新春狂言 万作・萬斎の世界。

2012012814310000 2012年1月28日(土)15:00~ 於:埼玉会館大ホール

◆解説 石田幸雄

◆『昆布売(こぶうり)』

 大名:野村万作 昆布売:高野和憲
 後見:中村修一

◆『仁王(におう)』

 博奕打:野村萬斎 何某:石田幸雄 男:野村万作
 参詣人:月崎晴夫・中村修一・村井一之・内藤連
 後見:高野和憲

6年ぶりの県庁所在地公演。地元市内を電車で移動、気分は普段着w 席は1階のかなり後方でしたがちょっとしたゲレンデ並みの傾斜が付いているので観るのにストレスはありません。高さは横浜能楽堂の正面2階ぐらいあったかも。2階席合わせて1300余りの座席が見事に埋まる光景は見事。市民としてちょっと嬉しいw

※解説

今日初めて狂言を観るという方は?(結構な数の挙手)多いですねぇ。これが半々ぐらいだと(解説が)やり難い。「また同じ話してやがるな」と言われそうで(会場笑)。

狂言は最初、とてもとっつきにくいと思う。人間で言えば「第一印象の悪い奴」(会場笑)。しかし、何度か観るのを重ねるうちに段々慣れて来て楽しくなるもの。もし今日、観終わって「あまり面白くなかったなぁ」と思ったら、是非また機会を設けて観て慣れていただきたい(会場笑)。

舞台は一辺5.4mの正方形。「三間四方」の空間。基本的に舞台上には何も無い。能楽堂の場合照明も明るいまま、お囃子以外の音響効果無し、演者はメーキャップもせず素のままで装束をつける。「無い無いづくし」なので、演者の言葉と動きだけで全てを表現する。舞台から与えられる情報量が少ないので、観ているお客さんには胸の中で状況を膨らませて想像して欲しい。ボーッと観ているとボーッと終わってしまう(会場笑)。お客さんも舞台に「参加する」気持ちで観て欲しい。

想像が必要なのだから、演者が「ここに垣根がある」と言ったら垣根があると思って欲しい。具体的な小道具などもあまり使わないので、例えばこの垣根を「切る」場面では、扇をを鋸切りに見立ててやる。(ここで『盆山』から垣根を鋸切りで切る場面を演じる)こういうのをやってると「あいつ馬鹿じゃねぇか」とか思われそう(会場大笑)。そんな大したことはやってないのだが。「ズカズカ、メリメリ」など、効果音は自分の声でやっている。

狂言はだいたい始まりが面白くない。それこそサスペンスの「ドアを開けたら死体があった」みたいな掴みはない(会場爆笑)。幕が上がって演者は橋掛かりを摺り足でゆっくりゆっくり入って来るが、この間も何も言わない。この辺りで初めて観た方は「今日はやっぱり観に来るんじゃなかった」と思うかも知れないけれど(会場大笑)そこはちょっとだけ我慢して欲しい。

幕からやって来た演者がこの舞台上に足を運んで初めて「名乗り」をする。「この辺りの者でござる」というのが多いが、これは特定の地域や特定の人を示しているのではない。今日の会場は浦和だから「浦和辺りの者」とざっくり考えてもらっても構わない。そして舞台上で具体的な場面転換は無いから、こう歩き回って(実演)また正面を向いて「何かと言ううちに○○じゃ」と言ったらその○○という場所に着いたのだと思って欲しい(会場大笑)。

狂言のストーリーは単純。歴史的な事を知らなくても充分楽しめる。現代にも通じる人間の面白さを表現しているので。まぁそれでも前もって少しでも知っておけばより楽しめると思うので今日の演目についていくつか。

『昆布売』には大名が出て来るが、いわゆる何万石とかいう大大名ではなく、普通の侍にちょっと貫禄が付いた程度。いつもはお供を連れているのに、今日は一人で歩いているので恰好がつかなくて恥ずかしい思いをしている。そこにたまたま通りかかった昆布売りに声を掛け、嫌がるのを刀で脅して、無理矢理太刀持ちのお供にしてしまう。道中、逆に刀を持った昆布売りが大名を脅し、昆布の売り歌を大名に謡わせる。最初は脅し脅される関係だが、やがてその売り歌が楽しげになり、二人が「和楽」の世界に入って行く和やかな空気を感じ取っていただきたい。

『仁王』は人間を仁王様に扮装させて、賽銭やお供物を騙し取る話。当時、世の中が乱れたり暗くなったりすると(「末法思想」と言っていたか?)「どこそこに神が、仏が現れた」とうような奇跡の噂が世間に流れるような風潮があった。それを逆手に取った博奕打ちと知人の男。皆、博奕打ちが化けた仁王を本物だと思っていろいろお供えをするのだが、最後の方に仁王に大きな草鞋を掛けようとやって来る者が出て来る。当時、無病息災・健康を願って仏様や神様に草鞋を供える習慣があった。博奕打ちが仁王に変装する時は、一旦楽屋に引っ込んで、というようなことはしない。舞台の上でお客さんに背中を向けて着替えが行われるので、ちょっと変な感じがするかも知れないが少し辛抱して待っていて欲しい。

(解説の最後に、萬斎師トークよろしく"repeat after me"コーナーが。『昆布売』の売り歌で『にほんごであそぼ』でも一時流れていた「♪昆布召せ昆布召せ~、お昆布召せ~~~♪」を会場全員で。「普段あまり大きな声を出すことも無いでしょうし、下手に出すと近所迷惑だと言われかねませんがw 狂言では大きな声を出さなくてはいけないので、ここは遠慮なくストレス解消のつもりでお願いします」と石田師。最初は結構合っていたのですが、ちょっと節回しが変わって来ると一気にバラバラにwww 皆さん失敗に笑いながらも大きな声で歌ってました。)

※『昆布売』

ベテラン・若手取り混ぜて何回か観ている記憶。前半のやや無茶ぶりwな展開と、後半の実に狂言らしいのんびりとした可笑しさのコントラストが、思ったより難しいように最近は感じています。ここはまたまた(前日の新宿文化『鬼瓦』もそうでした)国の宝・万作師の独壇場でした。特に後半の、逆に脅されて昆布の売り歌を謡わされる何とも言えない頼りなさが良い。相手が悪過ぎるけど、その大名と相対する高野昆布売りがちょっと霞み加減で、下剋上的展開の痛快さは薄かったかもです。後半、昆布売りが大名を良いようにコントロールしている感じがもうちょっと欲しかったかな。

※『仁王』

コチラも意外にちょこちょこ観てるかも。ホール向けの分かりやすい面白さ満載で客席は終始笑いの渦でした。萬斎仁王は以前どこかの公演で、片手を挙げたままのポーズが限界になって少しずつ手が下がって来る場面に出くわしたこともありましたがw今回はポーズも「阿吽」の表情もバッチリ決まってますます会場の笑いを誘っていました。あんなに遠くの席だったのにそれでも分かるくらいの「爆発顔」でしたwww

参詣人には前日と同じように若手登場、それぞれの役割(お祈りの仕方)をピシッと決めてました。お供物の錦の袋を偽仁王の手首では無く指(小指という情報がw)に引っ掛けたのには爆笑wいやソレは仁王がキツいでしょうwww果たして仁王役のアイディアか、若手の茶目っ気か。演目違いかもですが、京都の茂山家では願掛けの中身にアドリブを入れて、例えば「今年こそ阪神タイガースが優勝しますように」みたいな台詞を入れたりしますが、今回はお客さんのノリが凄く良かったので一瞬「何か願掛けで茂山さんちみたいにやらかしてくれないかなぁ」と思ってしまった(苦笑)。まぁ確かにそれは野村さんちの流儀では無いですけどね…。

草履を掛けに来る足の悪い男は万作師。これ、今は亡き万之介さんが凄く似合う役柄でしたよね。万之介さんのはどうも最初から「この仁王はアヤシイ」と見抜いてそうな感じで、仁王の身体を撫でるのもまるで分かって意地悪しているように見えたのが思い出されます。万作師の男は素直に仁王と信じ切ってやって来た感じ。「この足をどうにか直して欲しい」という切実さも感じました。仁王を撫でまわして「御利益」の付いた自分の手を、今度は自分の身体に摺りつける腰振りアクションが可笑しくて可笑しくてwww一瞬、阿呆面満開の仁王を喰ったぐらいw そう言えば萬斎博奕打・石田知人の男・万作足の悪い参詣人とゴールデントリオだったんだなぁ。何気に豪華でした。

客席は爆笑に次ぐ爆笑。露見した博奕打ちが足の悪い男に追い込まれていくラストは場内割れんばかりの拍手喝采、後見も引っ込んだ後に終演のアナウンスが流れてまたまた大きな拍手。席から立ち上がったお客さんの口ぐちから「ひゃー笑った笑った」と感想が。満員の場内にそんな感想が飛び交っているのがまるで自分の事のように嬉しくなって不思議な気分。ほっこりとした気持ちになって埼玉会館を後にしました。

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新春名作狂言の会。

2012年1月27日(金)19:00~ 於:新宿文化センター大ホール

◆トーク 野村萬斎・茂山逸平

◆『千鳥(ちどり)』

 太郎冠者:茂山千五郎 主人:茂山逸平 酒屋:茂山正邦
 後見:山下守之

◆『鬼瓦(おにがわら)』

 大名:野村万作 太郎冠者:深田博治
 後見:中村修一

◆『弓矢太郎(ゆみやたろう)』

 太郎:野村萬斎 当屋:石田幸雄 太郎冠者:月崎晴夫
 立衆:高野和憲・中村修一・村井一之・内藤連・岡聡史
 後見:竹山悠樹・深田博治

※トーク

今年も京都のお家をお招きしての"東西漫才"の季節がやって参りましたw まず登場したのは、通常ほぼレギュラーの茂山千三郎師にかわって逸平師。まだ「いっぺちゃん」と呼びたくなる相変わらずのほんわか可愛いご尊顔。生いっぺちゃん観るのはかなり久々かも。そう言えば年始にビートたけし司会の日本史バラエティ番組に出演されてましたね。「あけましておめでとうございます」とご挨拶し「もうかなり過ぎてますけど~」と自己ツッコミしつつ「今日は西と東の狂言の違いをご覧いただければと。狂言の違いつまり人間性の違いですね(会場笑)。簡単に言うと西は"パッパラパー"で東は"ちゃらんぽらん"です(会場爆笑)。ほら、(トーク始まってるのに)萬斎さんここに居ないしw」とのっけから飛ばすいっぺちゃんw

