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タブラトゥーラ。

役所広司さん監督・主演映画『ガマの油』。

http://gama-movie.com/

公開を前にして「めざましTV」等、いろいろな番組で紹介されてますが(昨日はローカルのテレビ埼玉で)、その映像のバックに流れている曲にアンテナがバッチリ合いましたshine(すんません、映画そのものに関してじゃなくて申し訳ないんですがcoldsweats01

上記の公式サイトで調べたら、"タブラトゥーラ"なる古楽器集団だそうな。

http://www.linkclub.or.jp/~dowland/tablatura/tablatura.html

リュート担当のつのだたかしさんは漫画家・つのだじろうさん、ミュージシャン・つのだ☆ひろさんの実の兄弟だそうでビックリ。お顔がめちゃくちゃ似てたんでもしかしたらと思ったらホントにそうだったhappy02つのだ家は才能の宝庫ですな。

初期の作品はほとんど廃版になっていて入手困難ですが、この初期作品中心のベスト版『タブラトゥーラ・コレクション』は試聴・購入出来るのでご紹介music

http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000040809/

中世ヨーロッパの舞踏音楽好きならたまらん旋律です。もちケルト寄りheart04中近東のフレーバーもありまして"耳のシルクロード巡礼"気分が味わえること請け合いですwinkお芝居っぽいナレーションが入るのもご愛敬。早速ダウンロードしてほぼ毎日聴いている状態。問題の廃版は…某所にて探索中coldsweats01

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怨霊と鎮魂の芸能史。

200905201928000 拙宅の某常連さんから紹介してもらった一冊。発行元は能楽関係の書籍を主に取り扱っている檜書店(商品の詳細はこちら)。なかなか面白かったのでコチラ方面に興味のある皆様に是非紹介を、と思ったのですが…自分が書くよりこの常連さんが某所(笑)にて書いたレビューが鮮やかにキマっておられますので、御本人に許可をいただいてそのレビューを丸ごとこちらに写させていただきました。感謝感謝~heart04

以下、そのレビューです。

前半のテーマは「『平家物語』は怨霊鎮魂の書」です。

怨霊信仰というのは、古代から日本人が行ってきた「敗者をまつる」というシステムです。「まつる」は「祀る」であったり「祭る」であったりするのですが。

出雲大社のオオクニヌシノミコトしかり、北野天満宮の菅原道真しかり。

この世に恨みや無念を残して死んでいった人は、そのまんま放っておくと怨霊になって害を為すので、功績を褒め称えてまつり上げ、立派な神殿を造って鎮まっていただく。そうすると「怨霊」は「御霊(ごりょう)」となり、カミサマになって守ってくださるということです。こういったまつりごと(まさにマツリゴト=政でありますが)は、平安時代までは天皇を筆頭に、支配階級である貴族が担ってきました。

井沢氏は『源氏物語』も、藤原氏が臣籍降下した(源姓を賜った)源氏一統を衰退させたため、その償いとして藤原道長らがバックアップして書かせたものと見ています。

ところが。源平合戦の勝者である武士の源氏は、「敗者の平氏をまつり上げる」ことをしなかった。 源氏は怨霊信仰を持っていなかったのです。何せ武士ですから、いちいち「敗者は祟る」とか言うてたら戦いなんかできないわけですな。

むしろ平氏の祟りを畏れたのは京の貴族たちでした。そこで、平氏の魂を鎮めるために作られたのが『平家物語』というわけです。ちなみに吉田兼好の『徒然草』などによると、『平家物語』を作らせたのは、平氏と敵対していた関白九条兼実の実弟で、天台座主の慈円大僧正と伝えられているそうです。まさに仏教界のトップが平氏の鎮魂を手がけたわけです。

『平家物語』は単に文書として残されただけでなく、琵琶法師の語りによって庶民にも広まりました。ここで「物語」が「芸能」へと進化していきます。しかしこの時点ではまだ、芸能を担うのは「法師」という、いわば霊的にガードされた職分の人たちでした。そうでなければ、語りに引き寄せられた怨霊に憑かれかねないからです(「耳無し芳一」のような状態になるわけですな)。

後に猿楽能が『平家物語』や『源氏物語』を素材として演劇化する際に、問題になったのがこの点でした。何しろ霊を舞台上に登場させ、無念の思いを語らせるのですから。霊的に素人の、生身の人間に怨霊が憑いたらたまったもんじゃない。

そこで活用されたのが「面(おもて)」です。面をよりしろとして霊に降りていただき、終わったら面を外すことでお鎮まりいただく。さらに能舞台の楽屋に当たる「鏡の間」も、降霊・除霊の場として機能していたと見ることもできます。

こうして猿楽能が、普通の人間でも怨霊をコントロールできる手法を見いだしたことによって、時代が下った歌舞伎では、面も使わず「隈取り」だけで怨霊を表現することができるようになりました。

