったのかな、と。エンターテインメントとして非常に良く出来ていたとは思いますが、今一つスッキリと出来ませんでした。期待が物凄く大きかっただけに…。
  • 12/3 狂言劇場 その七 Aプロ 『MANSAIボレロ』:ちょい拍子抜けの番外。特に前半の静かなパートで、どうも舞と曲のテンションがずれる感じ。"本業舞台"ならば何とも思わない衣擦れの音が変に気に触るのにも困惑しました。舞に籠めたコンセプトも分かるし、後半のパワーと華麗さはさすがとしか言いようが無かったのですけど、まだどこかかみ合い切れてないような…ただ、その日その日で印象が随分違ったそうなので、自分が観た日の相性の差かな、とも。
  • 12/8 狂言劇場 その七 Bプロ 『悟浄出世(ごじょうしゅっせ)』:希望的番外。レポにも書きましたがあらためて「まず台本を落とそう。話はそれからだ」(w)。あそこまでいろいろ作り込んだのならもう"リーディング"で終わるわけにはいかないと思いますので、殺人スケジュールの芸術監督ドノと重々承知の上で、是非『敦』シリーズの一環として再構築していただければ幸いでございます。お待ちしておりますw
  • 番外にさえなれない番外…『神秘域』@KAAT(爆)。会場への道中であえなく討死(泣)。自然の猛威と喧嘩は出来ぬ…。

10選が純粋な本業中心、番外が企画モノあるいは他流試合と見事に真っ二つな状況です(^_^;)

なにより今年は「3.11」がエンターテインメントの世界にも大きくのしかかりました。会場の破損や諸事情かんがみての配慮に寄る公演中止・延期が相次ぎました。幸い自分は体験しませんでしたが、上演中に揺れて怖い思いをなさった方も多くいらっしゃったようです。そんな中、『MANSAI◎解体新書その拾八』にて、芸術監督ドノとゲストの首藤さんが和蝋燭の柔らかい光の中に淡く浮かび上がったのを見て、確かにそこに「生きていること」の重さを垣間見た思いがしたのは大変印象的な体験でした。萬斎師&狂言に限らず、様々なジャンルのエンターテインメントには、前売りのチケットを手に公演日を心待ちにしながら、無念にも震災で命を落とされた方々の想いも注がれていたかも知れません。一旦公演が始まってしまえば、その楽しさの中に心を投じてしまうけれど、失われた多くの命と、今生きて(生かされて)いる自分自身についてふと考えた時、舞台はまた違ったモノに見えていたように感じた1年でした。

今年1年、当ブログ&母屋『DIVINE COMEDY』をご覧になっていただき、まことにありがとうございました。今年も大して成長の無い中身でしたが(泣笑)来年もマイペースで細く長く続けていければと願っております。

来年は是非、幸多き年でありますように。

     

| | コメント (3)

萬斎 イン セルリアンタワー 11。

2011121618090000 2011年12月16日(金)19:00~ 於:セルリアンタワー能楽堂

◆解説 野村萬斎

◆『雁大名(がんだいみょう)』
  
  大名:石田幸雄 太郎冠者:深田博治 雁屋:月崎晴夫
  後見:岡聡史

◆『空腕(そらうで)』
  
  太郎冠者:野村萬斎 主:高野和憲
  後見:中村修一

※解説

今年最後の若旦那舞台は、正面4列目ほぼど真ん中という好条件で拝見出来ました♪まぁ本当にこぢんまりした能楽堂なので、どこから観てもそう問題無いんですけどねw

(以下、萬斎師のトークを箇条書き的に。例によってメモ不完全により意訳多し。訂正・補足ありましたら宜しくお願い致します)

セルリアンタワーでの公演ももう10年、11回を数えた。自分が杮落としで『三番叟』をさせていただいて、それ以来ずっとお世話になっている特別な場所の一つ。それでもまだ10年なので(柱の一つを触りながら)木がやけていない。

本日は女性率が高いですねwww

今年を振り返って。私を今日初めて観た方には何のこっちゃ分からない話になるかも知れませんがw

3.11の震災の際はパリに居た。その月に『まちがいの狂言』を向こうに持って行く企画だった。情報がなかなか入って来なくて浦島太郎のような状態になってしまっていた。携帯も繋がらない。TVのニュースを見てもフランス語だから良く分からない。何とかPCからニュースを見て惨状を知った。その間もデマのメールが入って来たりして情報が混乱しているところもあった。

『まちがいの狂言』はパリで良くウケた。テアトル・ド・ソレイユという劇場で上演したのだが、そこの芸術監督が震災に対する募金を募ってくれた。上演後、装束を着けたまま皆で募金のお願いをした。向こうでは募金箱でなくシーツ(テーブルクロス)を広げてそこにお金を投げ入れるようにしてもらった。どこからでも入れられるし、どうせ入れてもらうなら"丸いモノ"より"紙"の方が良いのでw"紙"を入れやすい募金シーツだったwそれはSePTでもやってみたが結果は上々だったと思う。

日本に帰って来ても混乱の真っただ中だった。この中で、自分達は狂言というものをどう扱っていけばいいのかかなり悩んだ。こういう時だからこそ、という考えもあったが、結果的には3月いっぱいの公演は全てキャンセルして秋に回した。しかし狂言は「観た人を元気にする力がある」のだから、その後はそのためにもしっかりと活動させてもらった。

6~7月は三谷幸喜さんの舞台『ベッジ・パードン』に。2ヶ月の長丁場は初めてだった。こんなご時世(不況に震災が加わった)だからお客の入りが懸念されたけれど、さすがに人気脚本家と人気俳優メンバーの組み合わせは強くて、連日満員だった。春は自粛ムードが強かったけれど、初夏辺りから日本人の心の持ちようが変わってきたのかも知れない。ふさぎこんだところから一歩踏み出して行こうという気概を感じた。

震災で映画『のぼうの城』の公開も延期になった。本編中の水攻めのシーンが震災の津波を思い起こさせるとして。1年延ばしておそらく来年の秋になる。何年経ってもあの震災の生々しさというのは消えないものかも知れないけれど、この映画は人間が困難にどのように立ち向かっていくかを描いており、希望に満ちているお話なので、是非上演して皆さんにご覧になっていただきたいと思っている。

三谷さんの舞台が終わり、その後やるはずだった映画のプロモーションの仕事が公開延期になってごっそり抜けたので、暇になるかと思ったのだが、その舞台に拘束されている間、沢山の狂言舞台をキャンセルしていたので、それを挽回すべく公演がぎっしり入ってきた。その上、朝日新聞夕刊のエッセイの仕事も来た。皆さん、朝日購読されてますかw?もしされて無かったら今日の帰り、駅のKIOSKに寄って下さいw

今月上旬にはSePTで『狂言劇場』。「MANSAIボレロ」としてあのボレロを舞った。モーリス・ベジャールの振り付けで有名だが、半裸で肉体美を見せつける舞踏。女性のみならず、ソッチの方の男性も惹きつけられるのではw やはりああいう震災があったので、自分は再生のイメージを盛り込んだ。シルヴィ・ギエムのボレロを盛岡の岩手県民センターで観た。復興支援として彼女が企画してくれたもの。お客の反応が素晴らしかった。ギエムの舞踏に力をもらっているようだった。あの場に「再生していく力」を見た思いがした。