まず本日茂山家担当の『千鳥』について。いっぺちゃん曰く「一番とんでもない狂言」とのことw「最近"つけ"の習慣をあまり見かけなくなりましたよね。でも京都の祇園あたりでは今でもあって、後になってこわーい請求書が来たりします(会場笑)。」この『千鳥』では主人が太郎冠者に金を持たせず酒を買って来いと命令します。「狂言はツッコミどころが多いですw でも本気になってツッコまんで下さいね。『つけ溜まっとんのに!払うもん払えやー!』とか無しですから。」ツッコミ入れずに、太郎冠者がお金無しでどうやって酒屋からお酒をせしめるかに注目して欲しいとのこと。また、この話に出てくる"津島祭"には本来、山鉾を引く習慣が無いそうで(曲の中で太郎冠者が山鉾を引くアクションをします)「狂言にはこういう嘘も多いのでお気を付け下さい(会場笑)」。

ここでいよいよ東の萬斎師登場。いっぺちゃんが「では、HONDAでお馴染の萬斎さんです!(会場爆笑)」と紹介すると、舞台上手より萬斎師がツツツっと。「はい、HONDAのFitでございます」といっぺちゃんのパスを受けるwいや、それじゃSTEP WGNやN BOXの立場はどうなるんだw以下、メモの取れた範囲で二人のやり取りを…。

【萬斎師(以下"萬")】今日の茂山さんは『千鳥』だが何かと良くかかる曲。自分は2月にやる予定(←どこでやるか一瞬思い出せない様子w)…。

【いっぺちゃん(以下"逸")】(客席に向かって)皆さん是非検索して下さい(会場笑)。「野村萬斎 狂言公演 千鳥」とか入れてクリックすれば出て来ますw自分の方はこの後また3回、新作と通常のと。もうええ加減若くも無い「HANAGATA」でw

【萬】大藏流の『千鳥』はどのくらいの長さで?

【逸】25分くらい?

【萬】ウチは35分くらい。そこそこ大物で手強い。酒屋が太郎冠者に対してずっと意地が悪い。謡いながら動く場面が多いのでしんどい。

【逸】ウチではもっと気軽な感じw でも体力的には同じようにキツい。津島祭の山鉾引きを真似る場面があるが(【萬】そこは和泉流にはない)、本来はその祭に山鉾が無いのだけれど、お祭りだからと派手にする為に勝手にくっつけてしまったのかwww

【逸】先日気づいたのだが、自分の子供が『にほんごであそぼ』を見ている所為か、「ちりち~りやち~りちり」を謡わせると和泉流の節回しになってしまっていて驚いた。

【萬】それは由々しき問題だwww

【萬】『千鳥』は太郎冠者が酒屋のつけを踏み倒す話だが、大藏流は酒屋と太郎冠者が何となく仲良しっぽく見えるのが面白い。ウチの方の酒屋は"太郎冠者の前に立ちはだかる障壁"みたいなもので本当に意地が悪いから。

【逸】ウチの太郎冠者は勢いだけで行ってしまっているところもあるからw

ここで、『千鳥』にその一節が出て来る「宇治の晒」の小舞を二人の連れ舞で披露。歌詞は同じですが、メロディーラインの一部と動きに明らかな違いが。不思議と3度ぐらいでハモって聞こえるところもw 区切りのところで互いに相手をちょっと待っていたりして、上手くまとめてました。数年前に同じ公演で千三郎師と連れ舞をするのを観た時も、視線が二人の間を行ったり来たりで贅沢な苦しみ(苦笑)。舞い終わった後いっぺちゃんが「最後だけ合いましたよね?!ビックリしたーwww」と目を丸くしてましたw

連れ舞が終わりいっぺちゃんはこの後の『千鳥』主人役で出演するので、着替えの為に退場。残った萬斎師が、野村家側の演目『鬼瓦』『弓矢太郎』についての解説を。『鬼瓦』の方はサラっと、和泉流専有の『弓矢太郎』の方に少し重点を置いて。以下、『弓矢太郎』解説概要。

『弓矢太郎』は非常に演劇的な曲。天神講は菅原道真の命日に催される祭で、沢山の人達が集まる。その中で太郎は弓矢を携えて、今で言うところの自警団のようないでたち。武装しているということは裏を返せば弱い人?そこを周囲の者が見抜いて本当は臆病な彼を皆で脅かす話。

太郎を脅かす為に皆で怪談話をするのだが、祭の当屋が語るのが"玉藻の前の故事。玉藻の前とは齢を経た狐の妖怪で、美女に化けて時の鳥羽上皇に取り入り、それを陰陽師安倍泰成に見破られる。陰陽師といっても"晴明"では無く"泰成"(会場笑)。正体を見破られた狐は今の那須高原あたりに飛んで行って(ここで萬斎師、那須高原が栃木県か群馬県か激しく混乱w地理が危ないwww)、そこで近寄るものを皆殺してしまう殺生石に変身した。狐の執心がそこまでの怖ろしい所業を生んだと言うことだが、要は那須温泉から噴出する亜硫酸ガスの仕業なわけで(会場笑)。

狂言にしては珍しく2部構成になっていて、2部では肝試しシーン。人間同士の駆け引きと、最後のどんでん返しをお楽しみに。

※『千鳥』

茂山さんちバージョンは初見。場面場面のちょっとした言い回しが違うのには随分慣れたのでゆったりと楽しめました。もしかしたら千五郎師のキャラなのかも知れませんが、確かにトークでいっぺちゃんが言っていたように、あまり細かいところは気にせずイケイケドンドンでお金を踏み倒そうとしてる太郎冠者だったようなw正邦師の酒屋は見た目(正邦師のルックスの所為w?)几帳面そうなのだけど、太郎冠者に対してはどこか脇の甘そうなところを残していて、こりゃあ酒を取られてもしょうがないかなと思えてしまう。和泉流(というか萬斎師)のどこか知能犯的?な太郎冠者と対決意識満々の酒屋という構図とは随分趣が違いました。トークで萬斎師が「太郎冠者と酒屋が仲良しに見える」と言ったのも納得w それにしてもセンゴロさんが面白い!

※『鬼瓦』

多分2回目ぐらい?要は因幡堂の屋根に鎮座まします鬼瓦が愛妻の顔にソックリで、それを見ては妻を思い出し泣けてくる、という、女性にとっては超失礼且つ「そこから夫婦愛に行くんかいっ!」とツッコミたくなる小曲ですよね?とまとめてしまうところなのですが、今回はもう"国の宝"万作師のけしからん可愛い大名にハートを打ち抜かれてしまいました♪これ、こんなに笑えたっけ?妻の顔の造作を可笑しく思うだけならココまでは感じない。やはり万作大名がその憎めない可愛さで、妻のルックスに関する悪口雑言(多分大名本人は悪口と思ってないw)を愛情表現に転換してるように思えてなりませんでした。いや、言ってる事の非道さ自体は変わらないんですけどw それをあんな風に言われて泣かれちゃ勝てないわー、みたいな。解説で萬斎師が「若い者がやるより年かさがやる方が良い」みたいな話をしていましたが確かに。

※『弓矢太郎』

これも2度目あるいは3度目くらいでしょうか。稀曲を萬斎師が掘り起こして生き返らせただけあって、大体において萬斎師が責任を持ってwシテを演じるお陰?でそれしか観たことが無いw 森崎企画のホール公演で多用される例の霞み模様の背景幕が今回も登場で、正直「またですか~」と思いましたが(失礼っ!)、それはそこそこで引っ込んでw 大半は照明の効果で演出がなされていたのが良かったです。前半の見せ場、当屋の「玉藻の前」語りでは、語りが佳境に入るにつれて照明がゆっくりと暗くなり、舞台中央の当屋がボワーンと浮き上がって見えるような感じになり、その怪談話にビビりながら反発する太郎には舞台上手から横向きにピンスポット?を当てて注目させる。照明の色合いや使い方がちょっとSePTっぽい感じだと思いました。

萬斎太郎のビビリっぷりの面白さは言うまでも無いですが、石田当屋の怪談語りも絶品!あくまで脇役なのでそうフルパワーで語るわけではないのに、じわじわと恐さが伝わって来るんですよ。語りの形式はは能楽のソレだけど、テイストは講談に近いかな。聴きながら一龍斎貞水さん思い出してましたw もうちょっと長く聴きたいなぁとさえ。一度、能楽形式で怪談話やってみませんか石田さん?

後半の面白さは鉄板。今更ながらラストのどんでん返しの巧妙さに感心。普通ならビビリの太郎をますますビビらせて終わるところに、まさか太郎も鬼の格好をして来るとは予測出来なかった当屋が逆に驚かされてしまう。この曲のこういうところに"発掘者"萬斎師が惹かれたのかなぁと想像します。前半、やられっぱなしの太郎に勝利の女神がほほ笑むところで面白さの二乗。全く同じ格好をした太郎と当屋の文字通りの「鉢合わせ」がヴィジュアル的にも楽しい。エフェクトを掛けない能楽堂版と違い、いろいろ演出の出来る劇場版で演じられても、シナリオの面白さがエフェクトに負けないのが良いです。珍しくホール公演に分があると思わせる一曲。

立衆の若手が観る度に堂々としてくるのも嬉しい限りでした。皆声が良いですよねぇ。そのうち単独の配役で…というのはちと気が早いでしょうかw

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劇団AUN 第19回公演『十二夜』。

2012年1月19日(木) 14:00~ 於:赤坂RED/THEATER

作:W. シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:吉田鋼太郎

Aキャスト
※参考までにBキャストも列記しておきます)

ヴァイオラ(男装名シザーリオ):安寿ミラ
マルヴォーリオ:吉田鋼太郎 
サー・トービー・ベルチ:横田栄司
アントーニオ:大塚明夫
オーシーノー:長谷川祐之(B:杉本政志)
セバスチャン:沢海陽子(B:中井出健)
サー・アンドルー・エーギュチーク:長谷川志(B:谷田歩)
フェステ:岩倉弘樹(B:松本こうせい)
 ※(1月24日気付)この19日はBキャスの松本さんが御出演でした。
オリヴィア:林蘭(B:根岸つかさ)
マライア:坂田周子(B:千賀由紀子)
フェービアン:北島善紀
神父:星和利
船長:谷畑聡
紳士:飛田修司
紳士:福岡幹之