というのが井沢氏の「怨霊史観」から見た能楽の発展過程です。基本的に怨霊信仰がわかってないと、同意できない部分もあるかと思いますが、こうした考え方もできるということで。 この「面のシステム」の着眼点がおもしろいですねぇ。

能楽師の方々は、面を決して粗略に扱わず、面を着ける時にも恭しく押しいただいてから着けるそうですが。やはり何ごとか「ただならぬモノ」が憑いている、という実感はあるんでしょうかね。

昔は今よりもずっとずっと「霊」も「神」も身近な、それこそ存在を間近に実感できるほど側にあった、ということを理解していなければ、民俗史も芸能史も読み解けない、と思うことはよくあります。それが合理的か、科学的に正しいかは別にして、その時代の人にとってはそれが「真実」だったのですから。

現代の視点だけでは見えてこないことは、まだまだたくさんあります。

…という見事なレビューの末席を汚して申し訳ないのですがcoldsweats01ちなみに後半は実際の能の数曲をピックアップしてその背景を探る歴史探究コーナー「歴史の神に翻弄される源平の主役たち」。取り上げられた曲は『鉢木』『俊寛』『頼政』『木曽』『安宅』『朝長』『正尊』『船弁慶』。この本は著者・井沢元彦さんの、雑誌「観世」での連載と、大阪・大槻能楽堂自主公演能での解説を集めてまとめたものなので、これらの曲が上演された際に井沢さんの口から直接語られたお話も含まれていることになりますね。保元・平治の乱やら壇ノ浦に向かうまでの源平のさまざまな戦いやら、複雑に絡み合った事象や人間関係が非常に平易で分かりやすい言葉で綴られていて、歴史好きの歴史音痴(私ですshock)にも大変優しい作りになっています。前半と後半、ガラッと毛色の変わった話題になっていて、もうちょっとタイトル(芸能史)の部分にスペースを割いて話を広げて欲しいなぁという気持ちもなくは無いですが…。

ご興味の涌いた方はぜひどうぞhappy01

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ダヴィンチ・コード。

レポ・ページに『野村万作・萬斎狂言公演「唐人相撲」(瑞穂様・るーな様レポ)』『夜桜能 第三夜(どじこ様レポ)』を清書UP、『狂言ござる乃座41st』『第46回 野村狂言座』『六道輪廻(東京公演)』を当ブログとリンク処理。

気がついたらレポの清書を溜めこんでましたcoldsweats01

昨夜放送された『ダヴィンチ・コード』、今更ながらにハマりましたhappy02早速原作の文庫本を某所にて安価で購入book正直、映画の方は説明(登場人物が滔々と語って謎解きとしてしまう)が多すぎていま一つ分からないことだらけshock確か映画はかなりヒットしたと記憶してますが、その反面不評も多かったような…複雑で膨大な原作に基づいている作品の宿命だとも思いますけどね。おおまかな謎解きポイントはこれまでTVの特番等でさんざん紹介されてきたので「ああ、コレがあのことか」などと反芻しながら観てました。まぁなにぶん宗教が濃密に絡んでいるので、発表するにあたってはいろいろと物議を醸したんでしょうね。あまり堅固な宗教観を持たない日本人はかえって素直に謎解きとして楽しめてしまうのかも知れません。

しかしまぁ…流行った時はほとんどすぐに手を出さずに(躊躇ではなく単なる面倒くさがり)随分後になってやっとこさ腰を上げる自分は相変わらずだなぁ、とsmile特番は見てたけど肝心の映画も原作も全然手をつけてなかったもので。

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第10回 よこはま「万作・萬斎の会」。

2009年5月9日(土)14:00~ 於:横浜能楽堂

◆解説 石田幸雄

◆狂言『茶子味梅(ちゃさんばい)』

 唐人:野村万作 女:高野和憲 教え手:野村万之介
 後見:深田博治

◆狂言芸話(十) 野村万作

◆素囃子『神舞』

 大鼓:原岡一之 小鼓:鳥山直也 太鼓:大川典良 笛:成田寛人

◆狂言『鬮罪人(くじざいにん)』

 太郎冠者:野村萬斎 主:石田幸雄
 立衆:野村万之介・深田博治・高野和憲・竹山悠樹・中村修一・岡聡史
 後見:月崎晴夫・時田光洋

※解説

こちらもこの会では恒例になりました、石田師のオープニング解説。「この『よこはま』ではあくまで万作先生の"狂言芸話"がメインですので手短に」といういつものおことわりから(笑)。

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今回の番組『茶子味梅』と『鬮罪人』、どちらも大曲ではないが見ごたえのある演目。それぞれに面白いネタが仕込まれていますがどこまでバラして良いものか(笑)。能の解説ならストーリー理解の為に説明が必要になってくるけれども、狂言はその限度が難しい(苦笑)。

まず『茶子味梅』は国際結婚の話。中国から九州・箱崎に流れ着いた中国人。彼は祖国の豊富な知識や技術を備えているので、日本側の為政者は彼に妻をあてがってなかなか祖国に帰そうとしない。やがて月日が流れ彼はホームシックに。「中国に残してきた妻に会いたい」と嘆く姿に一度は腹を立てた日本妻ですが、そこを物知りの男に諭されて夫に酒をふるまい慰めることに…その決着は?