そろそろ曲の解説をしないと時間がwww

『雁大名』。狂言は階級のある世界。大名が出て来るが、いわゆる名の通った大大名ではなく、名主さんにちょっと肩書きが加わった程度。自分の土地に何か問題が起こった時、わざわざ都に出向いて裁判をしなければならなかった。それがめでたくまとまった際は、お世話になった人達を招いてもてなす習慣がある。大名は家来の太郎冠者に酒の肴を買って来いと命じるが、その訴訟事でお金を使い果たしてしまっているので、そこは律儀で機転の効く太郎冠者がタダで肴をせしめてこようとする。どんな作戦が展開されるのか、それは見てのお楽しみということでw

『空腕』。空威張りの話。「空威張りの腕自慢」という意味。普段太郎冠者が大ボラばかり吹いているので、主人がちょっと懲らしめてやろうとする。使いに行かされて真っ暗な夜道を進む太郎冠者。その後を主人がこっそり付いて来る。暗闇の中ではありもしないものにおびえてびびってばかりの太郎冠者なのだが、いざ家に戻るとホラを吹いて強がって見せる。それを主人がどのようにあしらうのか。昔の尺貫法が出て来るが、今でも自分の世界では尺貫で話をすることが多い。「あと一尺アップ」とか。(パンフを見ながら)「十四五間(じゅうしごけん)」とはメートル法なら180センチぐらい。

(12月25日気付。閲覧者の方から補足を頂けました。語句解説のところで、萬斎師が「間違えているところがあります。《十四五間は181センチメートル》とありますが、一間は畳横幅二畳分ですので、そんな訳はありませんね。」と訂正したのですが、文字が小さくてパンフの何処に書かれているのか探せないようだったとのこと。↓の老眼の話に繋がって行きますねw)

ちなみに計算すると、14,5間は25~27メートルになるようです。

(解説からちょっと離れて)こうやってパンフを見ると字が小さいなと思う。もともと視力は2.0あったのだけど、最近は手元が見えにくくてwwwこういう小さい字が苦手になってしまった。昔はアンケートに「パンフの字が小さい」と書いてあると「なんで見えないんだよ」と腹が立ったものだがw自分が同じようになってみると身につまされる。

【質疑応答】

Q. 今年観た舞台で印象に残ったものは?

A. (かなり考えて)やはりさっき話したギエムの『ボレロ』かな。観たいものは一杯あるのだけれど、忙しくてなかなか思うようにならなかった。自分の事で精いっぱいだったような。

Q. 『にほんごであそぼ』に出演しているのは何故?(←小・中学生ぐらいの女の子から)

A. 一言で言えば「頼まれたから」www 来年でちょうど10年になる。日本語の言葉の意味よりもまず、音の面白さを伝えるというところに、狂言のエッセンスを感じる番組になったと思う。子供達と一緒に居ると、幼児の心をつかむには自分が幼児の心になることだなぁと。例えば狂言の達人達は歳をとっていても「可愛い」と評されるw達人になればなるほど、子供の心になっていくから。「四十五十は洟垂れ小僧」と言われる世界だから、40代の自分はまだまだそこまで行けて無くて煩悩にまみれているwさすがに10年も経つと、共演の子供達とどんどん歳の差が離れていくのが…そのうち「おじいちゃん」の立場になっちゃうのかなw

********************************

※『雁大名』

初見。大名と家来の太郎冠者が結託してタダで酒の肴をせしめるお話wこの手の話は大体最後に失敗して終わりになるのだけれど、コレは珍しく大成功で終わります。なにせ大名が石田師、太郎冠者が深田師ですからおおよそ悪事を企むようには見えないわけで。どう見ても失敗モードだと思っていたので(あらすじ予習していません)意外でしたw

雁は剥製モドキのような小道具でも使うのかなと思ったら、羽根ペンを二回りくらい大きくしたぐらいの羽根の刷毛?で雁に見立てていました。もしかしたら後見が舞台上のゴミを集める時に使うアレかな?二人が示し合せて他人を装い、雁屋の前で大喧嘩。あわてて仲裁に入った雁屋が喧嘩に気を取られている隙にまんまと雁とふくさをかすめ取る。結構荒っぽい計画なんですが、前述したように石田大名に深田太郎冠者なもので…これで引っ掛かった月崎雁屋さんお気の毒としか言いようがございませんw

ラストは「しめしめ、上手くいったなぁ」で終わってしまうのがちょっと拍子抜けでした。やっぱり狂言の登場人物は最終的にはどこかで失敗して欲しいものだと思ってしまうんですねぇ。

※『空腕』

これまた初見。『弓矢太郎』も真っ青の、太郎冠者のビビリっぷりが最大の見モノ。いやいやいやもうこれはこれは…THE MANSAI無双とでも言うべき、萬斎師の魅力がダダ漏れ状態の太郎冠者でした~。主人の前での空威張りっぷりも、夜道でのグダグダなビビリも、もう一瞬一瞬が逐一可愛い!!なんだろうこの可愛いビーム全方向照射は!!どうしてくれようこの四十路!!そして滅茶苦茶笑える!!腹筋痛い(泣笑)!!

全体的にかなり写実に沿った演じ方に見えまして、それは観る人によってはあざとく感じられるかも知れませんが、何よりかにより観ていて楽しくて仕方が無い。ご一緒した某常連さんが「お客の反応をちゃーんと見てるよね~」と仰ってましたが同意。見所の空気もノッていたと思います。最初から太郎冠者のホラを見抜いていて、ひとつ罠にはめてやろうと企む高野主にSッ気(爆)が漂ってたのもまたよろし。結構ダークな空気背負ってたような?

なんかもう具体的な感想が浮びませんで「可愛い可愛い」と繰り返したいだけ(苦笑)。自身、これが今年の観劇納めであり萬斎納めだったのですが、春先からずっしりと掛かっていた震災の影がこの『空腕』大笑いで雲散霧消していくような心持ちでした。後ほど今年もMy ベスト10記事を書こうかと思ってますが今の時点では(自分が猛烈に楽しんだという点でw)TOPにしちゃっても良いかなーと。今はそのくらいの勢いですw

| | コメント (4)

『忍ぶの城』。

いやはや、何かとTwitterに助けられることが多い昨今。先日、何の気なしにフラフラとネット検索していたら「『キネマ旬報』2004年1月下旬号に『のぼうの城』の"原作"にあたる脚本『忍ぶの城』が掲載されている」という情報にぶち当たり、早速古書検索やヤフオクに突撃したのですが在庫なし。最も太い"頼みの綱"である神保町の演劇・映画専門の某古本屋さんにも無いことが判明、諦めかけていたところに、さるお方から「呟き見てました」とメールが舞いこんで、なんと『忍ぶの城』を確実に入手出来る場所を教えていただけました!

