2011年12月9日(金)19:00~ 於:世田谷パブリックシアター
◆企画・出演:野村萬斎(世田谷パブリックシアター芸術監督)
◆出演:今井検校勉(いまい・けんぎょう・つとむ 平家琵琶検校)
薦田治子(こもだ・はるこ 武蔵野音楽大学教授)
今回は2階席。二日続けて2階の最前列。夏は良いんだけど、冬は着膨れしてるから2階の狭い椅子がちょっと窮屈(*_*; めげずにメモ取りしましたが、毎度毎度ですがあやふやで聴き間違い・咀嚼間違い多々ありと思います。訂正・補足等いただければ有難いです。
舞台上はいつものように椅子や机が置かれず、緋もうせんを掛けた台が中央に。今井検校さんの座する場所でしょうが…ということはいきなり検校さんの平家語りから始まる?と構えていたところ、いつもと変わらぬタイミングで芸術監督ドノ登場w今回は解体ルックでは無く黒紋付袴。挨拶の後、検校の琵琶を聴くのは今回が初めてということで、まず芸術監督ドノがワクワクしているwここでも検校さんのご登場は無く、今回の聞き手の武蔵野音楽大学教授・薦田治子先生が先に登場。
(以下、「萬」=芸術監督ドノ、「薦」=薦田先生、「今」=今井検校勉氏の表記で。聴き取れなかったところはファジーにしてあります(^_^; )
萬:(『平家物語』について)書かれたモノと言うより、口承文学では?
薦:文学作品と言うより音楽作品。皆さん「?」と思われるでしょうが(笑)。
萬:能狂言も「音楽か?」と言われればそうでもあるし…。
薦:メロディーが付いていて聴いて楽しむモノ。歴史的には「平家(へいけ)」という琵琶で語る音楽、という認識。いわゆる源氏のライバルの家系である平氏も「平家」と呼ばれるので、音楽の事なのか一族の事なのか、聞いただけでは分からず混乱してしまう(苦笑)。
(スクリーンに「平家」の歴史投影)
13世紀 誕生(鎮魂や布教の為)
14世紀 明石覚一の登場(←天才と言われた)
14~15世紀 為政者や知識人の間で流行
19世紀 明治維新による衰退
薦:(スライド説明しながら)「平家」は明石覚一という天才が確立した。文化はたいてい、一人天才がいれば発展する。能楽における観阿弥・世阿弥のように。16世紀頃に古典音楽化された。「平家」の誕生から300年。頑張って2~300年続ければ古典になる(笑)。
萬:じゃあ「MANSAIボレロ」も300年続ければ古典になる(笑)?
薦:ここまで続いたのはやはり音楽であったこと。眼から入る字ではなく「音」であったからこそ魂が伝わったのだと思う。
萬:やはり平家(壇ノ浦で滅んだ)への鎮魂の意味で作られたのか?
薦:壇ノ浦の後、世情不安などがあると皆「平氏の所為か(祟りか)?」と思ってしまう傾向があった。その怒りや呪いを鎮めるための音楽であった。
萬:滅ぼしたモノを逆に崇め奉ることが鎮魂に繋がる。
薦:現在の源氏政権を正当化する為に、平氏の恨みを鎮める役割の「平家物語」が存在したとも言える。
萬:「平家」は最初から琵琶法師がやっていたのか?