ここでは"唐韻"という中国語っぽい言葉が使われるが、これはセリフを漢字の羅列にしてそれを音読みしている。良く聴いていると何となく意味が分かるかも知れません(笑)。

続いて『鬮罪人』は祇園祭の話。みなで集まって祭の山車をどうするかの相談をします。ここでは主役の太郎冠者とその主人の関係性に注目。この太郎冠者が一筋縄ではいかないタイプ(笑)。主人に何かと口出しをします。その繰り返しの面白さがあり、また山車の相談相手として複数の立衆が登場しますが、その大勢ものとしての面白さもあります。

太郎冠者の山車の案は、地獄の鬼が罪人を責める様を見せるというものですが、この場合の"責め"とは暴力をふるうことではなく、鬼が罪人を針の山や血の池に追い立てて行く様のこと。

このような狂言の会を催す際には普通、演目のネタや装束がかぶらないようにするのですが、この『茶子味梅』と『鬮罪人』にはどこか一つ"共通点"があります。2つの曲を比べてみてその共通点を探し出してみて下さい。

(ここで揚幕の奥から囃子方の音色が)

あの囃子の音色は「おしらべ」と言います。曲を始める前に囃子の調子を見るために音を出します。オーケストラで曲が始まる前に各楽器が試し弾きをするのと同じようなもの。その他に「お前の解説長ぇよっ!!」という合図でもあります(見所爆笑)。

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確かに手短に(笑)しかしくすぐりを適度に入れつつのユッキー解説でした。

※『茶子味梅』

九州は箱崎に住む、唐人(中国人)を夫に持つ妻は、最近夫が奇妙な言葉を言って嘆くので、近所に住む物知りの男に相談を持ちかけます。夫の「日本人無心我唐妻恋」という言葉を「中国に残した妻が恋しい」と訳されて妻は激怒。しかし物知りの男が「"ちゃさんばい"は『茶を飲もう』、"きさんばい"は『酒を飲もう』という意味だから、茶や酒をふるまって夫の心を慰めてあげなさい」と妻を諭すので、妻は帰宅すると言われた通りに、望郷の念にかられて泣いている夫に酒を勧めます。喜んだ夫は妻に所望されて唐の楽の舞を舞いますが、舞が終わるとまた「日本人無心我唐妻恋」と言って泣くので、さすがに妻も堪忍袋の緒が切れて、夫を追い出してしまいます。

万作唐人の姿がどうしても『唐人相撲』の皇帝とオーバーラップ(笑)。いでたちのグレードは全然違うんですが。最近とみに可愛さが増している万作師、ホームシックにかかって涙にくれる唐人の姿がまるでダダをこねる子供のよう(笑)。一見"重婚(爆)"のオイシイ立場に見えなくもないですが、某将軍様の国の"拉致"ほど悪辣ではないが、結局は"日本の利益の為"にこの異国にとどまることを余儀なくされている悲しい身の上ではあります。この日本人妻がそのあたりの事情をどこまで踏まえているのか…などという深読みは、高野妻の十八番、キレまくる猛妻の姿の前に雲散霧消(苦笑)。酒で慰められて機嫌を直し、楽を舞うその唐人の優雅な姿と心地よい囃子方の音色に誘われて、"眠りの壇ノ浦"に何度も片足を突っ込んでしまいましたが(泣笑)、その邯鄲の枕もかくやという至福の時を切り裂く高野妻の怒号(爆)。おっかねぇぇぇぇぇっ。

※狂言芸話(十)

「よこはま」名物(笑)万作師の"狂言芸話"も10回目を迎えました。黒紋付に袴のいでたちで切戸口より登場の万作師、舞台中央に正座すると「前回何を話したかメモを取っていなかったので忘れてしまいました(見所大笑)」といきなり大ボケ。ということで今回は最初に演じられた『茶子味梅』にちなんで中国と万作師との繋がりについてのお話に。

(以下、こちらも毎度のことですが不十分なメモを無理矢理繋げてのご報告(汗)。文の前後左右、かなりあやふやになりますので何か粗相がありましたらご指摘お願い致します。あと、お話の中に中国の方のお名前(京劇関係の方々中心)が沢山出て来ましたがさすがに聴き取れず。この点特に平にご容赦をば)