前回の『ヴェニスの商人』で味をしめてw再び劇団AUNのシェイクスピア舞台に参戦。今回はコメディタッチの『十二夜』、原文・翻訳とも未読ですが、森川久美先生のコミックスは何度も繰り返して読んでました。それからも暫く離れていたので、ストーリーを覚えているか不安…ここで小田島先生の本を買って読めばいいものの放置(爆)。せめて再度森川漫画版でも…と思いつつこちらも横着して手が出ず、結局当日にぶっつけ本番という体たらく(ーー;)

初めての赤坂RED/THEATER。地下にある劇場でキャパは170ぐらいでしょうか。当日はC列でしたが前から2列目、可動式のA列を潰して舞台を前に出した模様。前回の『ヴェニスの商人』では千秋楽で最前列、今回も2列目センターブロックと、ホント申し訳ないぐらいの良席。Twitterにて劇団オフィシャルや劇団員の方が「当日券もございます!」と毎日熱く宣伝されていましたが、蓋を開けてみれば平日の昼公演にも関わらず補助席も目一杯の満員御礼。オバサマ率(←オマエモナー)の高さはやはり時間帯と元宝塚女優さんの威光もあるかな?それでも老若男女様々な客層。入口にこの日は出演の無い谷田さんと中井出さんが立たれてお客さん一人一人に挨拶をされていて、思わずド緊張でお辞儀を返すのが精一杯(^_^;)「前回の『ヴェニス』面白かったです!今日も楽しみです!」ぐらいは言いたかったのにホントにチキンで哀しい…バッサーニオとアントーニオだったのに。

舞台上には舞台上手の高い位置に満月のプレート、セットにザックリと掛けられたブルーの大きな布、灰色の枯れ木、そして舞台下手側に何とも寂れた見てくれの「厠(かわや)」小屋www小屋の上部にはご丁寧に「厠」の表札が掛かってるw何故こんなところにクラシックwな趣のトイレが?結論から言うと、実は最後までこの厠の意味(用途は明白ですが)が良く分からなかったのですが(^_^;)。

ギターのアルベジオが印象的なフランス語?のバラードをバックに(これがテーマ曲のようですね)のっけからバリッバリの宝塚テイストで思わず噴き出しそうに^m^ 従者達が華麗に群舞するその中心に居るオーシーノー侯の思いっきりクサい(←褒めてます)台詞回し、良く見ればオーシーノーも従者達も白目のドーラン&真っ青なアイシャドウ、ダメージジーンズがアクセントになっているものの基本的に王道の貴族衣裳。聴くところに寄るとメイクその他はミラさんが指導されたということで納得www演出の鋼太郎さんが最近ヅカにハマっているとの話もあって、結構思い切ったなぁと。では全編そのテイスト押しかと思えばそこまででもなく、ここは掴みというところか。

"問題"の「厠」は基本、登場人物が初めて登場する際に「開き」ます。他にも場面転換で登場人物が替わる際にも使われていて、さしずめ「とこでもドア」といったところ。黒服の2人のドアボーイ(お名前分かりませんごめんなさい!)が恭しくドアを観音開きに開けると、中にはご丁寧に一段高い位置にこれまた懐かしい形状の和式便座!"経験"のある人なら見ただけで「臭って来る」光景w登場人物に寄って奥の背景が変わります…と言っても「海原」と「普通の便所の壁」だけですがw「海原」は海から生還したヴァイオラとセバスチャンの登場で使われていて、まぁその二人の熾烈な運命を象徴しているわけですが、いかんせん笑えちゃうのはそのシリアスなシーンにも関わらず和式便座はそのまま置かれていることwどうしても便座に目が行ってしまうwww唯一便座そのものが"機能"したのはサー・トービーの登場シーン。四六時中ベロンベロンに酔っ払っているトービーが便座を覗き込むようにして「おえぇぇぇぇぇ」…まさか"中の人"の日常もこうなのかと一瞬錯覚(爆)。また、後半でいたずらの罠にまんまと引っ掛かったマルヴォーリオが縛られて監禁されているのもこの厠で、それはそれは情けないお姿でありました…。

ヴァイオラを演じるミラさん、さすが元男役トップなだけあって、キビキビとした動きと利発な言い回しが小気味良い。一方、見た目は少年でも本当の中身は女の子であるという設定の繊細な部分も自然に見えていました。その双子の兄セバスチャンを演じる沢海さんの背恰好が実に似通っていて、無理なく「双子の取り違え」ドタバタの原因になれていたと思います。このセバスチャン、Bキャストでは男性(中井出さん)が白塗りwで熱演されているそうで(残念ながらBは観られず)、そちらは想像するにどう見ても双子には見えなさそうですが、AとBで明らかに違う見せ方をすることで主張されるものは違うはず。Aは同一性、Bは相違性。やはりA/B両方観るべきでしたかねぇ。そして余談ながら…この取り違えのドタバタを観ながらどうしても思い出される『間違いの喜劇』もとい『まちがいの狂言』…w

そのヴァイオラを女と知らず恋に落ちるオリヴィア。ちょっと引きそうなくらいの(失礼っ!)ハイテンション演技でしたねぇ林さん。黒のヴェールを被って兄の喪に服し、オーシーノー侯からの求愛も頑なに拒み続けているという背景はすっかりどこかに飛んでいるような(*_*; ちょっとものまねの中島マリさんテイストを感じたのですがwまぁ主の伝言を持って来た一介の小姓に何もかも振り捨てるかのように一目惚れしてしまう"勢い"はこのくらい必要なのかも知れません。個人的には少々「?」な感触だったのですが(^_^;)

全編を通してのお笑いパートはサー・トービー、サー・アンドルー、フェステの3名(+マライア、フェービアン)によってそれはそれは腹筋崩壊モノに仕上がっていました。特に前回の『ヴェニスの商人』ランスロット・ゴボー役で初めて拝見して以来、myお気に入りになった長谷川(志)さんのサー・アンドルーが予想を裏切らず絶品!!お顔の輪郭と濃い目のメイクの所為でココリコ田中に見えてしょうがなかったというのはココだけの話wちょっと、と言うよりかなり「足らない」お陰で仲間のはずのトービーに良いように操られての"大活躍"。セバスチャンとの決闘では相手の頭を便所スリッパ(例の緑のビニール製w)でおっかなびっくり引っ叩いたり(沢海さん耐えに耐えてましたw)、ザックリ頭を斬られて(「どぶわっ!」というSE入りw)何故か生きてたり、といった具合に、アンドルーの場面はお遊びたっぷり。そのお遊びを最大限に面白くさせる長谷川さんのおバカっぷりが圧巻!前作で感じた魅力に間違いは無かった♪

サー・トービー横田さんはさすがの貫禄。前述の「おえぇぇぇぇぇ」をはじめとして酔っ払いっぷりがあまりに様になってるので本当に酔ってるのかとwげっぷのついでに吐き出した「おつまみサラミ」とか、シザーリオの剣さばきを見て「さすが阪急電鉄お抱えの…」とヅカに引っ掛けたチャチャとかのオリジナルのネタも冴えてました。それと同時に、凄く笑えるのだけどどこか毒を含んだトービーであったのも印象的。彼のいたずらを煽る姿は見方によってはちょっと度を越してないか?と感じるところもあって、その影の部分がチラチラと見え隠れしていた場面もあったかと思います。まぁ偽手紙の計画を練りまくったマライアも良い勝負なんですけどねw

松本さんのフェステは最初道化だと気づかなくてwwwどっかの世捨て人か風来坊かと思ってました(←まぁ道化と共通項はありますがw)。スキンヘッドにサングラス、インド風の長い上着がヒッピーのようでもあり。お笑いパートの中で活躍しますが、どこか褪めた視点を持って大騒ぎから距離を置いているような佇まいがあったのが印象的。現代で言えば辛口のコメディアンというところか。そういう視点を持つのも道化であるとも言えますが。

そして吉田マルヴォーリオ!こんなにコミカルな鋼太郎さんを見たのは初めてでしたwwwマライアの偽手紙を主人オリヴィアからの恋文と思い込み、騙されているとは露知らず飛び回って全身で喜びを表現w全く形になっていないムーンウォークは席のお陰で足もとが良く見えたw初登場シーンでいきなり声が掠れてたので鋼太郎さんにしては珍しいなぁと思ってたら、この大喜びシーンが叫びっぱなしだったからなんですねぇ。幸福の絶頂でトービー達に騎馬戦よろしく担ぎ上げられたところでは声も体力も限界www疲れた表情を隠さないからますますおかしい。担いでるメンバーもヨレヨレの汗だく。オジサマ達(失礼っ!)がヘロヘロになりながら笑いを取っているという凄い場面www観ている方も笑い過ぎてヨレヨレ…。

しかし、前述したようにこのいたずら、いささかやり過ぎだなぁとも思ったのです。というのは、鋼太郎さんのマルヴォーリオが案外実直に見えたからかも。確かにマライアやフェステには横柄な態度をとるし自尊心の塊のような人物ではあります。が、主人のオリヴィアにとっては信頼のおける執事であるわけで、まぁ原作を全部覚えているわけでは無いのであやふやなのだけど、マライア達にとって「鼻もちならない」というだけなのではないかと。まるで憂さ晴らしの生贄のような哀れなマルヴォーリオなのですが、たまたまトービーかフェステの台詞の中に「熊いじめ」という言葉が出て来て「ああマルヴォーリオのやられ方ってこれに近い感じかなぁ」と思いました。娯楽として「熊=マルヴォーリオ」を引きずりまわして遊ぶ、そんなイメージ。トービーの横顔に時折ふと邪悪さを感じるのも、フェステが何となく一歩引いてシレっとしているように見えるのも、そんなことを考えながら観ていた所為かも知れません。