薦:「平家」より前に琵琶はあったし、琵琶法師は民間の芸能人として存在した。当時寺が仏教と芸能と発信源となっており、琵琶法師に「平家」による鎮魂の役割を託した。盲人が「平家」をやることには意味がある。音楽を習得する為には沢山の時間が必要。眼が見えないことで生業を持ちにくい盲人は音楽を習得する為の時間を充分取れる。眼が見えないことで聴覚が健常人より発達しているのも都合が良かった。
(スクリーンに琵琶の種類投影)
雅楽琵琶(奈良時代)
平家琵琶(鎌倉時代)
盲僧琵琶(江戸時代)
近代琵琶(明治時代)
薦:薩摩琵琶や筑前琵琶はこの近代琵琶に属している。それぞれに専門の楽器と譜がある。鎌倉の頃から、平家物語を語る為に受け継がれてきたのが平家琵琶。今井さんがその平家琵琶の正統後継者ということになる。
(スクリーンに琵琶法師の絵姿投影)
初期の琵琶法師。簡素な服。琵琶を持っているが、他に笛なども奏でることが出来た。法師である条件として"琵琶・僧体・盲人"。
江戸時代の琵琶法師。立派な衣を身につけ、琵琶の他に三味線・箏(こと)・胡弓が出来、歌も歌った。
中世頃から「当道(とうどう)」という盲人の組織も作られ、階級制がしかれていた。上から「検校」「別当」「匂当」「座頭」。この階級を上がって行く為には莫大な費用がかかるので、琵琶の他に金融業などもやっていた。
萬:(スクリーンに投影された琵琶法師の階級表を見ながら)来年の6月に井上ひさし先生の『藪原検校』という芝居をやるが、この最下層の座頭から最高位の検校になる為に血みどろの手段をこうじる役どころなので、是非ご期待を(笑)。
(スクリーンに『那須与一』と『奈須与市語』)
薦:表記が違うが中身は同じ。表記の仕方は変化するものなので、まぁどちらでも良い(笑)。
萬:狂言は基本的に口伝えで習うモノで、元々台本にあたるモノは無い。やがてこれを書きつけて記録として残すようになってから古典化した。
薦:琵琶の方も台本はあるが、あまり厳格に気にしない。聴いているお客さんとのやり取りの中で少しずつ変えて行く場合もある。もし間違ったら間違ったで、最後につじつまを合わせれば良いようなところがある。
(ここで薦田先生が平家『那須与一』のあらすじを説明、その間、舞台上では緋の台の上に琵琶が置かれ、背後には屏風が。その後にいよいよ今井検校勉さんが手を引かれて舞台に登場。先ほどスクリーンに投影された江戸時代の検校の絵とほぼ同じいでたち。芸術監督よりプロフィール紹介され、『那須与一』上演。)
【今までに聴いた琵琶語り(大体が薩摩琵琶)とは随分違う印象。母音を長く長く伸ばして揺らがせて、小節の中では大きな変化は無いのだけれど、曲全体を通してゆったりとクライマックスに向かっていく。実は近くの席でイビキをかいていた方がいらっしゃって、イビキはマズイにしても気持ち良くなってしまうのは分かる気がしたw検校さんの声は意外に地声っぽく素朴に聞こえたのだけれど、非常に「まろい」。聴く耳に優しい、包み込むような感触。『耳なし芳一』で芳一の琵琶と語りが平家の亡霊を引き寄せてしまうのはこういうことだったのか、と変に納得してしまいました。琵琶も「掻き鳴らす」というよりはポイントポイントで「つま弾く」ような。確かに薩摩琵琶と比べると随分原初的な感じがしました。】
(休憩を挟んで芸術監督ドノの『奈須与市語』。黒紋付から裃・長袴にチェンジ)
【まさか「二日連続・野村父子の『奈須』比べ」が観られる(聴ける)とは!2階席までビシバシ気合いが飛んで来るのはやはり倅さんの奈須だなぁと。特に今回は、登場人物の演じ分けを意図的に見せていたように思えました。検校さんの『那須』はあまりハッキリとした演じ分けが無く、物語全体をラストに向かってゆっくりと揺り上げて行く見せ方なので、もしかしたら芸術監督ドノが対照的に見えるように演じ分けのメリハリを強めにしたのかも知れません。その所為か、久々に硬質な感じの奈須を拝めたなぁと。】
(芸術監督ドノが着替えて、お三方によるトーク)
萬:今まで聴いた平家と違う。音楽なんだなぁと思った。
薦:そう言って頂けると(笑)。
萬:意外にさらりと喋っている感じがした。情景描写に何か法則が?
今:(かなり間を置いて)…難しいですねぇ(苦笑)…。
薦:声を聴かせるところと、サラっと済ますところはハッキリしているが、人物の語り分けはあまりハッキリさせないところがある。
薦:五線譜では表せない節がある。音程では無く、節を歌っているという意識。
今:20代・30代の頃は、とにかく師匠から教わったモノを間違えないようにするので必死だった。登場人物の気持ちになって歌うようになったのは最近。師匠が亡くなった後も、歌っている自分の後ろにずっとついているような気分だった(笑)。『那須与一』は自分が与一と同じ二十歳の時に初演だった(芸術監督思わず「私もそうです!」)。与一と同じ二十歳だったから、その時は何となく与一の気持ちが分かったようだった。
萬:上げて下げて・伸ばして止めて、という琵琶の不規則な弾き方が不思議。
今:実は動きはほとんどない。良く琵琶の音というと「ぴよ~~ん」というのを思い浮かべる方も多いと思うが、あれは近代の琵琶の音で、自分がやっている音では無い。
薦:三味線は演奏中に調弦を頻繁に行うが?