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最初に演じられた『茶子味梅』はそう頻繁には出て来ない珍しい曲。この『茶子味梅』は小説家であり劇作家でもある獅子文六さんが本名の岩田豊雄で発表した戯曲『東は東』の本ネタで、狂言の新しい活動スタイルとして武智鉄二先生の後押しを得て、茂山家が新作狂言として演じた。自分は『夕鶴』に出演(注:1954年)。こういう活動は当時能楽界からかなり非難を受けまして(笑)。茂山千作さんはあわや除名の憂き目に遭いそうに(見所汗笑)…(この手の話をする時の万作師のテンションがいつも高い・爆)

今回の『茶子味梅』で使用した装束、カンニン頭巾は北京で(この日の舞台の真っ最中に何度も落ちそうになったらしい・笑)、ハッピとその下の衣は南京で、足袋は台湾で購入したもの。公演で海を渡る度に買い足している。自分はこういう布地のことを「きれじ」と言うのだが、その度に周囲から笑われてしまうんですが(苦笑)…(万作師、「きれじ」連発・笑)。

来週中国公演に向かい、現地で『三番叟』『棒縛』『茸』を演じる予定。今回は北京大学での公演も予定されている。早稲田大学と北京大学の交流が深いので。何故中国に行きたいかというと、能狂言の源が中国にあるから。

文芸評論家の中島健蔵さんが日中文化交流協会の役員をされていた頃に、自分の方から「中国公演に行きたい」と頼んだら「今は文化大革命で大変な時期だから無理なんじゃないか」と言われた。それでも何とか訪中すると確かに文革の"四人組"がいて、あの江青がサッカー観戦をしているのを見かけたこともあった。田舎の方へ行ったこともあったが、そういうところでは戦時中の日本軍の悪口を散々聴かされたりした。そんなことをしている合間に、あの『茶子味梅』の衣装を集めたりしていたわけで(笑)。

京劇の方々との交流も長い。『世界~わが心の旅』というドキュメンタリー番組の収録で、その様子を納めてある。そこでは『舟渡聟』を披露したが、その『舟渡聟』の船頭の役を使い、京劇『秋江(しゅうこう)』を作って共演した。舟に乗って愛しい人に会いに行く女性と、舟をわざと揺らしたりしてその女性をからかう船頭とのやり取りを劇にした。京劇よりも古い昆劇(こんげき)の形態で演じた。

他にも何度か訪中を果たしている。日舞の花柳千代さんとご一緒した時は文化大革命の真っただ中、観世清和さんとご一緒した時は、帰国したのが天安門事件の前日だった、ということもあった。日本と中国の伝統的なものには深い所に共通項があると思う。その探究を続けている。

このたび、中国の芸術研究院・名誉教授の称号をいただくことになった。中国との長い文化交流に対するご褒美ではないかとは思っているが(笑)…理由を尋ねてはいるのだがまだ当局から返答がありません(見所大笑)。

『唐人相撲』を中国で上演したらどうなるだろう?皇帝と日本の相撲取りとの勝負の決着は曖昧にしてあるが、相撲取りが皇帝に勝つ話だったら中国では無理でしょうね(笑)。

中国のみならず、狂言公演は他のさまざまな国でやってきたけれど、実はその中で中国だけはまだ本当に喜んで観ていただけていないように思える。一般のお客の観劇マナーの問題も影響しているかも知れない。(狂言などの日本の伝統芸能を)専門的に勉強している人達の前では問題が無いが、一般の人達の前で演じるにはまだまだ反応が掴めない。今度北京大学の学生の前で披露するのも、その反応に興味がある。どのくらい分かってもらえるだろうか。

…ということで今回は中国のお話を中心に。これは間違いなく次回のためにメモを取っておきますので(見所爆笑)。

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今回も終始楽しげに、時折ちょろちょろと毒を吐かれつつ(爆)。

※『鬮罪人』

祇園祭の山車(だし)の当番になった主人は、出し物の趣向を相談しようと太郎冠者に命じて仲間を集めます。主人はまず最初に自分の案を出しますが、末席で聞いていた太郎冠者が横から口をはさんで主人の案に反対してしまいます。続いて集まった仲間達が別の案を出していきますが、太郎冠者はそれらにもことごとくケチを付けます。あまりの図々しさに怒った主人が太郎冠者を叱りつけますが、一同は太郎冠者の案を聞いてみようと主人をなだめます。太郎冠者は地獄の鬼が罪人を責める様を山車にしようと提案、主人は反対しますが他の仲間達は太郎冠者案に賛成。次に誰が何の役をやるか鬮(くじ)で決めることになりますが、鬮を引くと鬼役が太郎冠者で鬼に責められる罪人役は主人に。さっそく稽古が始まりますが、日頃から主人に抑え付けられている太郎冠者は、ここで鬱憤を晴らそうと、わざと杖で主人を叩くので、主人は怒って太郎冠者を追い込んでいきます。