東京国立近代美術館フィルムセンター
http://www.momat.go.jp/FC/fc.html

早速行ってまいりましたw 東京メトロ銀座線京橋駅1番出口から徒歩1~2分ほど。コチラの4階の映画専門図書室に(ハッキリと確認はしていませんが)『キネマ旬報』の創刊から最新刊までが、4冊ほど毎に布張りのハードカバーを掛けられ、書架に年代順にずらりと百科事典の如く。現物の貸し出しは出来ませんが、有料で読みたい部分のコピーが出来るのが有難い。コピーは自分でやるのではなく、複写許可証を書いて係の方にお願いする形になります。

コピーを待っている間(と言っても5分ほどだったでしょうかw)、2001年10月下旬号を引っ張り出して『陰陽師』記事を拝読(←自宅にも同じモノがありますがw)。インタビュー記事の萬斎師の写真がさすがに若いwww 『忍ぶの城』だけなら白黒コピーで、500円ワンコインで充分お釣りが来ます。貴重な蔵書を扱っているので、セキュリティーの関係で大きなカバン等は持ち込めませんが(図書室の入り口にコインが返って来るロッカーあり)、資料を読むスペースは充分にあるので、映画ファンならその場で開室時間中ずーっと過ごせるかも知れません。

さて、コピーしていただいた第29回城戸賞入選作品『忍ぶの城』。脚本形式で書かれているので中身は当然台詞とト書き。最初のページに登場人物の一覧表があるのですが、「成田長親(なりた・ながちか、45)」には笑ってしまった。今年、予定通り公開していれば"中の人"とまさに「どんぴしゃり」だったんですねぇw 各キャラクターの台詞は、ちょっとした言い回しの違いはあるでしょうが小説の方とほぼ変わらず。小説版のような心情や状況説明の文章が無い分、かえってテンポ良く読める感じがします。台詞だけから状況や心情をいろいろ想像出来るのも楽しい。

一番の違いは、当然ながらあくまで脚本であり、ここでは誰か特定の俳優さんに当て書きしたわけでもないでしょうから、登場人物の見てくれ(いでたちではなく顔や身体の造作)の描写がないことですね。つまり小説版のぼう様のあの特徴的な図体設定はこの"原作"には無い。初めて映画化が決まって萬斎師がキャスティングされた時点では小説版が出ていなかったはずなので、あくまでこの脚本の中の台詞や行動から内面的な部分の表現を考えて適役とされたのでしょうね。当たり前ですが(汗)。

「ナンダカヨクワカラナイヒト」という共通項はありますけどねwwwww

以前、Twitterの某フォロワーさんが聴講されたある講演で、確か犬童監督だったでしょうか(間違ってたらすみません)、「元々のぼう様は別段、大男という設定では無かったんです」というようなお話をされていたそうです。キャスティングされた萬斎師が小説版ののぼう様とイメージがあまりにかけ離れているのを疑問視する声がちょこちょこ上がっていた頃なだけに、あまりあの見てくれの描写に拘らないで観て欲しいという思いもあったでしょうか。

まぁそれだけ、あの小説版の"でくのぼう"の描写が読んだ人の中に猛烈に刷り込まれているということなんでしょうね。説明的な部分がほとんど無い、丁丁発止の台詞のやりとりが生き生きとしてあらわれているおおもとの脚本版を読んでみるのも、ちょっとしたリセットになるかも知れません。

フィルムセンターの件、ご存じの方は今更でしょうが、ご参考までにm(__)m

| | コメント (0)

MANSAI◎解体新書 その拾九 『語り』~語り物の系譜(リテラチュール オラル)~。

2011年12月9日(金)19:00~ 於:世田谷パブリックシアター

◆企画・出演:野村萬斎(世田谷パブリックシアター芸術監督)

◆出演:今井検校勉(いまい・けんぎょう・つとむ 平家琵琶検校)
     薦田治子(こもだ・はるこ 武蔵野音楽大学教授)

今回は2階席。二日続けて2階の最前列。夏は良いんだけど、冬は着膨れしてるから2階の狭い椅子がちょっと窮屈(*_*; めげずにメモ取りしましたが、毎度毎度ですがあやふやで聴き間違い・咀嚼間違い多々ありと思います。訂正・補足等いただければ有難いです。

舞台上はいつものように椅子や机が置かれず、緋もうせんを掛けた台が中央に。今井検校さんの座する場所でしょうが…ということはいきなり検校さんの平家語りから始まる?と構えていたところ、いつもと変わらぬタイミングで芸術監督ドノ登場w今回は解体ルックでは無く黒紋付袴。挨拶の後、検校の琵琶を聴くのは今回が初めてということで、まず芸術監督ドノがワクワクしているwここでも検校さんのご登場は無く、今回の聞き手の武蔵野音楽大学教授・薦田治子先生が先に登場。

(以下、「萬」=芸術監督ドノ、「薦」=薦田先生、「今」=今井検校勉氏の表記で。聴き取れなかったところはファジーにしてあります(^_^; )

萬:(『平家物語』について)書かれたモノと言うより、口承文学では?

薦:文学作品と言うより音楽作品。皆さん「?」と思われるでしょうが(笑)。

萬:能狂言も「音楽か?」と言われればそうでもあるし…。

薦:メロディーが付いていて聴いて楽しむモノ。歴史的には「平家(へいけ)」という琵琶で語る音楽、という認識。いわゆる源氏のライバルの家系である平氏も「平家」と呼ばれるので、音楽の事なのか一族の事なのか、聞いただけでは分からず混乱してしまう(苦笑)。

(スクリーンに「平家」の歴史投影)
 13世紀    誕生(鎮魂や布教の為)
 14世紀    明石覚一の登場(←天才と言われた)
 14~15世紀 為政者や知識人の間で流行
 19世紀    明治維新による衰退

薦:(スライド説明しながら)「平家」は明石覚一という天才が確立した。文化はたいてい、一人天才がいれば発展する。能楽における観阿弥・世阿弥のように。16世紀頃に古典音楽化された。「平家」の誕生から300年。頑張って2~300年続ければ古典になる(笑)。

萬:じゃあ「MANSAIボレロ」も300年続ければ古典になる(笑)?

薦:ここまで続いたのはやはり音楽であったこと。眼から入る字ではなく「音」であったからこそ魂が伝わったのだと思う。

萬:やはり平家(壇ノ浦で滅んだ)への鎮魂の意味で作られたのか?

薦:壇ノ浦の後、世情不安などがあると皆「平氏の所為か(祟りか)?」と思ってしまう傾向があった。その怒りや呪いを鎮めるための音楽であった。

萬:滅ぼしたモノを逆に崇め奉ることが鎮魂に繋がる。

薦:現在の源氏政権を正当化する為に、平氏の恨みを鎮める役割の「平家物語」が存在したとも言える。

萬:「平家」は最初から琵琶法師がやっていたのか?