今:曲の途中で調を変えている。その場の環境で糸の張りが変化するのもあるが。
萬:声に関しては、最初緩やかに始まって、段々音が太くなっていく感じ。声帯だけでなく身体全体が鳴っているような。
今:(我が意を得たり、という風に)その通りです!「三重(さんじゅう)」という高い音は喉だけではダメ。身体ごと響かせるような…。
萬:声が上がって行く過程が素晴らしい。ある種の精神性を感じるが?
今:(再び間を大きく開けて)…さて、どう答えたら良いものか…そのような質問は初めてで(笑)…。
萬:狂言では曲によって"インチキ平家(笑)"を謡うが、それには「うねる」ニュアンスがあるのだけれど…。
今:浪花節のようなうねりは無い。そういううねりはダメだと言われる。今日は声の調子が良かった(笑)。ダメな時は1音落として合わせてみたりする。
萬:自分が(『奈須与市語』を)初めてやった時は、声が自然にどんどん上がって行った。今日の今井さんのを聴いて、同じようなものを感じた。
今:裏声でならいくらでも高い声が出るのだけれど、それでは「平家」というものの価値が無くなると思う。だから調子が悪い時は無理に出そうとせず、1音なり半音なり下げてしっかりとした声が出るように合わせている。
萬:狂言の『奈須与市語』には、見事に扇を射落とした与市に源氏の武将達が「乳吸はい、乳吸はい」とからかうという、狂言らしい場面があるのだが、琵琶の方にもそのようなコミカルなものは?
薦:そういったものもある。
(スクリーンに平家の伝承8曲名を投影)
『鱸(すずき)』『竹生島詣(ちくぶしまもうで)』『那須与一』『生食(いけずき)』『宇治川』『卒塔婆流(そとばながし)』『横笛』『紅葉(こうよう)』 今現在継承されているのはこの8曲のみ。
萬:『祇園精舎』の復曲があったそうだが?
今:自分が20代の頃にはもう廃れていたが、津軽の方の眼の見える方の伝承で残っていたことが分かった。2000年にそれを名古屋風に直した。
(ここで今井氏による『祇園精舎』実演。琵琶無しで)
今:平家はもともと200曲あって、この『祇園精舎』は先に199曲を習得してから最後に手掛ける200曲目、秘曲中の秘曲であり、なかなか最後まで習い切れず、廃れてしまいがちであった。
薦:京都の方には200曲マスターした人がいた。
萬:(『祇園精舎』で)高い音と低い音の落差が凄かったが?
薦:その落差で鐘の音の響きを表現したのでは。先ほど萬斎さんが狂言に出て来る"インチキ平家"について仰ってたので、それをリクエスト(笑)。
(芸術監督ドノ、"インチキ平家"実演w 狂言『清水座頭』等に出て来る平家節)
今:全然インチキには聞こえない(笑)。TVとかで流れている『祇園精舎』こそインチキ(笑)。(ココでそのTV番インチキ祇園精舎を実演。いかにもな旋律。まさか大河で使われてるものとか?)
萬:狂言の目線は名のある武将では無く雑兵達に向けられている。さっきのは戦の混乱の中で互いに顎と踵を斬り落とされた雑兵達が、慌てて顎と踵をあべこべにくっつけてしまった話。やがて踵に髭が生え、顎にあかぎれが出来てしまった(笑)。
薦:さすがに平家にはそういうのはないですね(笑)。
【質疑応答】
Q. 平家琵琶が衰退していると聞いて心配になったが、後継者はどうなっているのか?
今:正直言ってしまうと、いない。箏(こと)を小さい頃から習って、声変わりの時期から平家をやるのがセオリーだが、今は習う人も成長してしまってからちょこっと習ってそこで終わりになってしまうのがほとんど。
萬:芸を聴いてくれる環境も無いといけない。狂言も同じ。自分の問題としても痛感する。
今:何年もかけて習うものだから続けるのが難しい。
萬:稽古は口伝えで?