萬斎師ファンなら"落とせない"一曲。それこそあの『彦市ばなし』と同じように、まるで"萬斎=太郎冠者"として当て書きされたんじゃなかろうかと思ってしまうほどのハマり演目。図々しいが憎めない、お邪魔虫だが可愛さが半端無くて許せる。見所の目を完全釘付けの太郎冠者ワールドがもうとにかくひたすら楽しいのであります(笑)。

素直にストーリーを考えて不思議なのは、なぜこうも簡単に皆"太郎冠者案"に乗ってしまうのかということ。主人案・太郎冠者案・立衆案それぞれ客観的に比べてみても、アイディアの斬新さ(斬新かなー・苦笑)にそう大差ないように思うのだけど…いや、それよりも先に、なぜ誰も太郎冠者のお邪魔虫っぷりを諌めない(除く・主人)???まぁあくまでお話の流れだけで背景を考えてみると、この主人、よほど普段から仲間内で信用が無いのか…または狂言のオチパターンの一つとして"主人はやりこめられる"というのに則していると考えるのが妥当でしょうが、そんなお決まりの予測をぶち破っちゃうのがこの萬斎太郎冠者。このプリティ極まりないお邪魔虫が乱入してくると、まるで魔法にでもかかったように全て受け入れてしまう立衆御一行、という景色に見えてしまうのが不思議。理屈抜きのこの"ぶっ壊し"っぷりは一種のトリックスターと言っても良いのかも(笑)。野村萬斎専用仕様太郎冠者という認識でよろしいでしょうか(爆)?

いざ稽古を始めて、罪人役の主人をつっ突くたびにぎろりと睨まれるとヘタレ犬の如くビビりまくるのさえ、まるで王様の叱責に舌を出して逃げ回る道化のようにも見える。ビビっているのか遊んでいるのか…まぁどっちでも良いじゃん楽しくて仕方がないっす♪そうそう、脇正面最前列のお客さん達のリアクション最高!例の"武悪面ずらしてにっしっし笑い"の真っ正面にあたるこちらの皆様、一斉に「ぷっ!」と吹き出してました~。いや~さすがこの演目の為にわざわざ脇正面をチョイスする方々の気持ちが痛いほど分かります。こちら正面では「にっしっし」の後の、主人をうかがう"鼻の下伸ばしオマヌケフェイス"をたっぷり拝めましたので(大笑)。

ということで"5月1日の悪夢"は見事払拭出来たようでございます(苦笑)。めでたく大笑いして気分もすっきり!ところでこの会の冒頭、石田レクチャーにあった「『茶子味梅』と『鬮罪人』の共通点」って何だったんでしょう???「最後は杖で追い込まれる」じゃああまりにも当たり前過ぎて問題にならないような気がするし…はて???

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ちょこちょこユッダ。

Sdyuddaforblog …ということで、私の頭の中ではこんな奴がちょこちょこと走りまわってますbleah2.5頭身にした方が現物に似てる気がする(おい)heart04

相変わらずメイクや衣装の細部が分からないんですがcoldsweats01…どなたかドット絵かソフビのフィギュア作ってくれないでしょうか~?

はい、ゲーキャラですねどう見てもgame

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ちょっと残念。

いや、ちょっとどころじゃなくかなり残念なんですがweep

あの(苦笑)『六道輪廻』会場で入場時に渡されたA4判の茶封筒。感想をこのブログに上げる為にパンフレットを抜き出した以外はそのまま放って置いたんですけどねcoldsweats01

その中に『国盗人』再演に関する速報チラシが入っているのに気が付いたのがつい一昨日あたりのことsweat01今年末に上演が予定されているのは知っていましたが、出演者やスタッフ等の詳細はもちろんまだ知りません。黒地にシルバーの文字のクールな(というか、そっけない・笑)デザインのチラシをよくよく眺めてみると…

善二郎・右大臣・理智門役の今井朋彦さんのお名前が無いshockshockshock

いや~これは痛い…初演当時は"消臭プ●グの殿様"の凛々しいお姿と凛とした声に胸を躍らせたものでしたが…舞台の前と奥に萬斎悪三郎と今井理智門が陣取って、自軍に交互に檄を飛ばすあの名シーンがいまだに忘れられませんlovely演出は変わるかも知れませんが、この二人の絡みはまた観たかった…。

他にも、王妃の弟役の盛さん、連れ子役の福島さん、王子役のもみぢさん、女官役の大城さん、市民役の土山さんのお名前が無い。初演時には無かった新しいお名前がチラシにいくつか見られますので、このあたりは交代になるのでしょうか。祐筆の小美濃さんのお名前も無いんですが…まぁ小美濃さんは演出にも参加されるんじゃないかと思うので…あの祐筆役は結構オイシイポジションなんだけどbleah

