万作を観る会 喜寿記念公演。
2008年10月19日(日)15:00~ 於:国立能楽堂
◆狂言『蝸牛(かぎゅう)』
山伏:野村遼太 主:野村萬斎
太郎冠者:野村裕基
後見:野村万作
◆仕舞『笠之段(かさのだん)』
野村四郎
地謡:野村昌司・関根祥人・岡久廣・藤波重彦
◆狂言『仁王(におう)』
博奕打:野村萬斎 何某:石田幸雄
参詣人:深田博治・高野和憲・月崎晴夫・竹山悠樹・中村修一・岡聡史・野村万之介
後見:時田光洋・野村遼太
◆能『船弁慶(ふなべんけい)』 重キ前後之替・船中之語・船歌・早装束
前シテ:観世清和 後シテ:観世銕之丞 子方:観世三郎太 ワキ:宝生閑
ツレ:高井松男・大日方寛・則久英志 間:野村万作
大鼓:亀井忠雄 小鼓:観世新九郎 太鼓:小寺佐七 笛:藤田次郎
地謡:林宗一郎・野村昌司・藤波重孝・藤波重彦・関根祥人・岡久廣・野村四郎
・山階彌右衛門
後見:武田宗和・坂口貴信・武田尚浩
こういう記念すべき公演の時に限って正面最前列
自分の䦰運がよう分からん…いや、嬉しいことは嬉しいんですがそれなりに緊張も致します
自分らしくありませんが…とりあえずいつものジーンズ
やめてみました。精一杯の空気読み(をい)。
パンフレットは彩雲模様を型押しした和紙風の地に金字で「万作を観る会 喜寿記念公演」と印されています。朱の帯が巻かれてお祝いムード満点。蛇腹に折りたたまれていて、その表裏に16日と本日の、それぞれの番組表と解説。作家・平岩弓枝さんの寄稿文あり。これはちょっとした宝物かも![]()
休憩時間の外通路にて千恵子ママとサヤ嬢発見。千恵子ママはお知り合い?と談笑中にて後姿だけでしたが、横のサヤ嬢はたまたま一瞬こちらを振り返ってくれたのでお顔拝見。いや~~しばらく見ないうちに随分と"お姉さん"になってました![]()
※『蝸牛』
修行を終えた羽黒山の山伏は、早起きをしたために眠くなったので、大きな藪の中に入って仮眠を取ろうとします。一方、主人は自分の祖父の長寿の薬に蝸牛(カタツムリ)を贈ろうと考え、太郎冠者を呼び出して蝸牛を獲って来るよう命じます。蝸牛がどんなものなのか知らない太郎冠者は、主人から蝸牛の特徴を教えてもらい、蝸牛獲りに出かけます。藪の中で寝ている山伏を見つけた太郎冠者、主人から教えてもらった蝸牛の特徴(頭が黒い)を思い出し、山伏が蝸牛であると思い込んでしまいます。あきれた山伏は太郎冠者をからかってやろうと思い、法螺貝や鈴懸を使って蝸牛の特徴を示し、太郎冠者をすっかり信用させます。一緒に家に来て欲しいと頼む太郎冠者に山伏、囃しに乗って行くなら良いだろうと、面白おかしく浮かれてたわむれます。二人が道すがら囃したてていると、そこに太郎冠者を迎えに来た主人が。さとされてやっと我に帰った太郎冠者は主人と一緒に、自分をからかった山伏を追い込んで行きます。
多分今まで観て来た中で、最も低い平均年齢の布陣。ココに石田淡朗クンが加われば"万作家のHey!Say!JUMP"結成!…と思っていたんですが淡朗クンは昭和62年生まれだった残念(←だから何)。余計な妄想はともかく、共演パパ(または叔父さん)と後見じぃじに見守られての二人、いやはや立派の一言でございました
遼太クン、登場の"山伏ウォーク"もしっかり決まり…(あの音を立てない歩みはバレエの"猫の足取り"と同じ理屈だろうか、などとかつて山岸『アラベスク』を貪り読んだ者はぼーっと考えてみたり
)…名乗りの第一声が以前観た時よりも格段の力強さ。硬質でワイルドな印象があります。山伏の空威張りが、歳を重ねる毎にこれからますます似合っていくような予感