大団円直前に監禁されたマルヴォーリオがボロボロになって現れて事の顛末をオリヴィアに訴え、既に偽手紙の謎解きを受けていたオリヴィアから「いささかやり過ぎだったけど水に流してあげなさい」と言われてやむなく退くのですが、ここは古典的コメディよろしく「おっおっおっ覚えてろー!」と捨て台詞残して、ついでに走り去る途中でビートたけしみたいにすっ転んだりしてw最後まで笑いを取るのかと思っていたら、それこそ前回のシャイロックの如く重苦しく、怨念を溜めこんだようにゆっくりと退場していったのにはちょっと驚きました。そこはさすがの鋼太郎さんですから空気が一変、客席も静まり返ります。いたずらはちょいやり過ぎかなと思っていた自分は少々同情的な気分になりましたが、人によっては「丸っきりの被害者ヅラなのがますますムカツク野郎だ」と観たかも知れません。まぁなんとも不思議な気持ちになるマルヴォーリオ退場シーンでした。

エンディング、ちょっと斜に構えたフェステの、哀愁漂う旋律の歌。原曲の"The Wind And The Rain"がどういう旋律だったかすっかり失念してしまったのですが(^_^;)こんな切々たる曲では無かったような気が。松本さん、半分泣くように歌っていたような。運命の兄妹はそれぞれの幸せを掴み、めでたしめでたしの一同を見送ってのこの歌は、単に"祭りの終わり"を惜しむレベルではないかなぁ。開演前と終幕後に子供達の遊ぶ声がSEとして流れていましたが、子供のように無邪気に遊んだ一時(いっとき)はもう戻って来ない、その惜別の想いが籠った歌のようにも思える。涙が出るほど、腹筋がよじれるほど笑わせてもらいましたが、マルヴォーリオの籠った怒りとフェステのシニカルな視線が妙に心に残る舞台でもありました。

…と、ずらずら取りとめも無く書き殴りましたが大した考察も無く(泣笑)。他に面白いなぁと思ったのは、シザーリオを寵愛するオーシーノー侯と、セバスチャンを命がけで守るアントーニオ(復帰の大塚さん、めちゃめちゃ正統派のカッコよさ!)にちょっぴり同性愛的テイストを感じたこと(特にオーシーノーは途中からオリヴィアが好きなのかシザーリオが好きなのかよう分からん状態にw)、原版でも"謎の存在"扱いらしいフェービアンがやっぱり謎で(爆)ヘルメットや迷彩服をつけライフルを持たせたのは、その謎に何らかのもっともな理屈をつけるよりも、もう違和感そのままで存在しちゃって良いじゃないかぐらいの演出だったのかなと思ったこと、などなど。さて次の作品は何を取り上げるのでしょうか。楽しみに待ってます♪

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第57回 野村狂言座。

2012年1月13日(金)18:45~ 於:宝生能楽堂

◆素囃子『神舞』

 大鼓:佃良太郎 小鼓:住駒充彦 太鼓:金春國直 笛:藤田貴寛

◆『夷大黒(えびすだいこく)』

 大黒:深田博治 夷:竹山悠樹 長者:月崎晴夫

◆『空腕(そらうで)』

 太郎冠者:高野和憲 主:石田幸雄

◆『若菜(わかな)』

 海阿弥:野村万作 果報者:野村萬斎
 大原女:竹山悠樹・中村修一・村井一之・内藤連・岡聡史

新春らしく、玄関には門松、ロビーには樽酒と鏡餅。今まであまり気にしなかったのですが、樽には「寶生」の銘が入ってるんですね。お客さんの入りは、正面最後方付近と脇正面後方2~3列分に空席が目立ちました。自分の席の斜め前にいつものw河合祥一郎先生。外人の方を伴っていらっしゃいました。あとで気が付いたのですが、先に郵送されたチラシと現地で渡されたパンフとを比べて『若菜』の配役に変更が。大原女sから高野師と深田師が外れて村井師がin。ニューフェイスで固めましたね。

※『神舞』

今年のオープニングは神舞の小気味よいパーカッションで。座った位置の関係でしょうか、強めのエコーがかかったように聞こえてきました。自分はこういう音質が好きな方なので鼓膜の保養でしたw

※『夷大黒』

初見。長者が夷様と大黒様をお迎えし、果たしてあらわれた2人の神様が由来を語り長者に福を与える様を見せて、見所の観客にも福のおすそわけ、という実にお正月らしいめでたい演目。ということで笑いの要素はこれと言って無く、夷様と大黒様の有難いお姿を会場一同で拝んで一年の無病息災を願う、という観客のスタンスで良いのかな、とw

神様達を迎える為の準備として、脇正面側の目付柱とシテ柱の間に細い注連縄を掛けるのですが、月崎長者と後見の岡くんが作業をしている間に、ちょっとした力の掛け違いか、なんと注連縄がぷっつり切れてしまうアクシデント。切れた瞬間は見えなかったのですが、確かに「ぶちっ」とそこそこ大きな音が聞こえたような。2人の作業がなかなか終わらないのでおかしいなとは思ってました(^_^;)結局、寸足らずになった注連縄をシテ柱に巻くのを諦めて、シテ柱すぐ横の橋掛かりの欄干に結んで事なきを得ました。"現場"を真正面でご覧になっていらっしゃっただろう脇正面のお客さん達はハラハラされたんじゃないかと。

長者のもてなしに誘われて深田大黒と竹山夷登場。大黒様は袋と小槌、夷様は釣り竿と実に分かりやすい小道具。どちらかと言えば上背がある深田師が、身体を屈めたままひょこひょことユーモラスに歩を進めて来る姿がまるで媼のようで、そのちんまりと可愛い?姿に一瞬石田師が演っているのかと錯覚w最後は招いたくれた長者に、夷様は釣り針を、大黒様は宝の袋と小槌を気前よくあげてしまいます。元々裕福な上にこんな有難いものまで頂いて、めでたさ一人占めの長者で羨ましい限りですが、ここは前述したように長者の福をおすそわけしていただく気持ちでいれば…。

※『空腕』

昨年の"My締め観劇"@セルリアン能楽堂で大いに笑わせていただいた曲に一ヶ月足らずで再会。今回は、前回にSッ気漂わせるw主人役だった高野師がシテ太郎冠者。全方向にご自身の魅力を噴出しまくったw萬斎太郎冠者@セルリアンとは対照的に、威張る場面もビビる場面も実に律儀に演じられた太郎冠者だと感じました。

多分、こちらの方が正当な見せ方だとは思いますが、なにせ前回の太郎冠者がアレだっただけにwww比較して前半の一人芝居のところはやや平板な印象に。しかし後半、太郎冠者の本当のビビりっぷりを知っていてしらばっくれている主とのやり取りからはメリメリハリきっちり。脇を支える石田主が今回も盤石の受けと返しで太郎冠者を盛りたてます。やはりこの『空腕』は面白い!1曲目『夷大黒』でほっこりと寿ぎの空気を味わった後に直球の大笑いネタで、めでたく今年の能楽堂初笑いをおさめることが出来ましたw

※『若菜』

現実の世界ではまだ寒さ厳しいところに、能楽堂では既に春の演目が。これも観て笑うというよりは、いにしえの京の都は大原の、のどかな風景を思い描きながら舞台が醸し出す空気を楽しむ1曲かなと。

野遊びを楽しもうと大原にやってきた果報者に付き添う海阿弥はレジャーのコーディネーターという趣きw通りかかった大原女達を呼び寄せて、あれやこれやと酒宴を盛り上げていきます。万作海阿弥の実に楽しそうな表情が良い。対する萬斎果報者は時に杯を飲み干すものの、ほとんど葛桶にどっかりと座ったまま完全に観客の一人になってましたw今回の野村狂言座で一番労力が少なかったかもw良い意味で空気。おのず舞台上にずらりと並んだ大原女に目が行きます。

大原女一同、登場では摘んだ花束を頭の上にかざして歩く姿が何とも優雅。メンバーはリーダー竹山師を筆頭に中村・村井・内藤・岡の各師という見事に若手勢揃い。いまだ全員のお顔を見分けるのに不安があるのですが、今回は美男鬘でますますお顔の判別がつかない(*_*;百人一首を謡に乗せて歩いていたように記憶してますが…「君がため 春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ」だっただろうか…間違ってたらすみませんm(__)m

果報者&海阿弥と合流し酒宴になってからは大原女一人一人に見せ場(聞かせどころ)があって、年の初めから万作家ニューフェイス大アピール大会でもありました♪お顔の判別が付かないのでパンフの番組表の通りの配置と前提しますが、まず村井師の美声に耳が溶けましたwちょっとオペラチックな声質とも聞こえますが、謡がどっしりと落ち着いていて若手っぽくない感じさえしましたね。謡の形は出来ていてもまだ声が生っぽい方もいらっしゃいましたが、皆さん見せ場をキッチリとこなしていて楽しんで観られました。また別の演目でもちょくちょく機会がありそうでこれからも期待。良い酒宴でございました(^o^)

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あけましておめでとうございます。

三が日も過ぎてしまって今更ですが(^_^;)あらためまして新年のご挨拶を申し上げます。

旧年中は沢山の閲覧者の方々にお越し頂き誠にありがとうございました。

今年も当ブログ&母屋『DIVINE COMEDY』をよろしくお願い致します。

本日より『にほんごであそぼ』萬斎師コーナーも新作登場!!

宮沢賢治「かなしみはちからに、欲りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」

「かなしみは…」のところは、やはり去年の惨事を思い起こさせるところもあったでしょうか。

スカイブルーの肩衣が目に鮮やかでした。

さて、シマシマ・バージョンも登場するかなw?

