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第九回京都東山文化振興会 新作舞台劇『六道輪廻』 。

200905011607000 2009年5月1日(金)18:30~ 於:東京芸術劇場中ホール

【配役】

サンサーラ(輪廻の館の主)/閻魔:野村万作
ユッダ(修羅の戦士):野村萬斎
ヴァイセーシャ(天人の長):麻実れい
メイユレー(サンサーラの娘):若村麻由美
サットバ:石田幸雄
ウーリ(天童):佐藤瑠花
グナ:石川新太
コロス:深田博治・高野和憲・月崎晴夫・時田光洋・金子あい
     ・人村朱美・麻生花帆・辻良江

主催・制作:財団法人 本願寺維持財団
共催:産経新聞社
後援:文化庁・大阪府(京都・大阪公演)・大阪市(大阪公演)・京都市(京都公演)

原作・総合監督:大谷暢順(本願寺法主)
脚本:笠井賢一
演出・脚本補綴:野村萬斎
音楽:田中傳次郎(京都・東京)・中村寿慶(大阪)・望月太喜十朗・福原友裕
    ・田代誠・大谷祥子・大曽根浩範・井口拓磨
振付:森田森恒・伯鞘麗名
衣裳:細田ひな子
ヘアメイク:気賀澤祀夫理
音響:伊崎弘征・前田規寛
照明:小笠原純
舞台美術:堀尾幸男
舞台監督:眞野純
演出助手:伊奈山明子
演出部:桐山知也・山口英峰・中野聡

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先に東本願寺・東山浄苑本堂で行われた京都公演をご覧になった常連さん(複数)から憤懣やるかたないという心情の感想メールをもらっており、また別の常連さんは上演に先んじて発表された制作陣の構成から何か不穏なものを感じられたようで(苦笑)最初から鑑賞をパス。自分自身も当初からこの手の企画には一抹の不安があったのですが、やはり萬斎師が演出(もちろん出演も)を手掛けるモノは出来る限り観ておきたい、という欲望に勝てず…先行予約日に必死で携帯をリダイヤルしながら獲ったチケを握りしめ、初めて東京芸術劇場に足を運んで参りました。その京都公演で憤慨されていた常連さんのお一方とご一緒。相変わらずタフです(大笑)。

一階の14列目右ブロック通路側。14列目と言えども中央寄りで思ったよりも見晴らしが良い。少し気分も前向きになって待機していると、前方…センターブロック中央にて人だかり有り。この『六道輪廻』の原作者・本願寺法主の大谷暢順師がいらっしゃいました。やがて急に自分の席の近くに来られたので何事かと思ったら、ちょうど私の後ろの列に関係者らしき方が座っていらしたようで…師はスーツ姿に、良く仏教関係者が洋装の際に首からかける組紐のような紫の飾り(正式名称分からず)を着けていらっしゃいました。かなり小柄な印象です。

毎度おなじみ、河合祥一郎先生も通路ですれ違い。こういうのもご覧になるんだなぁ(笑)。客席はほぼ満席、2階席はちょっと分かりません。入口で二つ折のパンフレットや関連舞台のチラシが入った茶封筒と、原作本「六道輪廻」を渡されました。件の常連さんは当然ダブる(笑)。ロビー奥で、今回の音楽担当・井口拓磨さんのサウンドトラックCDも販売されてました。

…うーむ、前置きが長い(苦笑)。こうやっているうちにも、さてはていったいどうやって感想を書いたら良いのやら考えあぐねるばかり。結論から言ってしまおう…ハッキリ言って"一時間半の苦行"でした。憤慨された常連さんは口を揃えて上演時間の短さ(だけでは無いですけど)を嘆かれていましたが、自分は全く逆。心が湧き立つこともなく、ただひたすらに時の流れを遅く感じて、後半では客電の消えた暗がりの中で目を凝らして何度時計を確認したか分かりません。

以下、舞台進行の時系列に沿った感想は出来ませんので、視点が総体に行ったりピンポイントに行ったりしますがご勘弁を。

出だしは期待感が高まったんですけどね。SEによる万作師の語り(さすがでした)、舞台に横並びに置かれた6つの扉(「天上」「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」)、暗く落とされた照明の中で、手に小さな灯りを持った6人の黒づくめのコロスが浮遊しながら登場人物を翻弄する。何かを予兆するような不気味さ・想像を喚起する抽象性に一瞬心が躍ったのですが…。