太郎冠者裕基クンとの掛け合いも、お互いが相手のリズムを読んで上手く乗りあっているのが分かる。「でーんでん、むしむし~」で片足ケンケン連れ舞のところは、さすがに身長差がありすぎて跳躍の幅が違い、裕基クンがせわしなくジャンプを繰り返して遼太クンの動きに必死にシンクロさせようとするのがかえって微笑ましい、なんて瞬間もございました![]()
その裕基クン…言ってしまえば「事も無げに太郎冠者を演ってみせる小学三年生」ですか![]()
![]()
確かにキチンと型通り。教わったことをしっかり守っていると思います。しかしなんなんでしょうか…この"アタリマエ"感は
「小学三年生がシテとほぼ同じ重責のあるアドを演じている」ことが"自然"に見えてしまうという驚き。なんと言うか…ユウ君は部分的に"子供を卒業"しちゃってるように見えるんですよね
いや、子供としての可愛さはもちろん充分あるんですよ。しかし…あがったり、戸惑ったり、とにかく必死な様子だったり…そういう"子供らしい不確か・不安定な要素"がユウ君からはほとんど感じられないんです。「ふてぇ奴」どころの話ではないんじゃないか
いつもの"不思議な色気"もしっかと滲み出ていてたおやか、硬質でワイルドなイメージの遼太クンと良いコントラストが出来ちゃってるんですが![]()
パパ(または叔父さん)も後見のじぃじも、終始リラックスしている風に見えました。山伏のマインドコントロールを解いてやろうと太郎冠者を諌める主の表情がやたら柔和で、その一瞬だけ"実は親子"であることを思い出したりします。ラストは、山伏の囃し立てから我に返った太郎冠者が、主人と一緒に山伏を追い込んでいく。確か今年の新宿狂言『蝸牛』では、主人も巻き込んでの"でんでんむしむしええじゃないか"エンディングだったと思うんですが…パパが息子や甥っ子と一緒に浮かれ踊るヴァージョンも観てみたかったかな![]()
※『笠之段』
万作師実弟・四郎師の仕舞は久しぶりです。ストイックな美しさは相変わらず。この方の仕舞を拝見すると、やはりこの野村家のDNAには確実に"美"が第一要素として受け継がれているのだなぁと痛感致します。この記念の日、"もう一軒の兄弟"が揃わなかったのが少々さびしく思うところもあります。出来れば近い将来、一堂に会する情景に思いを馳せつつ…。
※『仁王』
博奕(ばくち)で負けて無一文になってしまった博奕打が、他国へ逃げようとしていつも世話になっている何某を訪れます。何某は、昨今あちこちに仏が降って来るという噂にかこつけて、博奕打を仁王に仕立てて参詣人から供物の金品を巻き上げることを思いつきます。何某は博奕打に仁王の格好をさせ、参詣人を呼んで拝ませ供物を供えさせます。首尾よく事が運んで大喜びの二人、とりあえず何某が金品を預かります。そこに足の不自由な男が現れ、仁王に大きな草履をかけて足が良くなるよう願を掛けます。やがて男はもっとご利益を得ようと、仁王の全身を撫でまわし始めます。くすぐったいのが我慢出来ずに動き出してしまった博奕打は、ニセモノだと気づいた男に追い込まれて行きます。
博奕打の「阿吽」アホ面をガン見するための最前列だったか
と思うほどの"眺め"でした。参詣人達に拝まれ、供物を首や手に掛けられても微動だにしないつもりが…ビミョーに下がって来る腕に、プルプルと引きつる口元と見開いた瞼(大笑)。これはリアリズムの演技なのかそれとも演じ手の体力の限界か(爆)。お気楽な立場の観客として大いに笑いまくる
「吽」の表情が…思いっきり力入れて口角を左右に引っ張ってるものだから、おのずと顎が前にせり出してアントキのじゃねぇアントニオ猪木にさも似たり。
参詣人達の"願掛け"の中身は、さすがに万作家だし記念の舞台ですから一切アレンジ無し。まぁ万作家がアレンジをしたという前例も無いんじゃないかとは思いますが