薦:「平家」より前に琵琶はあったし、琵琶法師は民間の芸能人として存在した。当時寺が仏教と芸能と発信源となっており、琵琶法師に「平家」による鎮魂の役割を託した。盲人が「平家」をやることには意味がある。音楽を習得する為には沢山の時間が必要。眼が見えないことで生業を持ちにくい盲人は音楽を習得する為の時間を充分取れる。眼が見えないことで聴覚が健常人より発達しているのも都合が良かった。

(スクリーンに琵琶の種類投影)
 雅楽琵琶(奈良時代)
 平家琵琶(鎌倉時代)
 盲僧琵琶(江戸時代)
 近代琵琶(明治時代)

薦:薩摩琵琶や筑前琵琶はこの近代琵琶に属している。それぞれに専門の楽器と譜がある。鎌倉の頃から、平家物語を語る為に受け継がれてきたのが平家琵琶。今井さんがその平家琵琶の正統後継者ということになる。

(スクリーンに琵琶法師の絵姿投影)
 初期の琵琶法師。簡素な服。琵琶を持っているが、他に笛なども奏でることが出来た。法師である条件として"琵琶・僧体・盲人"。
 江戸時代の琵琶法師。立派な衣を身につけ、琵琶の他に三味線・箏(こと)・胡弓が出来、歌も歌った。
 中世頃から「当道(とうどう)」という盲人の組織も作られ、階級制がしかれていた。上から「検校」「別当」「匂当」「座頭」。この階級を上がって行く為には莫大な費用がかかるので、琵琶の他に金融業などもやっていた。

萬:(スクリーンに投影された琵琶法師の階級表を見ながら)来年の6月に井上ひさし先生の『藪原検校』という芝居をやるが、この最下層の座頭から最高位の検校になる為に血みどろの手段をこうじる役どころなので、是非ご期待を(笑)。

(スクリーンに『那須与一』と『奈須与市語』)

薦:表記が違うが中身は同じ。表記の仕方は変化するものなので、まぁどちらでも良い(笑)。

萬:狂言は基本的に口伝えで習うモノで、元々台本にあたるモノは無い。やがてこれを書きつけて記録として残すようになってから古典化した。

薦:琵琶の方も台本はあるが、あまり厳格に気にしない。聴いているお客さんとのやり取りの中で少しずつ変えて行く場合もある。もし間違ったら間違ったで、最後につじつまを合わせれば良いようなところがある。

(ここで薦田先生が平家『那須与一』のあらすじを説明、その間、舞台上では緋の台の上に琵琶が置かれ、背後には屏風が。その後にいよいよ今井検校勉さんが手を引かれて舞台に登場。先ほどスクリーンに投影された江戸時代の検校の絵とほぼ同じいでたち。芸術監督よりプロフィール紹介され、『那須与一』上演。)

【今までに聴いた琵琶語り(大体が薩摩琵琶)とは随分違う印象。母音を長く長く伸ばして揺らがせて、小節の中では大きな変化は無いのだけれど、曲全体を通してゆったりとクライマックスに向かっていく。実は近くの席でイビキをかいていた方がいらっしゃって、イビキはマズイにしても気持ち良くなってしまうのは分かる気がしたw検校さんの声は意外に地声っぽく素朴に聞こえたのだけれど、非常に「まろい」。聴く耳に優しい、包み込むような感触。『耳なし芳一』で芳一の琵琶と語りが平家の亡霊を引き寄せてしまうのはこういうことだったのか、と変に納得してしまいました。琵琶も「掻き鳴らす」というよりはポイントポイントで「つま弾く」ような。確かに薩摩琵琶と比べると随分原初的な感じがしました。】

(休憩を挟んで芸術監督ドノの『奈須与市語』。黒紋付から裃・長袴にチェンジ)

【まさか「二日連続・野村父子の『奈須』比べ」が観られる(聴ける)とは!2階席までビシバシ気合いが飛んで来るのはやはり倅さんの奈須だなぁと。特に今回は、登場人物の演じ分けを意図的に見せていたように思えました。検校さんの『那須』はあまりハッキリとした演じ分けが無く、物語全体をラストに向かってゆっくりと揺り上げて行く見せ方なので、もしかしたら芸術監督ドノが対照的に見えるように演じ分けのメリハリを強めにしたのかも知れません。その所為か、久々に硬質な感じの奈須を拝めたなぁと。】

(芸術監督ドノが着替えて、お三方によるトーク)

萬:今まで聴いた平家と違う。音楽なんだなぁと思った。

薦:そう言って頂けると(笑)。

萬:意外にさらりと喋っている感じがした。情景描写に何か法則が?

今:(かなり間を置いて)…難しいですねぇ(苦笑)…。

薦:声を聴かせるところと、サラっと済ますところはハッキリしているが、人物の語り分けはあまりハッキリさせないところがある。

薦:五線譜では表せない節がある。音程では無く、節を歌っているという意識。

今:20代・30代の頃は、とにかく師匠から教わったモノを間違えないようにするので必死だった。登場人物の気持ちになって歌うようになったのは最近。師匠が亡くなった後も、歌っている自分の後ろにずっとついているような気分だった(笑)。『那須与一』は自分が与一と同じ二十歳の時に初演だった(芸術監督思わず「私もそうです!」)。与一と同じ二十歳だったから、その時は何となく与一の気持ちが分かったようだった。

萬:上げて下げて・伸ばして止めて、という琵琶の不規則な弾き方が不思議。

今:実は動きはほとんどない。良く琵琶の音というと「ぴよ~~ん」というのを思い浮かべる方も多いと思うが、あれは近代の琵琶の音で、自分がやっている音では無い。

薦:三味線は演奏中に調弦を頻繁に行うが?

今:曲の途中で調を変えている。その場の環境で糸の張りが変化するのもあるが。

萬:声に関しては、最初緩やかに始まって、段々音が太くなっていく感じ。声帯だけでなく身体全体が鳴っているような。

今:(我が意を得たり、という風に)その通りです!「三重(さんじゅう)」という高い音は喉だけではダメ。身体ごと響かせるような…。

萬:声が上がって行く過程が素晴らしい。ある種の精神性を感じるが?

今:(再び間を大きく開けて)…さて、どう答えたら良いものか…そのような質問は初めてで(笑)…。

萬:狂言では曲によって"インチキ平家(笑)"を謡うが、それには「うねる」ニュアンスがあるのだけれど…。

今:浪花節のようなうねりは無い。そういううねりはダメだと言われる。今日は声の調子が良かった(笑)。ダメな時は1音落として合わせてみたりする。

萬:自分が(『奈須与市語』を)初めてやった時は、声が自然にどんどん上がって行った。今日の今井さんのを聴いて、同じようなものを感じた。

今:裏声でならいくらでも高い声が出るのだけれど、それでは「平家」というものの価値が無くなると思う。だから調子が悪い時は無理に出そうとせず、1音なり半音なり下げてしっかりとした声が出るように合わせている。

萬:狂言の『奈須与市語』には、見事に扇を射落とした与市に源氏の武将達が「乳吸はい、乳吸はい」とからかうという、狂言らしい場面があるのだが、琵琶の方にもそのようなコミカルなものは?

薦:そういったものもある。

(スクリーンに平家の伝承8曲名を投影)
 『鱸(すずき)』『竹生島詣(ちくぶしまもうで)』『那須与一』『生食(いけずき)』『宇治川』『卒塔婆流(そとばながし)』『横笛』『紅葉(こうよう)』 今現在継承されているのはこの8曲のみ。

萬:『祇園精舎』の復曲があったそうだが?