今:まず文章を覚えるので1ヶ月、だいたいのところまで行けたら次に節をつける。琵琶を持ってやれるまでに最低でも3~4ヶ月。まず文章を覚えるのが先。
薦:15曲ぐらい覚えないと琵琶を弾かせてもらえない。
今:子供の時は意味も分からず必死にやっているだけ。
萬:五線譜にならないモノを教えるのにまず文章からなのか。
今:伝承の8曲は五線譜になっているけれど、師匠からは「歌うのではない、語るんだ」と言われる。口先だけで歌うな、と何百回も言われた。五線譜にあらわれないところの難しさ、微妙さがある。
萬:形を修練するところに芸の境地がある。
薦:五線譜にあらわれないところはお師匠さんを「聞く」しかない。
今:覚えないと先に行かせてもらえない。師匠に「これはダメだ」と思われてしまうと稽古を5分10分で終わらされてしまう。昭和40年代にカセットテープが普及してから、習いに行かなくても家で師匠の録音を聴いて練習出来るようになったが、それは自分のモノにならないのでダメだと言われた。テープに頼るな、と。しかしそう言う師匠も実はテープを使っていた(笑)。「師匠は使っても良い」ということなのか(笑)。
以下、愚痴になりますのでご了承下さい。
その後3つほど質問が出ましたが、2つ目の質問に問題があってすっかり気分を害しました。もうあちこちで書かれているので詳しくは述べませんが…質問者の仰る通り「知識人」も「金融業」も、それがそのままその時代に使われていたわけがない。そのくらいあの場に来ていたお客さんならわざわざ言われなくても周知の事でしょう。その上で当時の様々なジャンルの人間をカテゴライズするのに、あくまで分かりやすいように現代の言葉に置き換えているぐらい「暗黙の了解」以前の当たり前の事であって、そういう"手法"がこういう場面で使われることに何の疑問も無いわけです。しかし質問者が「(そういう使い方をしている)貴方達の気持ちもわかるが」と前置いて「自分は元教育者としてそのような使い方は認めたくないのでこちらの気持ちを汲み取れ」と食い下がったのには唖然。"暗黙の了解以前の事"を押しのけてまでも"自分のプライド"を大事にしろと主張する必要性がさっぱり分からない。もうココまで来ると史実に関する論議でも何でもない。質問者よりは年が若い出演者達への上から目線の言葉遣いも不愉快でした。客席から「貴方の話を聴きに来たんじゃない!」と声が飛びそれに拍手が起こりましたが当然かと。
しかしそこはさすがの出演者の皆さん、事を荒立てぬよう大人の対応で(もちろん言いたいことはきちんと話されてます)、一気にカッカしてしまった自分が恥ずかしくなるぐらいでしたね。特に検校さんは「まるで国会答弁みたいになっちゃいましたね」とユーモアでかわされてました。会場全体の空気が一気に不穏になったのを即座に察知されたのでしょう。困難をたくさん乗り越えて来た方はそうおいそれと動じない。それは同じような対応をされた芸術監督ドノも薦田先生も同じだなぁと。でも本音を言えば何故薦田先生があんなことで"謝罪"しなければならないのか、という気持ちは払拭出来ませんでしたがね(←それが自分のガキなとこなんでしょうなw)
何年か前の解体でもこの手のお方がいらっしゃって、その回のテーマとは全く関係の無い、ご自身の演劇に対する価値観を出演者に押し付けて答えを迫ったのに遭遇したことがあります。まるで家を出る前から「今日はこういう論議をふっかけてやろう」と計画していたかのようでした。企画の性質が性質なだけに"理屈っぽい"方が集い易くなっているとは思いますが、質疑応答コーナーの意義をもう一度考え直して頂きたいと思うような"主張の押し付け"が散見されるのはうんざりです。企画に丸ごと賛成しろとは思いませんが、主義主張の戦いがやりたいなら居酒屋あたりでいかがですか、と言いたくなります。勇気が無くてなかなか手があげられないだけで、心の中に質問を溜めている人は沢山いるはずなのですから。限られた時間はそういう方達の為に使うべきかと思います。
残念ながら残りの2つの質問についてはほとんどメモが取れなかったので、ここでは割愛させていただきます。質問者の方々には申し訳ないのですが、あまりあやふやなことも書けませんし。最後の質疑応答で随分気持ちがささくれだってしまいましたが、今回の企画本編に関しては大変興味深く拝見することが出来ました。芸術監督ドノと検校さんのなんともかみ合わない会話wに何度もずっこけそうになりましたが(失礼っ!)時折ふっと波長が合ったのか、我が意を得たりとばかりに検校さんが饒舌になる場面があって、きっと根本的なところでは同じモノが流れているのかなぁと感じました。
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