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2011・今年の10選&番外。

歳の暮れも押し迫りましたので、恒例?の"独断と偏見に寄るMY BEST 萬斎 STAGE"を今年も列挙してみたいと思います。いつもなら1位~10位まで順位をつけるのですが、今年は偶々初見で非常に面白かった曲が多かったのと、"BEST"よりも"番外"の方が気になったというのもあって(爆)ちょっとランキングつけが難しい…ということでBEST 10については公演日程順に挙げていくことにします。

  • 1/14 第53回野村狂言座 『麻生(あそう)』:初見。"国の宝"の頭を容赦無くペチペチ叩く倅さんに爆笑wカツラの髪を舞台上で実際に結いあげる場面では倅さんの手つきにドキドキwww
  • 3/28 MANSAI◎解体新書その拾八:東日本大震災後に最初に観た舞台(企画)。和蝋燭の揺らめく灯りの中での"祈り"と、ゲスト首藤さんとの"和洋ダンス合戦(?)"の高揚感。
  • 9/1 第55回野村狂言座 『不見不聞(みずきかず)』:初見。『三人片輪』よりも更にエグい(爆)リアル・ハンディキャップト同士の小競り合い。ギリギリ感たっぷりの笑い。
  • 9/15 野村万作萬斎 狂言の現在2011(関内) 『月見座頭(つきみざとう)』:ホールの空間にも全く揺るがない万作座頭の透明感。父子競演の美しさもただただ眼福。
  • 9/15 野村万作萬斎 狂言の現在2011(関内) 『吹取(ふきとり)』:初見。"吹き替え"無しの笛吹き萬斎を遂に観た(聴いた)wさすがに"本職さん"のようにはいかないまでも、それなりにちゃんと聴けてしまうのが凄い。お陰で肝心のストーリーを忘れるw
  • 10/20 万作を観る会 傘寿記念公演 『太鼓負(たいこおい)』:初見。中世の賑やかでどこか雅なお祭りの景色を堪能。傘寿の"座布団亭主"の可愛らしさに悶絶w
  • 10/22 新宿狂言vol.16 『川上(かわかみ)』:突然の不幸と"奇跡"の狭間に漂う"結婚10年の夫婦"のリアリティ。今までで一番すっきりと"自分の腹に落ちた"『川上』を体験。
  • 11/18 第56回野村狂言座 『瓢の神(ふくべのしん)』:初見。念仏ラインダンスwがいと楽し♪若手の元気の見せどころとも思えるので今後にますます期待w
  • 12/8 狂言劇場 その七 Bプロ 『奈須與市語(なすのよいちのかたり)』:"スパークする国の宝"を目の当たりに!傘寿の身体に"二十歳ばかりなる"若武者のオーラが…凄かった…。
  • 12/16 萬斎インセルリアンタワー11 『空腕(そらうで)』:初見。今年の"my締め"にふさわしいw萬斎師の魅力大放出の太郎冠者。空威張りもビビリも可愛過ぎてもうどうしてくれようかwww

10選は以上。そして番外…世間的に絶賛されたものもございますが、まぁこればかりは自分の気持ちに逆らうわけにはいかないので…。

  • 6/9~7/31 『ベッジ・パードン』:まさかの大番外。my初日は本当に面白くて楽しめたのですが…2回目以降から頭の中にどんどん「?」が増えていく三段逆スライド方式。やはり"sense of humour"の決着の付け方の余りの気持ち悪さと、前半にぐっと盛り上がった問題意識が後半にどっかに行ってしまったように感じたことかなぁ…震災を挟んで物語の空気をがらっと変えたことが脚本の整合性に影響していたらしいことは、書かれた三谷さんご自身が後々語っていらしたので、まぁコチラの感じたことは丸っきり間違いでは無かったのかな、と。エンターテインメントとして非常に良く出来ていたとは思いますが、今一つスッキリと出来ませんでした。期待が物凄く大きかっただけに…。
  • 12/3 狂言劇場 その七 Aプロ 『MANSAIボレロ』:ちょい拍子抜けの番外。特に前半の静かなパートで、どうも舞と曲のテンションがずれる感じ。"本業舞台"ならば何とも思わない衣擦れの音が変に気に触るのにも困惑しました。舞に籠めたコンセプトも分かるし、後半のパワーと華麗さはさすがとしか言いようが無かったのですけど、まだどこかかみ合い切れてないような…ただ、その日その日で印象が随分違ったそうなので、自分が観た日の相性の差かな、とも。
  • 12/8 狂言劇場 その七 Bプロ 『悟浄出世(ごじょうしゅっせ)』:希望的番外。レポにも書きましたがあらためて「まず台本を落とそう。話はそれからだ」(w)。あそこまでいろいろ作り込んだのならもう"リーディング"で終わるわけにはいかないと思いますので、殺人スケジュールの芸術監督ドノと重々承知の上で、是非『敦』シリーズの一環として再構築していただければ幸いでございます。お待ちしておりますw
  • 番外にさえなれない番外…『神秘域』@KAAT(爆)。会場への道中であえなく討死(泣)。自然の猛威と喧嘩は出来ぬ…。

10選が純粋な本業中心、番外が企画モノあるいは他流試合と見事に真っ二つな状況です(^_^;)

なにより今年は「3.11」がエンターテインメントの世界にも大きくのしかかりました。会場の破損や諸事情かんがみての配慮に寄る公演中止・延期が相次ぎました。幸い自分は体験しませんでしたが、上演中に揺れて怖い思いをなさった方も多くいらっしゃったようです。そんな中、『MANSAI◎解体新書その拾八』にて、芸術監督ドノとゲストの首藤さんが和蝋燭の柔らかい光の中に淡く浮かび上がったのを見て、確かにそこに「生きていること」の重さを垣間見た思いがしたのは大変印象的な体験でした。萬斎師&狂言に限らず、様々なジャンルのエンターテインメントには、前売りのチケットを手に公演日を心待ちにしながら、無念にも震災で命を落とされた方々の想いも注がれていたかも知れません。一旦公演が始まってしまえば、その楽しさの中に心を投じてしまうけれど、失われた多くの命と、今生きて(生かされて)いる自分自身についてふと考えた時、舞台はまた違ったモノに見えていたように感じた1年でした。

今年1年、当ブログ&母屋『DIVINE COMEDY』をご覧になっていただき、まことにありがとうございました。今年も大して成長の無い中身でしたが(泣笑)来年もマイペースで細く長く続けていければと願っております。

来年は是非、幸多き年でありますように。

     

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萬斎 イン セルリアンタワー 11。

2011121618090000 2011年12月16日(金)19:00~ 於:セルリアンタワー能楽堂

◆解説 野村萬斎

◆『雁大名(がんだいみょう)』
  
  大名:石田幸雄 太郎冠者:深田博治 雁屋:月崎晴夫
  後見:岡聡史

◆『空腕(そらうで)』
  
  太郎冠者:野村萬斎 主:高野和憲
  後見:中村修一

※解説

今年最後の若旦那舞台は、正面4列目ほぼど真ん中という好条件で拝見出来ました♪まぁ本当にこぢんまりした能楽堂なので、どこから観てもそう問題無いんですけどねw

(以下、萬斎師のトークを箇条書き的に。例によってメモ不完全により意訳多し。訂正・補足ありましたら宜しくお願い致します)

セルリアンタワーでの公演ももう10年、11回を数えた。自分が杮落としで『三番叟』をさせていただいて、それ以来ずっとお世話になっている特別な場所の一つ。それでもまだ10年なので(柱の一つを触りながら)木がやけていない。

本日は女性率が高いですねwww

今年を振り返って。私を今日初めて観た方には何のこっちゃ分からない話になるかも知れませんがw

3.11の震災の際はパリに居た。その月に『まちがいの狂言』を向こうに持って行く企画だった。情報がなかなか入って来なくて浦島太郎のような状態になってしまっていた。携帯も繋がらない。TVのニュースを見てもフランス語だから良く分からない。何とかPCからニュースを見て惨状を知った。その間もデマのメールが入って来たりして情報が混乱しているところもあった。

『まちがいの狂言』はパリで良くウケた。テアトル・ド・ソレイユという劇場で上演したのだが、そこの芸術監督が震災に対する募金を募ってくれた。上演後、装束を着けたまま皆で募金のお願いをした。向こうでは募金箱でなくシーツ(テーブルクロス)を広げてそこにお金を投げ入れるようにしてもらった。どこからでも入れられるし、どうせ入れてもらうなら"丸いモノ"より"紙"の方が良いのでw"紙"を入れやすい募金シーツだったwそれはSePTでもやってみたが結果は上々だったと思う。

日本に帰って来ても混乱の真っただ中だった。この中で、自分達は狂言というものをどう扱っていけばいいのかかなり悩んだ。こういう時だからこそ、という考えもあったが、結果的には3月いっぱいの公演は全てキャンセルして秋に回した。しかし狂言は「観た人を元気にする力がある」のだから、その後はそのためにもしっかりと活動させてもらった。

6~7月は三谷幸喜さんの舞台『ベッジ・パードン』に。2ヶ月の長丁場は初めてだった。こんなご時世(不況に震災が加わった)だからお客の入りが懸念されたけれど、さすがに人気脚本家と人気俳優メンバーの組み合わせは強くて、連日満員だった。春は自粛ムードが強かったけれど、初夏辺りから日本人の心の持ちようが変わってきたのかも知れない。ふさぎこんだところから一歩踏み出して行こうという気概を感じた。

震災で映画『のぼうの城』の公開も延期になった。本編中の水攻めのシーンが震災の津波を思い起こさせるとして。1年延ばしておそらく来年の秋になる。何年経ってもあの震災の生々しさというのは消えないものかも知れないけれど、この映画は人間が困難にどのように立ち向かっていくかを描いており、希望に満ちているお話なので、是非上演して皆さんにご覧になっていただきたいと思っている。

三谷さんの舞台が終わり、その後やるはずだった映画のプロモーションの仕事が公開延期になってごっそり抜けたので、暇になるかと思ったのだが、その舞台に拘束されている間、沢山の狂言舞台をキャンセルしていたので、それを挽回すべく公演がぎっしり入ってきた。その上、朝日新聞夕刊のエッセイの仕事も来た。皆さん、朝日購読されてますかw?もしされて無かったら今日の帰り、駅のKIOSKに寄って下さいw

今月上旬にはSePTで『狂言劇場』。「MANSAIボレロ」としてあのボレロを舞った。モーリス・ベジャールの振り付けで有名だが、半裸で肉体美を見せつける舞踏。女性のみならず、ソッチの方の男性も惹きつけられるのではw やはりああいう震災があったので、自分は再生のイメージを盛り込んだ。シルヴィ・ギエムのボレロを盛岡の岩手県民センターで観た。復興支援として彼女が企画してくれたもの。お客の反応が素晴らしかった。ギエムの舞踏に力をもらっているようだった。あの場に「再生していく力」を見た思いがした。

そろそろ曲の解説をしないと時間がwww

『雁大名』。狂言は階級のある世界。大名が出て来るが、いわゆる名の通った大大名ではなく、名主さんにちょっと肩書きが加わった程度。自分の土地に何か問題が起こった時、わざわざ都に出向いて裁判をしなければならなかった。それがめでたくまとまった際は、お世話になった人達を招いてもてなす習慣がある。大名は家来の太郎冠者に酒の肴を買って来いと命じるが、その訴訟事でお金を使い果たしてしまっているので、そこは律儀で機転の効く太郎冠者がタダで肴をせしめてこようとする。どんな作戦が展開されるのか、それは見てのお楽しみということでw