今:自分が20代の頃にはもう廃れていたが、津軽の方の眼の見える方の伝承で残っていたことが分かった。2000年にそれを名古屋風に直した。

(ここで今井氏による『祇園精舎』実演。琵琶無しで)

今:平家はもともと200曲あって、この『祇園精舎』は先に199曲を習得してから最後に手掛ける200曲目、秘曲中の秘曲であり、なかなか最後まで習い切れず、廃れてしまいがちであった。

薦:京都の方には200曲マスターした人がいた。

萬:(『祇園精舎』で)高い音と低い音の落差が凄かったが?

薦:その落差で鐘の音の響きを表現したのでは。先ほど萬斎さんが狂言に出て来る"インチキ平家"について仰ってたので、それをリクエスト(笑)。

(芸術監督ドノ、"インチキ平家"実演w 狂言『清水座頭』等に出て来る平家節)

今:全然インチキには聞こえない(笑)。TVとかで流れている『祇園精舎』こそインチキ(笑)。(ココでそのTV番インチキ祇園精舎を実演。いかにもな旋律。まさか大河で使われてるものとか?)

萬:狂言の目線は名のある武将では無く雑兵達に向けられている。さっきのは戦の混乱の中で互いに顎と踵を斬り落とされた雑兵達が、慌てて顎と踵をあべこべにくっつけてしまった話。やがて踵に髭が生え、顎にあかぎれが出来てしまった(笑)。

薦:さすがに平家にはそういうのはないですね(笑)。

【質疑応答】

Q. 平家琵琶が衰退していると聞いて心配になったが、後継者はどうなっているのか?

今:正直言ってしまうと、いない。箏(こと)を小さい頃から習って、声変わりの時期から平家をやるのがセオリーだが、今は習う人も成長してしまってからちょこっと習ってそこで終わりになってしまうのがほとんど。

萬:芸を聴いてくれる環境も無いといけない。狂言も同じ。自分の問題としても痛感する。

今:何年もかけて習うものだから続けるのが難しい。

萬:稽古は口伝えで?

今:まず文章を覚えるので1ヶ月、だいたいのところまで行けたら次に節をつける。琵琶を持ってやれるまでに最低でも3~4ヶ月。まず文章を覚えるのが先。

薦:15曲ぐらい覚えないと琵琶を弾かせてもらえない。

今:子供の時は意味も分からず必死にやっているだけ。

萬:五線譜にならないモノを教えるのにまず文章からなのか。

今:伝承の8曲は五線譜になっているけれど、師匠からは「歌うのではない、語るんだ」と言われる。口先だけで歌うな、と何百回も言われた。五線譜にあらわれないところの難しさ、微妙さがある。

萬:形を修練するところに芸の境地がある。

薦:五線譜にあらわれないところはお師匠さんを「聞く」しかない。

今:覚えないと先に行かせてもらえない。師匠に「これはダメだ」と思われてしまうと稽古を5分10分で終わらされてしまう。昭和40年代にカセットテープが普及してから、習いに行かなくても家で師匠の録音を聴いて練習出来るようになったが、それは自分のモノにならないのでダメだと言われた。テープに頼るな、と。しかしそう言う師匠も実はテープを使っていた(笑)。「師匠は使っても良い」ということなのか(笑)。

以下、愚痴になりますのでご了承下さい。

その後3つほど質問が出ましたが、2つ目の質問に問題があってすっかり気分を害しました。もうあちこちで書かれているので詳しくは述べませんが…質問者の仰る通り「知識人」も「金融業」も、それがそのままその時代に使われていたわけがない。そのくらいあの場に来ていたお客さんならわざわざ言われなくても周知の事でしょう。その上で当時の様々なジャンルの人間をカテゴライズするのに、あくまで分かりやすいように現代の言葉に置き換えているぐらい「暗黙の了解」以前の当たり前の事であって、そういう"手法"がこういう場面で使われることに何の疑問も無いわけです。しかし質問者が「(そういう使い方をしている)貴方達の気持ちもわかるが」と前置いて「自分は元教育者としてそのような使い方は認めたくないのでこちらの気持ちを汲み取れ」と食い下がったのには唖然。"暗黙の了解以前の事"を押しのけてまでも"自分のプライド"を大事にしろと主張する必要性がさっぱり分からない。もうココまで来ると史実に関する論議でも何でもない。質問者よりは年が若い出演者達への上から目線の言葉遣いも不愉快でした。客席から「貴方の話を聴きに来たんじゃない!」と声が飛びそれに拍手が起こりましたが当然かと。

しかしそこはさすがの出演者の皆さん、事を荒立てぬよう大人の対応で(もちろん言いたいことはきちんと話されてます)、一気にカッカしてしまった自分が恥ずかしくなるぐらいでしたね。特に検校さんは「まるで国会答弁みたいになっちゃいましたね」とユーモアでかわされてました。会場全体の空気が一気に不穏になったのを即座に察知されたのでしょう。困難をたくさん乗り越えて来た方はそうおいそれと動じない。それは同じような対応をされた芸術監督ドノも薦田先生も同じだなぁと。でも本音を言えば何故薦田先生があんなことで"謝罪"しなければならないのか、という気持ちは払拭出来ませんでしたがね(←それが自分のガキなとこなんでしょうなw)

何年か前の解体でもこの手のお方がいらっしゃって、その回のテーマとは全く関係の無い、ご自身の演劇に対する価値観を出演者に押し付けて答えを迫ったのに遭遇したことがあります。まるで家を出る前から「今日はこういう論議をふっかけてやろう」と計画していたかのようでした。企画の性質が性質なだけに"理屈っぽい"方が集い易くなっているとは思いますが、質疑応答コーナーの意義をもう一度考え直して頂きたいと思うような"主張の押し付け"が散見されるのはうんざりです。企画に丸ごと賛成しろとは思いませんが、主義主張の戦いがやりたいなら居酒屋あたりでいかがですか、と言いたくなります。勇気が無くてなかなか手があげられないだけで、心の中に質問を溜めている人は沢山いるはずなのですから。限られた時間はそういう方達の為に使うべきかと思います。

残念ながら残りの2つの質問についてはほとんどメモが取れなかったので、ここでは割愛させていただきます。質問者の方々には申し訳ないのですが、あまりあやふやなことも書けませんし。最後の質疑応答で随分気持ちがささくれだってしまいましたが、今回の企画本編に関しては大変興味深く拝見することが出来ました。芸術監督ドノと検校さんのなんともかみ合わない会話wに何度もずっこけそうになりましたが(失礼っ!)時折ふっと波長が合ったのか、我が意を得たりとばかりに検校さんが饒舌になる場面があって、きっと根本的なところでは同じモノが流れているのかなぁと感じました。

| | コメント (0)