6つの世界を行き来する。その構成自体は分かる。しかし話をやたら詰め込んだ所為か、台詞に説明がとても多いのです。これだけの役者さんが集っているのですから、基本、何を演じても破たんするようなことは無い。しかし与えられた台詞があまりに説明的で、自分の役どころの心情・情念を送り出すための言葉になっていない。観終わって数日経った今になって「これは要するに、お坊さんのありがたい説教話だったのか。そういう風に"聴いて"いれば疲れることも無かったか」とさえ思えています(苦笑)。特に修羅の戦士ユッダとヒロイン・メイユレーとの悲恋は、確かに役者の熱演で"見栄え"はしましたが、6つの世界でそれぞれブツ切れのエピソードが次から次へと繰り出され、説明口調の台詞で人間模様(神もいますが・笑)が深まらない、中身の薄いまま次の"扉"にバトンタッチ、そのような展開の中では二人の関係があまりに唐突過ぎて、せっかくの見栄えも悲恋も鼻白む思いで残念。

対する、万作の会中心で構成された、サンサーラとサットバのコミカルな色ぼけオヤヂコンビシーンは、確かに他のところと比べて安心して観られますが、その他があまりに煮え切らない場面ばかりで、こう言ってはなんですが狂言パートが悪目立ちしているとさえ感じてしまいました。ここだけ全く別の物語であり別の舞台だと言われても違和感が無い。万作の会メンバーなら(本職様式なので当然ですが)このくらいの"場の圧力"は当たり前で、それが浮いて見えることが困ってしまったというか…。

この日の公演では、万作師が一度だけ台詞が飛んでしまい、舞台袖からプロンプが入るというアクシデントがありました。台詞が飛ぶなんて誰にでも起こりうるしそれで万作師の素晴らしさに何の傷もつきませんが、その飛ばした部分に引っ掛かりました。サンサーラがイカサマ博奕で閻魔からその装束を巻き上げ、自分が地獄の王になり切って獄卒達相手にまたまたイカサマ博奕を打つというシーン。正確な台詞はもう覚えていませんが、例えば「人間界ではリーマンブラザーズショックで経済が破綻しておるようだがこの地獄では云々」というようなもの。現代ネタを皮肉っぽく挿入して、確かにお客さんにはウケていましたが…この脚本全体、説明が多いところに持って来て、このような時事ネタお遊びまで盛り込んでいて、それならもっとシリアス・パートを練り込んでおくれよ、と。寄りにも寄ってそんなところで万作師が引っかかったことが妙に象徴的に思えてなりません。万作師や石田師がだらしなくニマニマしながら綺麗なおねーちゃんの人形抱えて歩きまわってるシーンの方がずーっと説得力があって笑えるんですけどね…。

オープニングではワクワクした舞台装置。京都公演を観ていない私は、これが物語の経過とともにいろいろと様相を変えるのではないかと予測してました。シンプルなセットは稼働し易いし、抽象性の高さで想像力を膨らませてくれる。しかし、結局はあの扉のセットは扉としての開閉以外動かず仕舞い。結果、天上界と修羅界の戦闘シーンでも、奥ゆきのないやたら横に長い舞台の上で窮屈そうな動きになってしまった。京都をご覧になった方が「あんな狭い所(斎場)じゃ無理!ホール公演の大阪と東京なら良いだろうけど…」とおっしゃってましたが、京都公演の舞台写真を見つけて比べてみる限りでは、広さに関しては大して変わらないように見えました。2次元の漫画を紙芝居にして観ているような感覚。

ラストシーン、京都では暗幕を開いて舞台奥の本物の御本尊を拝ませる演出で、もともとそこはそういう場所なのだから仕方ないと思いますが、普通の舞台である東京でも、御本尊はもちろんありませんが、6つの扉が両サイドに片づけられて「あの落日を拝もう」というサンサーラの台詞と共に舞台奥が明るくなり、天井近くに阿弥陀如来の掛け軸が(ちょうど黒澤映画『乱』のラスト、廃墟の上で鶴丸が取り落とすそれと同じようなもの)下げられ、シースルーのスクリーン越しにヴァイセーシャやユッダ達が彫像のように立っている。それはそれでラストにふさわしい美しい場面になりましたが、思えばこのラストの為に、舞台のスペースの半分以上は使われず"死んでいた"ことになります。御本尊が役者に替わっただけで、舞台の形・使い方はまず京都ヴァージョンありき、それをホール公演用に構成し直すような余裕は無かったのでしょうね。舞台の半分以上が飼い殺しのようになっていたことは本当にもったいないと思います。照明とかの、もともとホールにあるものが使えるメリットとか、役者が慣れて来たということもあって、京都も東京(大阪)もご覧になった方は「格段に良くなった!」と思われたかも知れませんが、実はそんなに変わっていないんじゃないか…。