『空腕』。空威張りの話。「空威張りの腕自慢」という意味。普段太郎冠者が大ボラばかり吹いているので、主人がちょっと懲らしめてやろうとする。使いに行かされて真っ暗な夜道を進む太郎冠者。その後を主人がこっそり付いて来る。暗闇の中ではありもしないものにおびえてびびってばかりの太郎冠者なのだが、いざ家に戻るとホラを吹いて強がって見せる。それを主人がどのようにあしらうのか。昔の尺貫法が出て来るが、今でも自分の世界では尺貫で話をすることが多い。「あと一尺アップ」とか。(パンフを見ながら)「十四五間(じゅうしごけん)」とはメートル法なら180センチぐらい。

(12月25日気付。閲覧者の方から補足を頂けました。語句解説のところで、萬斎師が「間違えているところがあります。《十四五間は181センチメートル》とありますが、一間は畳横幅二畳分ですので、そんな訳はありませんね。」と訂正したのですが、文字が小さくてパンフの何処に書かれているのか探せないようだったとのこと。↓の老眼の話に繋がって行きますねw)

ちなみに計算すると、14,5間は25~27メートルになるようです。

(解説からちょっと離れて)こうやってパンフを見ると字が小さいなと思う。もともと視力は2.0あったのだけど、最近は手元が見えにくくてwwwこういう小さい字が苦手になってしまった。昔はアンケートに「パンフの字が小さい」と書いてあると「なんで見えないんだよ」と腹が立ったものだがw自分が同じようになってみると身につまされる。

【質疑応答】

Q. 今年観た舞台で印象に残ったものは?

A. (かなり考えて)やはりさっき話したギエムの『ボレロ』かな。観たいものは一杯あるのだけれど、忙しくてなかなか思うようにならなかった。自分の事で精いっぱいだったような。

Q. 『にほんごであそぼ』に出演しているのは何故?(←小・中学生ぐらいの女の子から)

A. 一言で言えば「頼まれたから」www 来年でちょうど10年になる。日本語の言葉の意味よりもまず、音の面白さを伝えるというところに、狂言のエッセンスを感じる番組になったと思う。子供達と一緒に居ると、幼児の心をつかむには自分が幼児の心になることだなぁと。例えば狂言の達人達は歳をとっていても「可愛い」と評されるw達人になればなるほど、子供の心になっていくから。「四十五十は洟垂れ小僧」と言われる世界だから、40代の自分はまだまだそこまで行けて無くて煩悩にまみれているwさすがに10年も経つと、共演の子供達とどんどん歳の差が離れていくのが…そのうち「おじいちゃん」の立場になっちゃうのかなw

********************************

※『雁大名』

初見。大名と家来の太郎冠者が結託してタダで酒の肴をせしめるお話wこの手の話は大体最後に失敗して終わりになるのだけれど、コレは珍しく大成功で終わります。なにせ大名が石田師、太郎冠者が深田師ですからおおよそ悪事を企むようには見えないわけで。どう見ても失敗モードだと思っていたので(あらすじ予習していません)意外でしたw

雁は剥製モドキのような小道具でも使うのかなと思ったら、羽根ペンを二回りくらい大きくしたぐらいの羽根の刷毛?で雁に見立てていました。もしかしたら後見が舞台上のゴミを集める時に使うアレかな?二人が示し合せて他人を装い、雁屋の前で大喧嘩。あわてて仲裁に入った雁屋が喧嘩に気を取られている隙にまんまと雁とふくさをかすめ取る。結構荒っぽい計画なんですが、前述したように石田大名に深田太郎冠者なもので…これで引っ掛かった月崎雁屋さんお気の毒としか言いようがございませんw

ラストは「しめしめ、上手くいったなぁ」で終わってしまうのがちょっと拍子抜けでした。やっぱり狂言の登場人物は最終的にはどこかで失敗して欲しいものだと思ってしまうんですねぇ。

※『空腕』

これまた初見。『弓矢太郎』も真っ青の、太郎冠者のビビリっぷりが最大の見モノ。いやいやいやもうこれはこれは…THE MANSAI無双とでも言うべき、萬斎師の魅力がダダ漏れ状態の太郎冠者でした~。主人の前での空威張りっぷりも、夜道でのグダグダなビビリも、もう一瞬一瞬が逐一可愛い!!なんだろうこの可愛いビーム全方向照射は!!どうしてくれようこの四十路!!そして滅茶苦茶笑える!!腹筋痛い(泣笑)!!

全体的にかなり写実に沿った演じ方に見えまして、それは観る人によってはあざとく感じられるかも知れませんが、何よりかにより観ていて楽しくて仕方が無い。ご一緒した某常連さんが「お客の反応をちゃーんと見てるよね~」と仰ってましたが同意。見所の空気もノッていたと思います。最初から太郎冠者のホラを見抜いていて、ひとつ罠にはめてやろうと企む高野主にSッ気(爆)が漂ってたのもまたよろし。結構ダークな空気背負ってたような?

なんかもう具体的な感想が浮びませんで「可愛い可愛い」と繰り返したいだけ(苦笑)。自身、これが今年の観劇納めであり萬斎納めだったのですが、春先からずっしりと掛かっていた震災の影がこの『空腕』大笑いで雲散霧消していくような心持ちでした。後ほど今年もMy ベスト10記事を書こうかと思ってますが今の時点では(自分が猛烈に楽しんだという点でw)TOPにしちゃっても良いかなーと。今はそのくらいの勢いですw

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『忍ぶの城』。

いやはや、何かとTwitterに助けられることが多い昨今。先日、何の気なしにフラフラとネット検索していたら「『キネマ旬報』2004年1月下旬号に『のぼうの城』の"原作"にあたる脚本『忍ぶの城』が掲載されている」という情報にぶち当たり、早速古書検索やヤフオクに突撃したのですが在庫なし。最も太い"頼みの綱"である神保町の演劇・映画専門の某古本屋さんにも無いことが判明、諦めかけていたところに、さるお方から「呟き見てました」とメールが舞いこんで、なんと『忍ぶの城』を確実に入手出来る場所を教えていただけました!

東京国立近代美術館フィルムセンター
http://www.momat.go.jp/FC/fc.html

早速行ってまいりましたw 東京メトロ銀座線京橋駅1番出口から徒歩1~2分ほど。コチラの4階の映画専門図書室に(ハッキリと確認はしていませんが)『キネマ旬報』の創刊から最新刊までが、4冊ほど毎に布張りのハードカバーを掛けられ、書架に年代順にずらりと百科事典の如く。現物の貸し出しは出来ませんが、有料で読みたい部分のコピーが出来るのが有難い。コピーは自分でやるのではなく、複写許可証を書いて係の方にお願いする形になります。

コピーを待っている間(と言っても5分ほどだったでしょうかw)、2001年10月下旬号を引っ張り出して『陰陽師』記事を拝読(←自宅にも同じモノがありますがw)。インタビュー記事の萬斎師の写真がさすがに若いwww 『忍ぶの城』だけなら白黒コピーで、500円ワンコインで充分お釣りが来ます。貴重な蔵書を扱っているので、セキュリティーの関係で大きなカバン等は持ち込めませんが(図書室の入り口にコインが返って来るロッカーあり)、資料を読むスペースは充分にあるので、映画ファンならその場で開室時間中ずーっと過ごせるかも知れません。

さて、コピーしていただいた第29回城戸賞入選作品『忍ぶの城』。脚本形式で書かれているので中身は当然台詞とト書き。最初のページに登場人物の一覧表があるのですが、「成田長親(なりた・ながちか、45)」には笑ってしまった。今年、予定通り公開していれば"中の人"とまさに「どんぴしゃり」だったんですねぇw 各キャラクターの台詞は、ちょっとした言い回しの違いはあるでしょうが小説の方とほぼ変わらず。小説版のような心情や状況説明の文章が無い分、かえってテンポ良く読める感じがします。台詞だけから状況や心情をいろいろ想像出来るのも楽しい。

一番の違いは、当然ながらあくまで脚本であり、ここでは誰か特定の俳優さんに当て書きしたわけでもないでしょうから、登場人物の見てくれ(いでたちではなく顔や身体の造作)の描写がないことですね。つまり小説版のぼう様のあの特徴的な図体設定はこの"原作"には無い。初めて映画化が決まって萬斎師がキャスティングされた時点では小説版が出ていなかったはずなので、あくまでこの脚本の中の台詞や行動から内面的な部分の表現を考えて適役とされたのでしょうね。当たり前ですが(汗)。

「ナンダカヨクワカラナイヒト」という共通項はありますけどねwwwww

以前、Twitterの某フォロワーさんが聴講されたある講演で、確か犬童監督だったでしょうか(間違ってたらすみません)、「元々のぼう様は別段、大男という設定では無かったんです」というようなお話をされていたそうです。キャスティングされた萬斎師が小説版ののぼう様とイメージがあまりにかけ離れているのを疑問視する声がちょこちょこ上がっていた頃なだけに、あまりあの見てくれの描写に拘らないで観て欲しいという思いもあったでしょうか。

まぁそれだけ、あの小説版の"でくのぼう"の描写が読んだ人の中に猛烈に刷り込まれているということなんでしょうね。説明的な部分がほとんど無い、丁丁発止の台詞のやりとりが生き生きとしてあらわれているおおもとの脚本版を読んでみるのも、ちょっとしたリセットになるかも知れません。

フィルムセンターの件、ご存じの方は今更でしょうが、ご参考までにm(__)m

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MANSAI◎解体新書 その拾九 『語り』~語り物の系譜(リテラチュール オラル)~。

2011年12月9日(金)19:00~ 於:世田谷パブリックシアター

◆企画・出演:野村萬斎(世田谷パブリックシアター芸術監督)

◆出演:今井検校勉(いまい・けんぎょう・つとむ 平家琵琶検校)
     薦田治子(こもだ・はるこ 武蔵野音楽大学教授)

今回は2階席。二日続けて2階の最前列。夏は良いんだけど、冬は着膨れしてるから2階の狭い椅子がちょっと窮屈(*_*; めげずにメモ取りしましたが、毎度毎度ですがあやふやで聴き間違い・咀嚼間違い多々ありと思います。訂正・補足等いただければ有難いです。

舞台上はいつものように椅子や机が置かれず、緋もうせんを掛けた台が中央に。今井検校さんの座する場所でしょうが…ということはいきなり検校さんの平家語りから始まる?と構えていたところ、いつもと変わらぬタイミングで芸術監督ドノ登場w今回は解体ルックでは無く黒紋付袴。挨拶の後、検校の琵琶を聴くのは今回が初めてということで、まず芸術監督ドノがワクワクしているwここでも検校さんのご登場は無く、今回の聞き手の武蔵野音楽大学教授・薦田治子先生が先に登場。

(以下、「萬」=芸術監督ドノ、「薦」=薦田先生、「今」=今井検校勉氏の表記で。聴き取れなかったところはファジーにしてあります(^_^; )

萬:(『平家物語』について)書かれたモノと言うより、口承文学では?