"子分's"の平原さん・すがぽんさん、影法師のじゅんじゅんさんは続投でひと安心happy01政子白石さん、左大臣大森さんももちろん。だからこそ今井さん離脱がなぁ~~~sweat02

再演出演者の表記順から推測する限り、小田豊さんという方が今井さんと交代になるのでしょうか。お名前で検索したところ(もし間違いなく"そのご本人"でしたらの話ですが)鐘下辰男さん演出の作品にも出演されているのでその繋がりでの起用かな、と。

…と、あれこれ今から気を揉んでもしょうがないcoldsweats01配役よりも何よりも、今年のこの時期はプライヴェートで気持ちがいっぱいいっぱいになる頃cryingココロの平安を保つ為に1回は観ておきたいと…切に願っておりますbearing

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第九回京都東山文化振興会 新作舞台劇『六道輪廻』 。

200905011607000 2009年5月1日(金)18:30~ 於:東京芸術劇場中ホール

【配役】

サンサーラ(輪廻の館の主)/閻魔:野村万作
ユッダ(修羅の戦士):野村萬斎
ヴァイセーシャ(天人の長):麻実れい
メイユレー(サンサーラの娘):若村麻由美
サットバ:石田幸雄
ウーリ(天童):佐藤瑠花
グナ:石川新太
コロス:深田博治・高野和憲・月崎晴夫・時田光洋・金子あい
     ・人村朱美・麻生花帆・辻良江

主催・制作:財団法人 本願寺維持財団
共催:産経新聞社
後援:文化庁・大阪府(京都・大阪公演)・大阪市(大阪公演)・京都市(京都公演)

原作・総合監督:大谷暢順(本願寺法主)
脚本:笠井賢一
演出・脚本補綴:野村萬斎
音楽:田中傳次郎(京都・東京)・中村寿慶(大阪)・望月太喜十朗・福原友裕
    ・田代誠・大谷祥子・大曽根浩範・井口拓磨
振付:森田森恒・伯鞘麗名
衣裳:細田ひな子
ヘアメイク:気賀澤祀夫理
音響:伊崎弘征・前田規寛
照明:小笠原純
舞台美術:堀尾幸男
舞台監督:眞野純
演出助手:伊奈山明子
演出部:桐山知也・山口英峰・中野聡

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先に東本願寺・東山浄苑本堂で行われた京都公演をご覧になった常連さん(複数)から憤懣やるかたないという心情の感想メールをもらっており、また別の常連さんは上演に先んじて発表された制作陣の構成から何か不穏なものを感じられたようで(苦笑)最初から鑑賞をパス。自分自身も当初からこの手の企画には一抹の不安があったのですが、やはり萬斎師が演出(もちろん出演も)を手掛けるモノは出来る限り観ておきたい、という欲望に勝てず…先行予約日に必死で携帯をリダイヤルしながら獲ったチケを握りしめ、初めて東京芸術劇場に足を運んで参りました。その京都公演で憤慨されていた常連さんのお一方とご一緒。相変わらずタフです(大笑)。

一階の14列目右ブロック通路側。14列目と言えども中央寄りで思ったよりも見晴らしが良い。少し気分も前向きになって待機していると、前方…センターブロック中央にて人だかり有り。この『六道輪廻』の原作者・本願寺法主の大谷暢順師がいらっしゃいました。やがて急に自分の席の近くに来られたので何事かと思ったら、ちょうど私の後ろの列に関係者らしき方が座っていらしたようで…師はスーツ姿に、良く仏教関係者が洋装の際に首からかける組紐のような紫の飾り(正式名称分からず)を着けていらっしゃいました。かなり小柄な印象です。

毎度おなじみ、河合祥一郎先生も通路ですれ違い。こういうのもご覧になるんだなぁ(笑)。客席はほぼ満席、2階席はちょっと分かりません。入口で二つ折のパンフレットや関連舞台のチラシが入った茶封筒と、原作本「六道輪廻」を渡されました。件の常連さんは当然ダブる(笑)。ロビー奥で、今回の音楽担当・井口拓磨さんのサウンドトラックCDも販売されてました。

…うーむ、前置きが長い(苦笑)。こうやっているうちにも、さてはていったいどうやって感想を書いたら良いのやら考えあぐねるばかり。結論から言ってしまおう…ハッキリ言って"一時間半の苦行"でした。憤慨された常連さんは口を揃えて上演時間の短さ(だけでは無いですけど)を嘆かれていましたが、自分は全く逆。心が湧き立つこともなく、ただひたすらに時の流れを遅く感じて、後半では客電の消えた暗がりの中で目を凝らして何度時計を確認したか分かりません。