狂言劇場 その七 Bプロ。

2011年12月8日(木)14:00~ 於:世田谷パブリックシアター

【Bプログラム】

◆『柑子(こうじ)』
 太郎冠者:野村萬斎 主:石田幸雄
 後見:岡聡史

◆『奈須与市語(なすのよいちのかたり)』
 野村万作
 後見:中村修一

◆『悟浄出世(ごじょうしゅっせ)』
 作:中島敦
 構成:野村萬斎
 尺八:藤原道山
 作調・囃子:田中傳次郎

 《配役(登場順)》

 沙悟浄(さごじょう):野村萬斎
 妖怪(ばけもの)たち:深田博治・高野和憲・月崎晴夫
 老いたる魚怪:佐藤友彦
 聡明そうな怪物:月崎晴夫
 鮐魚(ふぐ)の精:高野和憲
 沙虹隠士(さこういんし)/蝦の精:佐藤友彦
 坐忘(ざぼう)先生:石田幸雄
 若者:野村又三郎
 醜い乞食:佐藤友彦
 虯髯鮎子(きゅうぜんねんし)/鯰の妖怪:石田幸雄
 弟子たち:月崎晴夫・深田博治・高野和憲
 蒲衣子(ほいし):野村又三郎
 斑衣鱖婆(はんいけつば):石田幸雄
 賢者たち:高野和憲・深田博治・月崎晴夫
 男:石田幸雄
 女偊氏(じょうし):佐藤友彦
 摩訶薩(まかさつ):野村又三郎
 木叉恵岸(もくしゃえがん):高野和憲

※『柑子』

語りがあるのにF1のようにあっという間に通り過ぎて行く超小佳曲w食い意地が張ってる上に人を喰ったようなおとぼけで相手を煙に巻く太郎冠者は、今回も萬斎節に乗ってキャラが立っておりました。季節がらもあって、ミカンの良い匂いが漂って来るような舞台。「皮を剥いて中の白い筋も取って…」のくだりはまるで料理番組で食材の映像を見せられているかのような錯覚が起こりますねw最後に残った一個が流罪の俊寛に例えられる飛びっぷりのナンセンスさが面白い。本当にあっという間に終わってしまうのでw観る度に思うのですが「何か後日譚とか無いのかなぁ」とwww

※『奈須与市語』

Bプロは2日間のみ。つまり今回の企画での万作師の『奈須与市語』はたった2回しか観られないということ。ハードな語りですから当然の日程なんでしょうが、ホント希少価値一杯の舞台だと思うと非常に緊張感が増して来ます。

最近の万作師の舞台に関して、どうしてもお声の辛さについて述べてしまいがちなのは本当に申し訳ないとは思っているのですが、それはそれ、事実ではあるので正直、このたった2日間でもお声の事を懸念しておりました。語りの素晴らしさは今更言うに及ばずですが、辛そうなのは致し方ない。今回も途中から息が大きくなってきて、それがまだ中盤辺りだったものですから、ドキドキしつつ見守るような気持ちで拝見しておりました。

ところが、与市が扇に見事矢を当て周囲が拍手喝采となるクライマックスで、急に何か重たいモノが外れたようにぱぁッ!とスパークする万作師が現れて度肝を抜かれました。大袈裟でも何でもなく、「二十歳ばかりなる」与市の若々しい歓喜がそこにあらわれていました。確かに、倅さんのようなスパークなのですがもっと明るい!もっと生き生きとしている!まるでランナーズ・ハイのような、と例えるのは当たっているのかどうか。ありきたりな表現で情けないのですが、本当にキラキラと輝いて見えました。

なんかもうただただ、凄いなぁとしか言いようが無くて…しばらくぼーっとなってしまいましたね。声や息を心配していたことさえすっかり忘れてました。万作師らしい絶妙のペース・コントロールだったのでしょうが、それ以上に何か「乗り移った」ようであったとも思うのです。大変良いモノを拝見しました。本当に。

※『悟浄出世』

狂言劇場の、というよりはやはり『山月記』『名人伝』に続く"中島敦シリーズ"の一環として観てしまうかな。今回のチラシの写真(黒頭に敦眼鏡、グリーンを基調にした唐風の装束)にそこはかとなく岸部シローテイストを感じつつw 座席は狙って取りました!"俺様ビュー"と勝手に命名している2階最前列ど真ん中。これがドンピシャリ大成功。斜め30~40度上から舞台全体が床も含めて、まるで劇場中継番組の画面のようにまんべんなく拝めます。床には丸い岩場のようなオブジェと照明に寄るマダラ模様の投影、背景中央に天井から床まで茶のシースルーっぽい布地の細長いカーテン、舞台後方の両角に朽ち木のような柱二本、橋掛かりは左右の袖に伸びています。

舞台がが始まると、床の真ん中の岩のようなオブジェの表面がするするとその中心部に吸い込まれて行き(黒っぽい布がかけられていたわけですね)、"敦モノ"ではおなじみのあの三日月形のスロープをかなり小振りにした台座が出現。その三日月の中央にぽっかりと穴があいていて、そこから眼鏡をかけたカッパwww萬斎師が演じる沙悟浄が上半身を覗かせて物語(リーディング)が始まります。衣裳はチラシのものとほぼ同じ。黒頭の登頂には錦織の布の"お皿"が乗っていてなかなか可愛いw黒頭を被っているのですが前髪だけ横分けの自毛が見えているのが、カッパのいでたちの中にも中島敦のイメージ(例の横分け髪の写真ですね)を持たせようとしたあらわれでしょうか。前日をご覧になった方のお話では前髪は見えなかったとのこと、一日で変えてきたのかも。

「自分とは何者なのか?」という疑問の答えを探るべく、妖怪たちや賢者たちの元に教えを請いに旅に出る悟浄。演出では基本的に悟浄は中央の穴の中あるいはその周囲の三日月オブジェに乗ったり腰かけたりして朗読をし、彼が行く先々で出逢う者達が舞台袖や背後のカーテンから現れ悟浄の方に寄って来るという形。しかしこれが延々と繰り返されているのでかなり起伏に乏しい見え方なのが辛い。背景の細長いカーテンの奥に登場人物を透過させて見せるという、『国盗人』を思い起こさせる見せ方もあるにはありましたが…正直、飽きて来るところがちょこちょこと(ーー;) 普通のお芝居ではなくリーディング形式だから当然なのだけど、全員が本を手にしてやや下向き加減になり、自分が「読んで」いない間は素に戻って次の"出番"をぼーっと待っているように見えてしまうのには、そのあまりの緊張感の無さに「?」となってしまいました。

思うに、装束やらセットやらがそれなりに作り込んであるのがかえって、リーディングという形式とズレを起こしているのかな、と。悟浄だけでなく他の登場人物(怪物)も、汎用の衣裳("水系"のモンスターは頭に烏帽子ぐらいの高さのある布を巻き付け、額のあたりに魚の眼を模したような銀色の珠を二つ付けています)や個別の装束をふんだんに使って、充分普通のお芝居モードになってるんですね。ところどころ、舞扇を見立てに使って動いてみたりとか、狂言師らしい場面もあるのだけれど、やはり「本を持って読んでいる」状態が大半。それがリーディングであるのは承知の上で、「とりあえず本は落として顔をあげて動きましょうよ!」と何度思ったことか(^_^;) なまじっか動きがある所為か、終盤で悟浄が穴の中に台本を落としてしまうハプニングもありました。ホント、場面場面で「台本邪魔だなぁ!」と思ってしまうんですよね…。