薦:文学作品と言うより音楽作品。皆さん「?」と思われるでしょうが(笑)。

萬:能狂言も「音楽か?」と言われればそうでもあるし…。

薦:メロディーが付いていて聴いて楽しむモノ。歴史的には「平家(へいけ)」という琵琶で語る音楽、という認識。いわゆる源氏のライバルの家系である平氏も「平家」と呼ばれるので、音楽の事なのか一族の事なのか、聞いただけでは分からず混乱してしまう(苦笑)。

(スクリーンに「平家」の歴史投影)
 13世紀    誕生(鎮魂や布教の為)
 14世紀    明石覚一の登場(←天才と言われた)
 14~15世紀 為政者や知識人の間で流行
 19世紀    明治維新による衰退

薦:(スライド説明しながら)「平家」は明石覚一という天才が確立した。文化はたいてい、一人天才がいれば発展する。能楽における観阿弥・世阿弥のように。16世紀頃に古典音楽化された。「平家」の誕生から300年。頑張って2~300年続ければ古典になる(笑)。

萬:じゃあ「MANSAIボレロ」も300年続ければ古典になる(笑)?

薦:ここまで続いたのはやはり音楽であったこと。眼から入る字ではなく「音」であったからこそ魂が伝わったのだと思う。

萬:やはり平家(壇ノ浦で滅んだ)への鎮魂の意味で作られたのか?

薦:壇ノ浦の後、世情不安などがあると皆「平氏の所為か(祟りか)?」と思ってしまう傾向があった。その怒りや呪いを鎮めるための音楽であった。

萬:滅ぼしたモノを逆に崇め奉ることが鎮魂に繋がる。

薦:現在の源氏政権を正当化する為に、平氏の恨みを鎮める役割の「平家物語」が存在したとも言える。

萬:「平家」は最初から琵琶法師がやっていたのか?

薦:「平家」より前に琵琶はあったし、琵琶法師は民間の芸能人として存在した。当時寺が仏教と芸能と発信源となっており、琵琶法師に「平家」による鎮魂の役割を託した。盲人が「平家」をやることには意味がある。音楽を習得する為には沢山の時間が必要。眼が見えないことで生業を持ちにくい盲人は音楽を習得する為の時間を充分取れる。眼が見えないことで聴覚が健常人より発達しているのも都合が良かった。

(スクリーンに琵琶の種類投影)
 雅楽琵琶(奈良時代)
 平家琵琶(鎌倉時代)
 盲僧琵琶(江戸時代)
 近代琵琶(明治時代)

薦:薩摩琵琶や筑前琵琶はこの近代琵琶に属している。それぞれに専門の楽器と譜がある。鎌倉の頃から、平家物語を語る為に受け継がれてきたのが平家琵琶。今井さんがその平家琵琶の正統後継者ということになる。

(スクリーンに琵琶法師の絵姿投影)
 初期の琵琶法師。簡素な服。琵琶を持っているが、他に笛なども奏でることが出来た。法師である条件として"琵琶・僧体・盲人"。
 江戸時代の琵琶法師。立派な衣を身につけ、琵琶の他に三味線・箏(こと)・胡弓が出来、歌も歌った。
 中世頃から「当道(とうどう)」という盲人の組織も作られ、階級制がしかれていた。上から「検校」「別当」「匂当」「座頭」。この階級を上がって行く為には莫大な費用がかかるので、琵琶の他に金融業などもやっていた。

萬:(スクリーンに投影された琵琶法師の階級表を見ながら)来年の6月に井上ひさし先生の『藪原検校』という芝居をやるが、この最下層の座頭から最高位の検校になる為に血みどろの手段をこうじる役どころなので、是非ご期待を(笑)。

(スクリーンに『那須与一』と『奈須与市語』)

薦:表記が違うが中身は同じ。表記の仕方は変化するものなので、まぁどちらでも良い(笑)。

萬:狂言は基本的に口伝えで習うモノで、元々台本にあたるモノは無い。やがてこれを書きつけて記録として残すようになってから古典化した。

薦:琵琶の方も台本はあるが、あまり厳格に気にしない。聴いているお客さんとのやり取りの中で少しずつ変えて行く場合もある。もし間違ったら間違ったで、最後につじつまを合わせれば良いようなところがある。

(ここで薦田先生が平家『那須与一』のあらすじを説明、その間、舞台上では緋の台の上に琵琶が置かれ、背後には屏風が。その後にいよいよ今井検校勉さんが手を引かれて舞台に登場。先ほどスクリーンに投影された江戸時代の検校の絵とほぼ同じいでたち。芸術監督よりプロフィール紹介され、『那須与一』上演。)

【今までに聴いた琵琶語り(大体が薩摩琵琶)とは随分違う印象。母音を長く長く伸ばして揺らがせて、小節の中では大きな変化は無いのだけれど、曲全体を通してゆったりとクライマックスに向かっていく。実は近くの席でイビキをかいていた方がいらっしゃって、イビキはマズイにしても気持ち良くなってしまうのは分かる気がしたw検校さんの声は意外に地声っぽく素朴に聞こえたのだけれど、非常に「まろい」。聴く耳に優しい、包み込むような感触。『耳なし芳一』で芳一の琵琶と語りが平家の亡霊を引き寄せてしまうのはこういうことだったのか、と変に納得してしまいました。琵琶も「掻き鳴らす」というよりはポイントポイントで「つま弾く」ような。確かに薩摩琵琶と比べると随分原初的な感じがしました。】

(休憩を挟んで芸術監督ドノの『奈須与市語』。黒紋付から裃・長袴にチェンジ)

【まさか「二日連続・野村父子の『奈須』比べ」が観られる(聴ける)とは!2階席までビシバシ気合いが飛んで来るのはやはり倅さんの奈須だなぁと。特に今回は、登場人物の演じ分けを意図的に見せていたように思えました。検校さんの『那須』はあまりハッキリとした演じ分けが無く、物語全体をラストに向かってゆっくりと揺り上げて行く見せ方なので、もしかしたら芸術監督ドノが対照的に見えるように演じ分けのメリハリを強めにしたのかも知れません。その所為か、久々に硬質な感じの奈須を拝めたなぁと。】

(芸術監督ドノが着替えて、お三方によるトーク)

萬:今まで聴いた平家と違う。音楽なんだなぁと思った。

薦:そう言って頂けると(笑)。

萬:意外にさらりと喋っている感じがした。情景描写に何か法則が?

今:(かなり間を置いて)…難しいですねぇ(苦笑)…。

薦:声を聴かせるところと、サラっと済ますところはハッキリしているが、人物の語り分けはあまりハッキリさせないところがある。

薦:五線譜では表せない節がある。音程では無く、節を歌っているという意識。

今:20代・30代の頃は、とにかく師匠から教わったモノを間違えないようにするので必死だった。登場人物の気持ちになって歌うようになったのは最近。師匠が亡くなった後も、歌っている自分の後ろにずっとついているような気分だった(笑)。『那須与一』は自分が与一と同じ二十歳の時に初演だった(芸術監督思わず「私もそうです!」)。与一と同じ二十歳だったから、その時は何となく与一の気持ちが分かったようだった。

萬:上げて下げて・伸ばして止めて、という琵琶の不規則な弾き方が不思議。

今:実は動きはほとんどない。良く琵琶の音というと「ぴよ~~ん」というのを思い浮かべる方も多いと思うが、あれは近代の琵琶の音で、自分がやっている音では無い。

薦:三味線は演奏中に調弦を頻繁に行うが?

今:曲の途中で調を変えている。その場の環境で糸の張りが変化するのもあるが。

萬:声に関しては、最初緩やかに始まって、段々音が太くなっていく感じ。声帯だけでなく身体全体が鳴っているような。

今:(我が意を得たり、という風に)その通りです!「三重(さんじゅう)」という高い音は喉だけではダメ。身体ごと響かせるような…。

萬:声が上がって行く過程が素晴らしい。ある種の精神性を感じるが?

今:(再び間を大きく開けて)…さて、どう答えたら良いものか…そのような質問は初めてで(笑)…。

萬:狂言では曲によって"インチキ平家(笑)"を謡うが、それには「うねる」ニュアンスがあるのだけれど…。

今:浪花節のようなうねりは無い。そういううねりはダメだと言われる。今日は声の調子が良かった(笑)。ダメな時は1音落として合わせてみたりする。

萬:自分が(『奈須与市語』を)初めてやった時は、声が自然にどんどん上がって行った。今日の今井さんのを聴いて、同じようなものを感じた。

今:裏声でならいくらでも高い声が出るのだけれど、それでは「平家」というものの価値が無くなると思う。だから調子が悪い時は無理に出そうとせず、1音なり半音なり下げてしっかりとした声が出るように合わせている。

萬:狂言の『奈須与市語』には、見事に扇を射落とした与市に源氏の武将達が「乳吸はい、乳吸はい」とからかうという、狂言らしい場面があるのだが、琵琶の方にもそのようなコミカルなものは?

薦:そういったものもある。

(スクリーンに平家の伝承8曲名を投影)
 『鱸(すずき)』『竹生島詣(ちくぶしまもうで)』『那須与一』『生食(いけずき)』『宇治川』『卒塔婆流(そとばながし)』『横笛』『紅葉(こうよう)』 今現在継承されているのはこの8曲のみ。

萬:『祇園精舎』の復曲があったそうだが?