以下、舞台進行の時系列に沿った感想は出来ませんので、視点が総体に行ったりピンポイントに行ったりしますがご勘弁を。

出だしは期待感が高まったんですけどね。SEによる万作師の語り(さすがでした)、舞台に横並びに置かれた6つの扉(「天上」「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」)、暗く落とされた照明の中で、手に小さな灯りを持った6人の黒づくめのコロスが浮遊しながら登場人物を翻弄する。何かを予兆するような不気味さ・想像を喚起する抽象性に一瞬心が躍ったのですが…。

6つの世界を行き来する。その構成自体は分かる。しかし話をやたら詰め込んだ所為か、台詞に説明がとても多いのです。これだけの役者さんが集っているのですから、基本、何を演じても破たんするようなことは無い。しかし与えられた台詞があまりに説明的で、自分の役どころの心情・情念を送り出すための言葉になっていない。観終わって数日経った今になって「これは要するに、お坊さんのありがたい説教話だったのか。そういう風に"聴いて"いれば疲れることも無かったか」とさえ思えています(苦笑)。特に修羅の戦士ユッダとヒロイン・メイユレーとの悲恋は、確かに役者の熱演で"見栄え"はしましたが、6つの世界でそれぞれブツ切れのエピソードが次から次へと繰り出され、説明口調の台詞で人間模様(神もいますが・笑)が深まらない、中身の薄いまま次の"扉"にバトンタッチ、そのような展開の中では二人の関係があまりに唐突過ぎて、せっかくの見栄えも悲恋も鼻白む思いで残念。

対する、万作の会中心で構成された、サンサーラとサットバのコミカルな色ぼけオヤヂコンビシーンは、確かに他のところと比べて安心して観られますが、その他があまりに煮え切らない場面ばかりで、こう言ってはなんですが狂言パートが悪目立ちしているとさえ感じてしまいました。ここだけ全く別の物語であり別の舞台だと言われても違和感が無い。万作の会メンバーなら(本職様式なので当然ですが)このくらいの"場の圧力"は当たり前で、それが浮いて見えることが困ってしまったというか…。

この日の公演では、万作師が一度だけ台詞が飛んでしまい、舞台袖からプロンプが入るというアクシデントがありました。台詞が飛ぶなんて誰にでも起こりうるしそれで万作師の素晴らしさに何の傷もつきませんが、その飛ばした部分に引っ掛かりました。サンサーラがイカサマ博奕で閻魔からその装束を巻き上げ、自分が地獄の王になり切って獄卒達相手にまたまたイカサマ博奕を打つというシーン。正確な台詞はもう覚えていませんが、例えば「人間界ではリーマンブラザーズショックで経済が破綻しておるようだがこの地獄では云々」というようなもの。現代ネタを皮肉っぽく挿入して、確かにお客さんにはウケていましたが…この脚本全体、説明が多いところに持って来て、このような時事ネタお遊びまで盛り込んでいて、それならもっとシリアス・パートを練り込んでおくれよ、と。寄りにも寄ってそんなところで万作師が引っかかったことが妙に象徴的に思えてなりません。万作師や石田師がだらしなくニマニマしながら綺麗なおねーちゃんの人形抱えて歩きまわってるシーンの方がずーっと説得力があって笑えるんですけどね…。

オープニングではワクワクした舞台装置。京都公演を観ていない私は、これが物語の経過とともにいろいろと様相を変えるのではないかと予測してました。シンプルなセットは稼働し易いし、抽象性の高さで想像力を膨らませてくれる。しかし、結局はあの扉のセットは扉としての開閉以外動かず仕舞い。結果、天上界と修羅界の戦闘シーンでも、奥ゆきのないやたら横に長い舞台の上で窮屈そうな動きになってしまった。京都をご覧になった方が「あんな狭い所(斎場)じゃ無理!ホール公演の大阪と東京なら良いだろうけど…」とおっしゃってましたが、京都公演の舞台写真を見つけて比べてみる限りでは、広さに関しては大して変わらないように見えました。2次元の漫画を紙芝居にして観ているような感覚。

ラストシーン、京都では暗幕を開いて舞台奥の本物の御本尊を拝ませる演出で、もともとそこはそういう場所なのだから仕方ないと思いますが、普通の舞台である東京でも、御本尊はもちろんありませんが、6つの扉が両サイドに片づけられて「あの落日を拝もう」というサンサーラの台詞と共に舞台奥が明るくなり、天井近くに阿弥陀如来の掛け軸が(ちょうど黒澤映画『乱』のラスト、廃墟の上で鶴丸が取り落とすそれと同じようなもの)下げられ、シースルーのスクリーン越しにヴァイセーシャやユッダ達が彫像のように立っている。それはそれでラストにふさわしい美しい場面になりましたが、思えばこのラストの為に、舞台のスペースの半分以上は使われず"死んでいた"ことになります。御本尊が役者に替わっただけで、舞台の形・使い方はまず京都ヴァージョンありき、それをホール公演用に構成し直すような余裕は無かったのでしょうね。舞台の半分以上が飼い殺しのようになっていたことは本当にもったいないと思います。照明とかの、もともとホールにあるものが使えるメリットとか、役者が慣れて来たということもあって、京都も東京(大阪)もご覧になった方は「格段に良くなった!」と思われたかも知れませんが、実はそんなに変わっていないんじゃないか…。