ましてやこの『悟浄出世』では哲学的な台詞というか要は理屈理屈理屈(w)で押すように話が展開していくので、どんどん「読まれて」いくものを咀嚼しながら観て行くのがかなり困難であり(単に私の理解力の問題だと言われればそれまでw)、使われている言葉も仏教用語や漢文からの引用、普段の生活ではほとんど耳にしないような熟語など、これまた観る側のそれなりの素養を問われるようなものばかり。確かに狂言師(古典の世界)の方々の"語る力"は素晴らしいですが、それ以上に良い意味で雄弁になれる身体性も同時にお持ちなのだから、言葉の力と身体と双方をバランス良く駆使出来る演出…やはり『敦』的な見せ方の方がずっとすんなりと入って来るように思うのですが。

言葉は難解ですが、題材はとても面白いと思います。様々なもののけ達は、人ならぬモノを演じるに長けた古典の方達が最も力を発揮出来る役でしょうし。悟浄が答えを求めてあちこち彷徨う姿からはおとぎ話的テイストも感じられますよね。充分に「観て楽しい」ものになると思うのです。今回はリーディング形式が目的でしたが、また時間を置いて是非、『敦』のような舞台に練り直して頂きたいなぁと。もう『敦』シリーズ化する勢いでw 舞台中央に置かれたミニ三日月スロープは今回はあまり機能していない印象でしたけれども、『敦』というコンセプトの一つの象徴と捉えられますし、この日はラストで悟浄が"脱皮"して唐風装束からあのグレー"敦スーツ"に早替わりという場面もありましたので(これも前日は無かったとのこと)、それも象徴でしょう。リーディングはリーディングとして"真の完全体カッパ"を、時間がかかっても良いので是非是非拝見したいと切に願っております。

最後になってしまいましたが、客演の佐藤友彦師・野村又三郎師がとても良かったです。配役は確かに万作家メンバーに比べて少ないけど、このお二人が一番「読みこめて」いたように感じました。なのでこのお二人の場面ではますます「本が邪魔だよなぁ」と(^_^;)

| | コメント (0)

狂言劇場 その七 Aプロ。

~舞台芸術(パフォーミングアーツ)としての狂言~
狂言劇場その七 世田谷パブリックシアター会員貸切公演
2011年12月3日(土)18:00~ 於:世田谷パブリックシアター

【Aプログラム】

◆小舞
 『七つ子』 高野和憲
 『暁』    月崎晴夫
 地謡:深田博治・岡聡史・中村修一・内藤連

◆小舞『鮒』 野村万作
 地謡:高野和憲・竹山悠樹・中村修一・内藤連

◆狂言『棒縛』
 太郎冠者:野村萬斎 主:深田博治 次郎冠者:石田幸雄
 後見:岡聡史

◆『MANSAI ボレロ』 野村萬斎

◆抽選会・野村萬斎アフタートーク

※小舞『七つ子』『暁』

後の『棒縛』に絡んだ選曲ですが、ここしばらくはユウ君の舞で観ることが多かったような。久々の"大人の"2曲になりました。高野師はいつものようにきちっと気真面目に舞ってるなぁという印象。綺麗だけど、もちっと遊びがあっても良いのかななどと思ってみたり。月崎師の小舞はかなーーーーーりご無沙汰してたかも!コチラも師の実直そうなイメージが佇まいに色濃く出ている印象ですが、詞章の持つ色っぽさはちょっと不足気味だったかな(^_^;)

※小舞『鮒』

万作師の小舞は9月のござる乃座の『通円』以来でしょうか。あれは葛桶に座って演じる場面が多いけど、この『鮒』は飛び返りもありハードな印象。前日にAプロをご覧になったTwitterのフォロワーさんから「萬斎『鮒』凄かったよ!」との熱い呟きを頂いていただけに、さて万作師にはどんな風に舞っていただけるかとドキドキ。ここのところ、激しい動きがあると息が大きくなり、ややお苦しそうに見えることが多い万作師だけに…。

そしてやはり舞は美しかったです!今回は何故か上半身よりも足のつま先に目が行ってしまってwそこがこの日の自分のポイントだったんですねw例えが適切かどうか不安ですが、横移動など氷上を滑るが如くの優雅さ。しかし飛び返りで着地の瞬間、ほんの少しですが軸がずれて身体が揺れてしまったのを見て、少々さびしい気持ちになりました。それこそもう7~8年ほど前になりますか、ユウ君のお猿ドキュメンタリー番組の中で高野師達に舞の稽古をつけるシーンがありましたけど、あれでお手本の飛び返りを見せる万作師は、まるで膝とお尻にアロンアルファでも付けていたかのように、床にぴたりと「張り付いて」微動だにしなかったですよね。単にその日の調子かも知れませんが、時間の流れを』感じずにはいられない瞬間でもありました。

それでも…80代の身のキレじゃないですよね。『鮒』なんだから。

※『棒縛』

"定番の筆頭"をゴールデンコンビで!まぁこれはもう今更何を語っても意味が無いwwwあっけらかーんと大笑いさせていただきました。萬斎師は変顔炸裂wwwいや、もしかしたら御本人は変顔だと思ってないかもwww石田師の相変わらず盤石な次郎冠者がベースをしっかりと支えてるので太郎冠者君が思いっきりハジけられるのですね♪

そして今回は先立って小舞『七つ子』『暁』が舞われており、この『棒縛』でこれらがパロディにされているのがいつも以上にしっかりと分かって面白さ倍増でした。これらの小舞と『棒縛』をセットにして観る会が自分にとっては初めてだった。ちょうど先日、能の会で『頼政』と『通円』をセットで観てなるほどと納得出来たのと同じ体験が出来ましたねぇ。

それにしても100年単位でほぼ永久的に「ウケ続ける」棒縛恐るべしw

※『MANSAIボレロ』

さて、今回最大の目玉『MANSAIボレロ』。

舞台・客席共に完全なる暗転からうっすらと舞台上にピンスポ、それが徐々に明るさを増していく中に浮かび上がる萬斎師の真っ白な姿。この日の装束は白の直衣に白の大口袴。ここまで揃えて烏帽子は無いのかとも思ったけど、良く良く見てみればそう違和感は無いかな。

耳を澄ませて辛うじて聞こえるくらいの『ボレロ』最序盤。その中で直衣の袖を翻しながらゆったりと厳かに萬斎師の舞が始まったのですが、まさか衣擦れの音にこれほど戸惑いを感じるとは思わなんだ。遠くにこだまするように流れるリフレインの細い緊張感を、直衣の袖のバサッという音が断ち切ったように感じてしまった。"本業"の世界で観ればこの衣擦れの音も一つの音楽になるのに、この西洋音階のもとでは正直、雑音にしか聞こえない。どうもここが「引っ掛かり」の序章だったようで…。