今更ですが、これは東本願寺・東山浄苑本堂での公演が全てであって、言い方は悪いですが大阪と東京は「ついで」なのでしょう。萬斎師なら、しっかり余裕があるなら間違いなくホール公演ヴァージョンを考えると思うんです。しかし実際はそんな時間は無い。全て京都・斎場ヴァージョンのサイズ(これは装置だけでなくお芝居全てに関する諸々のこと)のまま行くしかなかったんじゃないか。京都ヴァージョンが企画の全てである、ということなのではないでしょうか。これは皮肉でも何でもなく、京都ヴァージョンをご覧になった方が"本当の『六道輪廻』"を観たことになるように思えるのですが…。

脚本の問題にも立ち返ってみると、これはやはり一種の説話集を3次元で再現した、それを歴史のあるお寺で御本尊に見守られながら観る、そこに意義があるのであって、『敦』や『国盗人』で魅了された萬斎演出を十二分に堪能するというところにポイントを置こうとすること自体、無理があったのではないかと(自滅)。

まぁ他にも、 生演奏に使われたある楽器が私には全く肌に合わなかったらしく、その楽器が奏でる異様に甘ったるいムード・ミュージックのお陰で、麻実さんが演じる天上界のシーンが何とも安っぽく見え(まるで怪しげな新興宗教のプロモーション・ビデオのよう・爆)、麻実さんの本来の凄さが半減してしまったように感じたり(←ここまで書くと楽器名を伏せた意味無いな・苦笑)、とにかく全体的にスケール感が小さくて、子役ちゃんの演技は悪くなかったのですが、彼らが出ているとまるで『おかあさんといっしょ・こどものひスペシャル・じゃじゃまるぴっころぽろりもいっしょだよ!』みたいなステージを観ている錯覚まで…いや、そういう子供向け舞台自体がダメだということは無いんですが…。

とまぁ、気分の悪い話ばかりになってしまい、自分でも書いていて少々滅入って来た(爆)。狂言パートの出来はさすがに素晴らしかったし、扉の開閉の演出それ自体は凄く練られているし、餓鬼の造形、ユッダ変身(餓鬼→ユッダ、生首→ユッダ)のイリュージョン(笑)、コロスの使い方など、ピンポイントでは楽しめたところも間違いなくありました。『春琴』や『国盗人』を思わせるところもあった。しかしいかんせん、舞台全体のスケール感の無さ、物語のバラバラさ加減に、その良さも霞んでしまったように思えたのが残念でなりません。面白いと分かっていながら、狂言パートでくすりとも笑えない自分は自分で辛いものです。全く"発散"出来ないまま会場を後にしたのはこれが初めてかも知れません。

結局は「SePTのような舞台で作り直して欲しい…」といういつものところにオチました(苦笑)。

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コメント

お疲れ様です、本当にお疲れ様でした。
BBSには「お楽しみに・・」と書き込んでちょっと後悔してます。
壮大なお話と贅沢な役者を揃えたのに、思い出に残らない残念な舞台でしたね。
で、原作本は・・・途中で諦めました・・(´д`)

投稿: るーな | 2009年5月 4日 (月) 16:33

はじめまして。
いつも楽しみに読ませていただいています。

同じ日の公演を見ました。
がんばって原作本を最後まで読みました。
そうしたら、よくあそこまで脚本化、舞台化したものだと思えました。

萬斎さんが阿修羅の戦士の扮装が似合っていたのがよかったです。

投稿: susie | 2009年5月 4日 (月) 23:58

>るーなさん

いえいえ、こちらこそなんだか辛気臭い感想を綴ってしまって少々後悔しておりますweep楽しめた方には悪いなーと思いつつ、やはりノレなかったのは事実なので…。
昨夜、少し原作を読んだんですが数ページであっさりと断念bearingもー正直ワケワカランというか…とにかくコレを3次元で表現しようとしたんだから、それだけでも大健闘、いや、若旦那でないとあそこまで出来なかったかも、と今は少し視点が変わってきたかもcoldsweats01

>susieさん

こちらこそはじめまして!コメントありがとうございますhappy01原作読破されたのですね!私はもう…そこまで根性出ませんでしたwobbly↑のるーなさんへのレスにも書きましたが、これをなんとか舞台化出来たのだから、若旦那はやはりタダものではないと思えますよね。
ユッダの造形は本当に似合ってましたねheart04時折少年っぽく(まさに阿修羅か?)見えるのがまたようございましたlovely

投稿: RICC | 2009年5月 6日 (水) 21:24

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