今更ですが、これは東本願寺・東山浄苑本堂での公演が全てであって、言い方は悪いですが大阪と東京は「ついで」なのでしょう。萬斎師なら、しっかり余裕があるなら間違いなくホール公演ヴァージョンを考えると思うんです。しかし実際はそんな時間は無い。全て京都・斎場ヴァージョンのサイズ(これは装置だけでなくお芝居全てに関する諸々のこと)のまま行くしかなかったんじゃないか。京都ヴァージョンが企画の全てである、ということなのではないでしょうか。これは皮肉でも何でもなく、京都ヴァージョンをご覧になった方が"本当の『六道輪廻』"を観たことになるように思えるのですが…。

脚本の問題にも立ち返ってみると、これはやはり一種の説話集を3次元で再現した、それを歴史のあるお寺で御本尊に見守られながら観る、そこに意義があるのであって、『敦』や『国盗人』で魅了された萬斎演出を十二分に堪能するというところにポイントを置こうとすること自体、無理があったのではないかと(自滅)。

まぁ他にも、 生演奏に使われたある楽器が私には全く肌に合わなかったらしく、その楽器が奏でる異様に甘ったるいムード・ミュージックのお陰で、麻実さんが演じる天上界のシーンが何とも安っぽく見え(まるで怪しげな新興宗教のプロモーション・ビデオのよう・爆)、麻実さんの本来の凄さが半減してしまったように感じたり(←ここまで書くと楽器名を伏せた意味無いな・苦笑)、とにかく全体的にスケール感が小さくて、子役ちゃんの演技は悪くなかったのですが、彼らが出ているとまるで『おかあさんといっしょ・こどものひスペシャル・じゃじゃまるぴっころぽろりもいっしょだよ!』みたいなステージを観ている錯覚まで…いや、そういう子供向け舞台自体がダメだということは無いんですが…。

とまぁ、気分の悪い話ばかりになってしまい、自分でも書いていて少々滅入って来た(爆)。狂言パートの出来はさすがに素晴らしかったし、扉の開閉の演出それ自体は凄く練られているし、餓鬼の造形、ユッダ変身(餓鬼→ユッダ、生首→ユッダ)のイリュージョン(笑)、コロスの使い方など、ピンポイントでは楽しめたところも間違いなくありました。『春琴』や『国盗人』を思わせるところもあった。しかしいかんせん、舞台全体のスケール感の無さ、物語のバラバラさ加減に、その良さも霞んでしまったように思えたのが残念でなりません。面白いと分かっていながら、狂言パートでくすりとも笑えない自分は自分で辛いものです。全く"発散"出来ないまま会場を後にしたのはこれが初めてかも知れません。

結局は「SePTのような舞台で作り直して欲しい…」といういつものところにオチました(苦笑)。

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華奢な阿修羅かごっつい阿修羅か。

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まぁ…舞台自体には言いたいこと山々なんですが、あのユッダというキャラのヴィジュアルはなかなか面白かったというか…『ドラゴンボール』孫悟空だとか忌野清志郎(昨日、喉頭癌にてお亡くなりになられましたね。合掌)だとか、いろいろと言われてますが(笑)若旦那は基本的にああいうメイクとかヘアが似合うと思います。横顔なんかちょっとV系ミュージシャンっぽかったかも。

昨夜、NHKで阿修羅像の特番を流していましたが(東京国立博物館にて阿修羅展開催中。詳しくはこちらで)、そこでこの一番有名な奈良・興福寺の阿修羅像と、京都・三十三間堂の阿修羅像を比べていました。若旦那はこの舞台をやるにあたって、ユッダに阿修羅のイメージを重ねていたそうですが、若旦那に体型が似ている(笑)この華奢な興福寺阿修羅より、もっとゴツくて恐ろしげな三十三間堂阿修羅の方がユッダと重なって見えたのが不思議(笑)。舞台のラストシーンで彫像のように立ちはだかった姿も、足元に邪鬼を踏みつけている四天王みたいに見えましたね。

まあ自分が描いたのは阿修羅でもなく四天王でもなく…清志郎寄りですね(苦笑)。あ、もちろん手の爪は実際はありません。前に伸ばした手が寂しかったので(爆)勝手につけました。お陰でキャラがベツモンになっちまったみたいですが(汗)。

さて~~~~~舞台感想をどうしたものか…本当に困ってます…。

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