上演の時期が時期だけに、きっと京都のお家ならかなり本気モードで「ぜひ阪神タイガース優勝を!」を盛り込むんだろうなぁ…などと思いつつ、長身の岡参詣人が餅を噛んで吐き出し、ベチャッと偽仁王に投げつける様はやっぱりちょっと「うっへぇ~」な感じ
唾液でベトベトの餅が偽仁王の腹の表面をずるずると滑り落ちて行く様を、よせばいいのに想像してしまうのが…![]()
後半は予想通り、万之介師が全部持って行ってしまいました
"万之介仁王"の評判も良いようですが、自分はこの"大草履の男"が好きですね。仁王がニセモノだと気づいているのかいないのか、どっちつかずのあたりを飄々と演じている空気がたまらない
仁王の身体を撫でまわして、手についた"御利益"を自分に擦りつけるクネクネダンスに悶絶。万之介師、ノリにノッてました。難しいあれやこれやは脇に置いておいて、まずは思いっきり笑って下さいな!的一曲になっていたと思います。ホール公演など、しゃっちょこ張らないで済む環境で、一度万作家の"アレンジ願掛け"を聴いてみたいものです
はてさて、どなたが何を願うのやら。
※『船弁慶』
兄の源頼朝と不和になった弟・義経は、船で西国に落ちのびようと摂津国・大物浦(だいもつのうら)に到着します。義経の愛妾・静御前も同行を望みますが、女人連れは何かと困ると弁慶が助言し、義経に帰京を命じられた静は、別れの悲しみに舞を舞います。義経一行が出航し、船中で弁慶が義経の武勲を誇らしく語っていると、突然風が変わって大きな波が押し寄せ、船頭は必死に舵を取ります。波の上に源氏に滅ぼされた平家一門の亡霊達が現れ、その中から平知盛の怨霊が薙刀を持って義経に襲い掛かりますが、弁慶が祈祷で応戦すると、知盛の怨霊は波の間に消えて行きます。
今回のメイン・ディッシュはずばりコレ
念願の"初・船弁慶"をシテ観世宗家・銕之丞師、ワキ宝生閑師、アイ万作師…これ以上の布陣はそうそう望めまい
『船弁慶』上演となかなか都合が合わず、毎回涙を呑んでいたのが一気に昇華される思い![]()
物語の中心は宝生弁慶。決して大柄ではない閑師の弁慶は、古今無双の武人というよりは徳の高い僧・一行の精神的要としての側面を感じさせます。子方・義経は観世宗家ジュニア。さすが宗家のDNA、幼いながらにノービリティを備えた佇まい。甲高いボーイソプラノが見所に響き渡る。さて、個人的には正直なところ、子方の義経にいくばくかの違和感を持っています。義経の在るところに静御前在り。成人の男性が演じることによって静との男女の情愛が過剰に生々しく表現されることを避けての子方起用であるとの"一般的認識"だそうですが、自分の想像力(妄想力?)が足らないのか単に無粋なのか、後に登場する静御前との邂逅がどうしても"母と子"に見えてしまう
いや、"シテ第一主義"であるならば静の美しさと哀しさに注目するのが主であって、それ以上それ以下でもないことなのだ、とのご意見もちらほら聞こえ…一応ことわっておきますが宗家ジュニアの問題ではなくそういう設定に自分が慣れない、あるいは過剰に気にしているという問題。
まぁそれでもそんなゴタクは前シテ・宗家の静御前登場で見事にすっ飛ぶわけで
本舞台に立つその姿の、面の陰影に吸い込まれるよう。あの冴え冴えとして、哀しみに沈み、後の義経の悲運を予見しているかのような不吉な美しさ(←ボキャ足らず
)は、面のグレードの高さと宗家の芸術性とが見事にマッチングした結果なのだろうか。シオル姿は近寄りがたい痛々しさ。凛として舞い、堪えるように嘆く。確かに、これで義経役が成人男性ならば、生々しさが先に立つかも知れない。その生々しさも、観てみたいような…。
『にほんごであそぼ』にて倅ドノが演じる船頭は、物語の前後関係が無い分非常にコミカルな色合いがあります。なので『船弁慶』未体験の自分はコミカルなアイが見られるものだと思い込んでおりました
万作師の船頭は、悲運のヒーローの逃亡を手助けするという重い使命を背負い、命を賭けて船を操る"陰の立役者"のイメージでした。「早装束」の小書により幕に走り込んであっという間にほくそ頭巾に括袴の船頭姿に。これがコチラの想像をはるかに超えて早っ!!!初めて観る者にとってはただただ驚くばかり
早変わり前の狂言袴と括袴の柄が違っていたと思うので(←ちょっと曖昧…)、もしかしたら下に重ねていたのか?船を操りながらの力強い船歌、身体を大きく揺らしながら押し寄せる大波をやり過ごし、まるで波を静める戒めの呪文をかけるが如く「しーーっ!」と波の上に櫂の切っ先を滑らせる。この間しばらく万作船頭に目が釘付け。市井の人間の、武士とはまた一味違うヴァイタリティを感じさせる恰好良さがあったと思います。弁慶とのやり取りの中に、身分を超えた信頼感・心のつながりが垣間見られたのも美しかった。
船中で弁慶が義経のかつての武勲を語るシーン(小書:船中之語)は、時が止まったような重みがありました。おなじみのヴィヴラート・ヴォイスで朗々と物語る閑弁慶。その武勲が華々しくあればあるほど、この小舟一艘で落ちのびねばならぬ悔しさが増幅する。しかしこれは危険過ぎます弁慶さん
西国の海の底にはどれだけ滅びし平家の怨念が渦巻いていることか…その場で義経の武勲語りなどまさに"火に油"
案の定、にわかに荒れだした海面にはあまたの怨霊が浮かび上がり…半幕の奥からゾッと鳥肌の立つようなテノールが流れて来ます!嗚呼、この瞬間をどれだけ待ったことか
半幕の薄陰に現れた"怨霊達の長"銕之丞知盛、そこの周りの空気がゆがんでいるような錯覚さえ起きています。一旦幕が下がり姿を消すと、激しい囃子に乗ってはじかれるように飛び出して来る。本舞台正面で目が合ってちょっと金縛り状態
前シテ・宗家静も面が完全に生きていましたが、この後シテ・銕之丞知盛の面も死霊のそれそのまま。いや、幽霊を実際に見たことは無いですが
「絶対触れてはいけない禍々しさ」というものがあることは理解出来る。これは怖い。下手なホラーなど足元にも及ばないかと。
そしてラストは船上と荒れ狂う波の間の壮絶なバトル。果敢に刀を抜いて構える義経(観世ジュニアの後ろ姿の恰好良さよ
)の前に出て、知盛の薙刀から身を挺して守ろうとする弁慶。黒頭を振り乱した知盛と視線が合ってにらみ合いの瞬間、二人の間に本当にバチバチと火花の散る音がしたように錯覚してしまった
あの大河ドラマ『義経』でのあまりにも残念だった同じシーン(せっかくの阿部寛知盛が台無しだった
)などお話にもならぬ。アレよりもずっとリアルで壮大な情景が浮かんできます。閑師・銕之丞師の創り出す演劇空間に完全に嵌り込んでしまった自分。『船弁慶』を観られて本当に良かったとしみじみ思いつつ…。数珠を揉んで応戦する弁慶に最後は祈り伏せられて、悔しさをにじませながら退場していく知盛の後姿。ああ、もうここで終幕なのだと思うとちょっと悲しかったですね。
退場時、思わず巻き起こってしまった拍手と締めの「萬歳楽」が被ってしまったことに眉をひそめられる向きもおありのようですが、その拍手はそれほどこの『船弁慶』がドラマチックで観客を魅了したという証拠でもあったように思います。これだけのストーリーをこの望むべくもない豪華メンバーで観られた幸運に心から感謝したい。間違いなく、一つの高次な演劇がそこに在ったと確信しています。自らの喜寿祝いに敢えて単独の狂言曲ではなく、能のアイに全力を注がれた万作師の姿がとても大きく見えました。
最後になりましたが、万作師の喜寿を心よりお祝い申し上げます。ますますお元気で舞台を末永くつとめられるよう、陰ながら祈っております![]()




























最近のコメント