確かに舞は文句なく美しいんです。しかしバックのボレロが紡ぐリズムと、舞の紡ぐリズムがどうもしっくりと絡み合わない。これはいわゆる音楽的なテンポ・リズムの事ではなく、エナジーやテンションのリズムと言えば良いのかな。曲調がゆったりと、しかし確実にグッと高まったところで繰り出される"型"に「スコッ」とテンションを抜かれてしまうような感触があるんです。「え?そこでソレ???」みたいな肩すかし感。

中盤過ぎまでこの「スコッ」に悩まされ続け(普通ならこんなのは気にならないはずなんだが、どうもあの冒頭の衣擦れの"ズレ"から狂ってしまったらしく…)、照明やスモークの演出ももはやろくすっぽ目に入って来ない状況。観ている自分の中のテンションが上がりかけては下がり、上がりかけては下がりの繰り返しなのがかなりつらい。

全体の大半を狂言の舞の型で構成したそうですが、なんとなくとっ散らかったような印象。曲調が非常に緩やかだけれども確実に段階を踏んでテンションを上げているにも拘らず、肝心の舞がどの方向を"向いて"いるのかがモヤモヤして乗りきれない…うーん、このモヤモヤを上手く言葉で表現出来ないんですが(*_*;

それでもさすがにラストは圧巻。曲の最高潮と共に"魅せる"型を次々と繰り出して圧倒的な場の空気を創り上げている姿を観て、ああこれぞ"The MANSAI NOMURA"だとやっといくらか気持ちが熱くなってきました。曲の終焉と共に客席に背を向け大きくジャンプ、その最も高い打点でぶった切るように暗転という、キッチリと潔い終わり方に間髪入れず、客席からブラボーの声。うん、もうそれは無理も無いというか…「無理も無いかぁ」なんてちょっと冷めて考えてる自分がちょっと嫌でもあったんですけど(^_^;)

後のトークによれば、萬斎師としては「(演出を観て)どう解釈してもらっても構わない」ということでした。が、実際観ていると装束もライティングもスモークもとても"雄弁"というか"饒舌"であって、自由に想像するというよりは目の前に選択肢をしこたま出されてチョイスを迫られているような気持ちに。提示されたモノに何らかの"意味"を感じながら観るというのは間違いではないと思うのだけれど、その意味の提示(ここでは"型"と言ってしまって良いのかな)が曲の流れやエネルギーのリズムをあちこちで留めてしまっているように自分は感じてしまったのですね。舞う側は一つのストーリーを展開しているのだけど、流れに沿わないので折角のボレロが単なるBGM化している、そんな印象でした。ラスト以外ですけど。

あくまで自分の勝手な期待だったかも知れませんが、今回は『ボレロ』という曲そのものに舞がどれだけ乗って行くか、みたいなところに注目したかったんですね。お恥ずかしい限りですが、萬斎師のファンになるまでベジャール知らなかった(^^ゞだからベジャールのボレロでは無く「ラヴェル作曲のボレロ」が自分の今回の鑑賞の基準になっているわけです。あのメロディーとリズムに萬斎師がどう身をゆだねるのか。ぶっちゃけ、神事が、とかも取っ払っちゃって、西洋の音楽律動と和の身体性がどういう化学反応を起こすのか、を観たかったのだと。

Twitterのフォロワーさんが大変的確な表現をされていて、「あれは"萬斎×ボレロ"ではなくて"萬斎+ボレロ"だった」と。ラヴェルのボレロが紡ぎ出す律動と、萬斎師の舞が生み出す世界観(物語、でも良いかも)が、並立して存在してしまっていたように思うのです。確かに終盤のエナジーの大放出と潔いエンディングの断ち切り方は凄かった。今回初めて萬斎師をご覧になった方が感激の余り?泣いていたというエピも納得なんです。でもそれはボレロとの融合によって、つまり「ボレロだからこそ」炸裂したのではなくて、まさに"That's MANSAI NOMURA!"と叫びたい師のポテンシャルそのものが生んだパフォーマンスだとしか思えなかったのですね。それはやはり前述した、序盤から中盤の「とっ散らかり(って言葉で良いのかな(ーー; )」で曲から「スコッ」と抜けてしまうモヤモヤ感を引きずってしまったからかなぁと。

前回の『解体新書』で初めてやってみた"MANSAIボレロ"が今思えばなかなか良かったんです。あの企画が開演前にどれくらい「仕込んで」いるのかは分かりませんがw衣裳はいつもの白シャツに黒パンツに舞扇を持っただけの、短い時間でしたがかなり即興性に溢れたボレロを観て相当熱くなったのを良く覚えています。こう言っちゃ失礼かも知れませんが、あまりごちゃごちゃ考えずにふんわりと曲に乗っかっていたような。

何だかんだ言っても西洋と東洋です。ピッタリとハマり込むのは無理。律動が違う。エネルギーの向け方も違う。しかし、従属的な妥協した摺り寄りはダメだけど、互いに主張しながら最小公倍数を積み重ねて行くような関わり方は、意外に意識しない方が出来るような気がする。それがあの解体の初・MANSAIボレロだったのかなぁ。ちょっと大げさかもだけど、今思えばあの短い即興的な舞の中に、かつてシルクロードが音楽(と舞踏)の西と東を繋げていたのを感じたような。最小公倍数はそこに流れているのかも知れません。DNAレベルの記憶の産物というような。プリミティブな一致点があるはず。ボレロと三番叟の「螺旋状に立ち上がる高揚感」もそれの一つなのかも知れないけど、今回のようにとっ散らかり気味で一方饒舌過ぎる見せ方だと、折角のそれもかえって薄らいでしまうような。

今回は一つのパフォーマンスとしては見応えがあり、「舞わせたら天下一品(←ファンですからこのくらいは当然言いますw)」の萬斎師を充分堪能出来るプログラムではあったと思います。が、やはり「『ボレロ』という曲との関わり方」は絶対的なモノではなく、観て最初に浮かんだ言葉が実は「生焼け」で(^_^;)…もっともっと、身体的なところで曲とぶつかって欲しいかな、と。装束とかあれこれ考えるならいっそマッパでどうだ!というのは丸っきり冗談でも無く(^o^)/そのくらい色々な「解釈」はこそげ落としても良いんじゃないかと。

パフォーマンスが伝えたかっただろうメッセージとか、舞そのものの芸術性とか、そういうところを敢えてすっかりすっ飛ばしてあれこれ書き殴ってしまったのだけど、何と言うか「ボレロだからこその舞(それこそ『三番叟』に限定しなくても良いのかも知れない)」みたいなものを、もっとしっかり"ウェルダン"にして味わいたいなぁと思いました。あれだけでも十二分に凄いパフォーマンスだとは思いますが、まだ「くっつけてみました」的な生っぽさが残っちゃってると思うんです。それだともし萬斎師の念願叶っておフランスの生オケで舞う!とあいなっても「Oh!ジャポニズム、セ・ボン!(←インチキ仏語w)」で終わっちゃいそうな悪寒…。なのでもっと削ぎ落してもっと醸して…再演を強く望みます。

**********************************

長くなりましたので、抽選会とトークのご報告は別項で。いつになるかちょっと不安ですけど(*_*;

| | コメント (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »