2011年9月15日(木)14:00~ 於:関内ホール 大ホール
◆レクチャートーク 野村萬斎
◆『狐塚(きつねづか)』
太郎冠者:石田幸雄 主:月崎晴夫 次郎冠者:高野和憲
後見:岡聡史
◆『月見座頭(つきみざとう)』
座頭:野村万作 上京の者:野村萬斎
後見:高野和憲
◆『吹取(ふきとり)』
男:深田博治 何某:野村萬斎 女:岡聡史
後見:月崎晴夫
※レクチャートーク
関内名物(?)萬斎師のレクチャー。以下、トークの内容をザックリと箇条書き的に。例によって聞き落とし、聞き間違い、解釈の間違い等多々見受けられると思いますので、補足や訂正をいただければ幸いです。
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ここ関内ホールの公演は今まで春に催されていたが秋に移動。なので今回は秋らしい曲を3つ選んだ。曲についてはこの豪華パンフレットをご覧になって頂ければ(笑)。語句解説が付いているからと言って上演中にパンフばかり見て下向いて無いように(←定番の注意w)。
『狐塚』。実りの秋、田圃が稲穂の黄金色に染まる頃が舞台。最近は案山子をすっかり見なくなった。田舎に行くと時折、アーティスティックな案山子を目にすることはあるが(笑)。狂言では"鳴子(なるこ)"というモノをガラガラ鳴らして田畑を荒らしに来る鳥や獣を追い払う。ここに不審な(笑)柱が立っているが(と、舞台上手のワキ柱があるところに立てられた黒っぽい棒を示す)能楽堂ならここに柱が立っている。ココに鳴子を括りつけて振り回す。
太郎冠者が主に命じられて、田圃の番をしに狐塚に行くことになる。太郎冠者はそこに出没するという狐が怖くて仕方が無い。今でこそ、真夜中でも灯りがこうこうと点いているけれども、当時は日が暮れれば辺り一面真っ暗だった。
5年くらい前、長崎の天草で薪能をやった時、舞台が終わって照明が落とされたら完全に真っ暗になってビックリした。あの感覚に近いのかなと思う。動物はそこそこ顔を出すようで、自分の住んでいるところでは今でもハクビシンがあらわれる。横浜辺りではタヌキが出ると聞いたことがあるが?
狂言は基本的に照明やSEを使わず、演者の一人芝居で時間の経過や景色の変化を表現するが、今回はホール公演なので少し演出を入れてある。演者の表現と一緒に"日が暮れて行く"描写を楽しんで欲しい。また太郎冠者と、真っ暗な中で彼をを迎えに来た主と次郎冠者との珍妙なやりとりも見どころの一つなのでお楽しみに。
『月見座頭』。"月見"と言ったらうどんを思い出すが(←お好きなんでしょうかw?)。この曲ではハンディキャップを持った人が登場する。時代的な感覚だが、現代で言うところの放送禁止用語「めくら」と呼ばれる。とは言っても狂言の中ではそういう差別的な扱いに沈むことなく、日々を逞しく生きているイメージがある。盲人は芸能者になることが多く、その中で位が付いていた。「検校(けんぎょう)→別当(べっとう)→勾当(こうとう)→座頭」で座頭が一番下。
座頭が「月見をする」というのが実に狂言らしい発想。月が昇ると虫が鳴く。その声を聴くことによって座頭は月が出ている"景色"を見ずして感じることが出来たのだろう。もちろん、虫の声をSEで入れたりはしないので、お客さんは演者の言動から想像力を働かせて虫の声を"聴き取って"欲しい。
座頭以外で登場するのは上京の男。京の都は洛中に住まいする者で、洛外からやって来た座頭に対して、少なからず差別意識を持っているのではないかと思う。解釈は色々だが、自分の家ではそのような演出を施している。
出会った二人は意気投合して酒盛りを始める。その後、予想外の出来事が起こるが、座頭は最初に登場した時と同じように杖をついて静かに帰って行く。その静かさに余韻が残る。このドラマを悲劇ととるかどうかは人それぞれだろう。中盤では人間の或る不条理な現象を見せる。そのあたりも色々考えながら注目していただければ。
『吹取』。これも月を見る場面があるが、単純に言うと"婚活"の物語(笑)。狂言にはこの婚活話が結構多く、大体はお寺や神社に「嫁が欲しい」と願掛けに行き、そこで籠るうちにお告げを貰って女性と出会う、というもの。
ここでは男が清水の観世音で「五条の橋の上で笛を吹いて女を待ちなさい」というお告げを受ける。五条の橋の上で待つ、と言ったらどう考えても牛若丸と弁慶じゃないかとも思うが(笑)。男は笛が吹けないので別の人に頼むことになる。
その笛を頼まれた男を自分が演じるわけだが、笛は私自身が吹きます(笑)。黒澤明監督の『乱』で吹いたし、大学でも能管を習ったので(←東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒)。吹けない人は竹を笛に見立ててポーズだけ取って、バックで本職に音を出してもらうようになっている。
(オマケw吹けてる証拠…『乱』リハ風景)
(最初見た時はアテレコかと思ってましたが、黒澤監督のカットと同時に音がピタッと止まるので"生音"でございます)
お告げの通りにあらわれたのはどのような女性か?それは「その人の身の丈に合った」人があらわれると思っていただければ大体想像が付くかと(笑)。狂言とはそういうもの(笑)。
ホール公演用に少し加えた演出とともに、今日は秋の風情を楽しんでいただきたい。
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※『狐塚』
石田太郎冠者・月崎主・高野次郎冠者という、面子見ただけでその盤石な舞台を想像出来る布陣。少しずつ暮れて行く秋の田圃、鳴子を振る石田師の一人芝居はもうそれだけで鮮やかに秋の夕暮れの情景が浮かび上がって来ます。
だからこそ、折角の演出ではあるのだけれど、やはりスクリーンや照明はちょっと余計なのかなぁと感じてしまいました。しかし普及公演の一環であると考えれば、何の不自然も無いささやかな演出であるとも思う。目が肥えたとは言えないまでも、それなりに観劇の場数を踏んで"素手のお芝居"に想像力を働かすことに慣れて来ている向きには、余計に感じてしまうのは致し方ないところか。自分が狂言を見始めた頃から目にしている、あの雲のような霞のような抽象模様のスクリーンも、そろそろ引退の潮時かなぁとも思うし(失礼)。少し前に全く同じ番組で大阪・大槻能楽堂でも演じられているんですね。そちらも観てみたかったなぁと。
なので、折角施してくれた演出なれど、ちと視界から意図的に外しておいて(爆)舞台上のお三方の一挙手一投足に集中させていただきました。前述した通り、石田師の隙の無い巧さと、そこにしっかりと沿う月崎師&高野師の手堅さ。ちょい地味さも感じますが(おい)「日本むかし話」のような牧歌的な空気はこの面子ならではのものでしょう。田圃に囲まれて育った者にはよーく分かるんですがw舞台から実った稲穂の香りが漂って来るようでした。
しつこいようですがこれ、能楽堂だったらもっと鮮やかに感じられたでしょうね。石田師の巧さをもってしても、ホールでの拡散しがちな空気はなかなか手強い。盤石の布陣で舞台自体は非常に面白かっただけに、演出の是非(繰り返しておきますが、普及公演としてある程度必要な事は認めた上で)について考えさせられるものでもありました。とりあえず、スクリーンはぼちぼち世代交代しましょうよw
※『月見座頭』
この曲とホールと言ったらSePTしか思いつかないんですよね。今回の公演のチラシもSePT版『月見座頭』のもの。さすがにSePTは違う。張り出し舞台に可動自由な橋掛かり、空気を凝縮しやすい客席配置等、さすが芸術監督ドノ肝いりの構造であるわけで、まぁ普通のホールと比べること自体無理なんですけどね。
休憩中、携帯電波遮断システムが効いていないので自分の席で前半の感想ツイートしている間に(一応おことわりしておきますが上演中はちゃんと電源OFFにしておりました)、ふと舞台を見上げると奥の方にちょぼちょぼとススキが置かれてる(苦笑)。うーんこれ…分からんでも無いけど無くても良いかな(爆)。意図的に少なく置いたとも考えられるけど、侘び寂びの範囲までイケてないし。かと言ってびっしりススキを置いたら置いたでどうかな~ともなりそうで。まるで豊臣秀吉と千利休の美的感覚対立みたいですが(そこまで大袈裟じゃないw)。
レクチャーで「静かな曲なので座頭が杖をつく音が響き渡る」みたいな話もあったように記憶してますが、今更ながら能楽堂の橋掛かりの長さって意味が大きいんだな~と。幕から本舞台までの時間に座頭がどれだけ場内の空気を凝縮出来るか、オープニングはそれにかかってるんですよね。そこはここ関内でもさすが万作師、短い移動距離の中で空気を作っていくのですが、やはりギュッと集中させるところまでは持って行けない。物理的な問題なので仕方ないですがちょっと残念。
それでも、萬斎上京の男との酒盛りシーンは圧巻でした。特に「景清」を上京の男が謡い座頭が舞う場面では、座頭の身体が想像の中の月光に溶け込んで行くような、静謐な透明感が感じられました。枯れているというよりは、浄化されたイメージというのが近いでしょうか。空気が凝縮され難いホール公演でこれほどの場面を創り上げてしまう"国の宝"。そこに倅さんの謡が絡んでくると、もうそれは極上の空間に。萬斎師の謡も掛け値なく絶品でした(今まで聴いた「景清」で一番良かったかも)。場所の悪条件をモノともしない"父子競演"に酔いながら、いささか不謹慎ではありますけど「このコンビネーションはあとどれだけ観ていられるのだろう…」と思わずにはいられなかった。
後半の上京の男の行動の不可解さは、瞬間的にオーラをがらっと変えた萬斎師によってかなり増幅されて見えました。何度観てもなかなか飲み込み難い場面ではあるのですが、ただただ人間の奥底の不気味さに神経を障られる。豹変した男に振り回されいたぶられた座頭がその災難の理不尽をぼやきつつ、また日常に戻る姿の少し哀しい美しさをずっと静かに見送りたかったのですが、こういう時は拍手が無い方が良かったかなぁ…このあたりもホール公演の難しさでしょうかね。
※『吹取』
兎にも角にも萬斎師がナマで笛を吹くということで今回のチケを取った様なもので(笑)。笛と言えば例の超絶技巧の駄洒落おぢさん(もちろんあのお方w)のかっとびプレイがいの一番に脳裏に浮びますが、そこまではもちろん無理としても、能楽師は通り一遍全てを習うということならばそこそこイケちゃうのかな~などと失礼な想像をしつつ拝見(笑)。
さて聴いてみた印象はと言うと(以下、笛の専門用語等全く分かりませんのであしからず)、いわゆるオカズ的な装飾音がちょっと心もとないのだけれど、高音が綺麗に伸びる笛でした。時折客席からちょこっと笑い声が上がっていたのだけれど、それは萬斎師の演奏がおかしいからなのか、それとも萬斎師が笛を吹いているシチュエーションそのものがおかしいのか、いささか困惑しましたが(苦笑)。しかし最初にこの萬斎師の"自前の演奏"を観てしまったので、他の演者で観る機会がこれからあったとして、笛を吹けない方が口パクならぬ"笛パク(?)"をやっていたら物凄く違和感感じそうです。背後に本職さんがいらっしゃるとそっちばかりに気が取られそうな気もします。
何某の笛の力を借りてようやく、五条の橋で念願の花嫁候補に出会えた男ですが、その肝心の花嫁候補は男ではなく何某の方にすり寄ってしまいます。これはさすがに無理も無い(笑)。なにせ実際に笛を吹いたのは何某なのだから。「自分は妻帯者だから」と女を避けつつもまんざらでもない様子の何某が可笑しい。やがて女が頭からすっぽり被った衣を剥ぎ取ると中から出て来たのはこれまた定番の乙。しかしこの岡くん乙がやたらとでっかい!!高野師みたいなホラー感は無いのですが、単純に背の高さで充分に異形っぽい。これはこれで結構怖いかも(笑)。女性らしさはまだ発展途上かな?
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