今:自分が20代の頃にはもう廃れていたが、津軽の方の眼の見える方の伝承で残っていたことが分かった。2000年にそれを名古屋風に直した。

(ここで今井氏による『祇園精舎』実演。琵琶無しで)

今:平家はもともと200曲あって、この『祇園精舎』は先に199曲を習得してから最後に手掛ける200曲目、秘曲中の秘曲であり、なかなか最後まで習い切れず、廃れてしまいがちであった。

薦:京都の方には200曲マスターした人がいた。

萬:(『祇園精舎』で)高い音と低い音の落差が凄かったが?

薦:その落差で鐘の音の響きを表現したのでは。先ほど萬斎さんが狂言に出て来る"インチキ平家"について仰ってたので、それをリクエスト(笑)。

(芸術監督ドノ、"インチキ平家"実演w 狂言『清水座頭』等に出て来る平家節)

今:全然インチキには聞こえない(笑)。TVとかで流れている『祇園精舎』こそインチキ(笑)。(ココでそのTV番インチキ祇園精舎を実演。いかにもな旋律。まさか大河で使われてるものとか?)

萬:狂言の目線は名のある武将では無く雑兵達に向けられている。さっきのは戦の混乱の中で互いに顎と踵を斬り落とされた雑兵達が、慌てて顎と踵をあべこべにくっつけてしまった話。やがて踵に髭が生え、顎にあかぎれが出来てしまった(笑)。

薦:さすがに平家にはそういうのはないですね(笑)。

【質疑応答】

Q. 平家琵琶が衰退していると聞いて心配になったが、後継者はどうなっているのか?

今:正直言ってしまうと、いない。箏(こと)を小さい頃から習って、声変わりの時期から平家をやるのがセオリーだが、今は習う人も成長してしまってからちょこっと習ってそこで終わりになってしまうのがほとんど。

萬:芸を聴いてくれる環境も無いといけない。狂言も同じ。自分の問題としても痛感する。

今:何年もかけて習うものだから続けるのが難しい。

萬:稽古は口伝えで?

今:まず文章を覚えるので1ヶ月、だいたいのところまで行けたら次に節をつける。琵琶を持ってやれるまでに最低でも3~4ヶ月。まず文章を覚えるのが先。

薦:15曲ぐらい覚えないと琵琶を弾かせてもらえない。

今:子供の時は意味も分からず必死にやっているだけ。

萬:五線譜にならないモノを教えるのにまず文章からなのか。

今:伝承の8曲は五線譜になっているけれど、師匠からは「歌うのではない、語るんだ」と言われる。口先だけで歌うな、と何百回も言われた。五線譜にあらわれないところの難しさ、微妙さがある。

萬:形を修練するところに芸の境地がある。

薦:五線譜にあらわれないところはお師匠さんを「聞く」しかない。

今:覚えないと先に行かせてもらえない。師匠に「これはダメだ」と思われてしまうと稽古を5分10分で終わらされてしまう。昭和40年代にカセットテープが普及してから、習いに行かなくても家で師匠の録音を聴いて練習出来るようになったが、それは自分のモノにならないのでダメだと言われた。テープに頼るな、と。しかしそう言う師匠も実はテープを使っていた(笑)。「師匠は使っても良い」ということなのか(笑)。

以下、愚痴になりますのでご了承下さい。

その後3つほど質問が出ましたが、2つ目の質問に問題があってすっかり気分を害しました。もうあちこちで書かれているので詳しくは述べませんが…質問者の仰る通り「知識人」も「金融業」も、それがそのままその時代に使われていたわけがない。そのくらいあの場に来ていたお客さんならわざわざ言われなくても周知の事でしょう。その上で当時の様々なジャンルの人間をカテゴライズするのに、あくまで分かりやすいように現代の言葉に置き換えているぐらい「暗黙の了解」以前の当たり前の事であって、そういう"手法"がこういう場面で使われることに何の疑問も無いわけです。しかし質問者が「(そういう使い方をしている)貴方達の気持ちもわかるが」と前置いて「自分は元教育者としてそのような使い方は認めたくないのでこちらの気持ちを汲み取れ」と食い下がったのには唖然。"暗黙の了解以前の事"を押しのけてまでも"自分のプライド"を大事にしろと主張する必要性がさっぱり分からない。もうココまで来ると史実に関する論議でも何でもない。質問者よりは年が若い出演者達への上から目線の言葉遣いも不愉快でした。客席から「貴方の話を聴きに来たんじゃない!」と声が飛びそれに拍手が起こりましたが当然かと。

しかしそこはさすがの出演者の皆さん、事を荒立てぬよう大人の対応で(もちろん言いたいことはきちんと話されてます)、一気にカッカしてしまった自分が恥ずかしくなるぐらいでしたね。特に検校さんは「まるで国会答弁みたいになっちゃいましたね」とユーモアでかわされてました。会場全体の空気が一気に不穏になったのを即座に察知されたのでしょう。困難をたくさん乗り越えて来た方はそうおいそれと動じない。それは同じような対応をされた芸術監督ドノも薦田先生も同じだなぁと。でも本音を言えば何故薦田先生があんなことで"謝罪"しなければならないのか、という気持ちは払拭出来ませんでしたがね(←それが自分のガキなとこなんでしょうなw)

何年か前の解体でもこの手のお方がいらっしゃって、その回のテーマとは全く関係の無い、ご自身の演劇に対する価値観を出演者に押し付けて答えを迫ったのに遭遇したことがあります。まるで家を出る前から「今日はこういう論議をふっかけてやろう」と計画していたかのようでした。企画の性質が性質なだけに"理屈っぽい"方が集い易くなっているとは思いますが、質疑応答コーナーの意義をもう一度考え直して頂きたいと思うような"主張の押し付け"が散見されるのはうんざりです。企画に丸ごと賛成しろとは思いませんが、主義主張の戦いがやりたいなら居酒屋あたりでいかがですか、と言いたくなります。勇気が無くてなかなか手があげられないだけで、心の中に質問を溜めている人は沢山いるはずなのですから。限られた時間はそういう方達の為に使うべきかと思います。

残念ながら残りの2つの質問についてはほとんどメモが取れなかったので、ここでは割愛させていただきます。質問者の方々には申し訳ないのですが、あまりあやふやなことも書けませんし。最後の質疑応答で随分気持ちがささくれだってしまいましたが、今回の企画本編に関しては大変興味深く拝見することが出来ました。芸術監督ドノと検校さんのなんともかみ合わない会話wに何度もずっこけそうになりましたが(失礼っ!)時折ふっと波長が合ったのか、我が意を得たりとばかりに検校さんが饒舌になる場面があって、きっと根本的なところでは同じモノが流れているのかなぁと感じました。

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狂言劇場 その七 Bプロ。

2011年12月8日(木)14:00~ 於:世田谷パブリックシアター

【Bプログラム】

◆『柑子(こうじ)』
 太郎冠者:野村萬斎 主:石田幸雄
 後見:岡聡史

◆『奈須与市語(なすのよいちのかたり)』
 野村万作
 後見:中村修一

◆『悟浄出世(ごじょうしゅっせ)』
 作:中島敦
 構成:野村萬斎
 尺八:藤原道山
 作調・囃子:田中傳次郎

 《配役(登場順)》

 沙悟浄(さごじょう):野村萬斎
 妖怪(ばけもの)たち:深田博治・高野和憲・月崎晴夫
 老いたる魚怪:佐藤友彦
 聡明そうな怪物:月崎晴夫
 鮐魚(ふぐ)の精:高野和憲
 沙虹隠士(さこういんし)/蝦の精:佐藤友彦
 坐忘(ざぼう)先生:石田幸雄
 若者:野村又三郎
 醜い乞食:佐藤友彦
 虯髯鮎子(きゅうぜんねんし)/鯰の妖怪:石田幸雄
 弟子たち:月崎晴夫・深田博治・高野和憲
 蒲衣子(ほいし):野村又三郎
 斑衣鱖婆(はんいけつば):石田幸雄
 賢者たち:高野和憲・深田博治・月崎晴夫
 男:石田幸雄
 女偊氏(じょうし):佐藤友彦
 摩訶薩(まかさつ):野村又三郎
 木叉恵岸(もくしゃえがん):高野和憲

※『柑子』

語りがあるのにF1のようにあっという間に通り過ぎて行く超小佳曲w食い意地が張ってる上に人を喰ったようなおとぼけで相手を煙に巻く太郎冠者は、今回も萬斎節に乗ってキャラが立っておりました。季節がらもあって、ミカンの良い匂いが漂って来るような舞台。「皮を剥いて中の白い筋も取って…」のくだりはまるで料理番組で食材の映像を見せられているかのような錯覚が起こりますねw最後に残った一個が流罪の俊寛に例えられる飛びっぷりのナンセンスさが面白い。本当にあっという間に終わってしまうのでw観る度に思うのですが「何か後日譚とか無いのかなぁ」とwww

※『奈須与市語』

Bプロは2日間のみ。つまり今回の企画での万作師の『奈須与市語』はたった2回しか観られないということ。ハードな語りですから当然の日程なんでしょうが、ホント希少価値一杯の舞台だと思うと非常に緊張感が増して来ます。

最近の万作師の舞台に関して、どうしてもお声の辛さについて述べてしまいがちなのは本当に申し訳ないとは思っているのですが、それはそれ、事実ではあるので正直、このたった2日間でもお声の事を懸念しておりました。語りの素晴らしさは今更言うに及ばずですが、辛そうなのは致し方ない。今回も途中から息が大きくなってきて、それがまだ中盤辺りだったものですから、ドキドキしつつ見守るような気持ちで拝見しておりました。

ところが、与市が扇に見事矢を当て周囲が拍手喝采となるクライマックスで、急に何か重たいモノが外れたようにぱぁッ!とスパークする万作師が現れて度肝を抜かれました。大袈裟でも何でもなく、「二十歳ばかりなる」与市の若々しい歓喜がそこにあらわれていました。確かに、倅さんのようなスパークなのですがもっと明るい!もっと生き生きとしている!まるでランナーズ・ハイのような、と例えるのは当たっているのかどうか。ありきたりな表現で情けないのですが、本当にキラキラと輝いて見えました。

なんかもうただただ、凄いなぁとしか言いようが無くて…しばらくぼーっとなってしまいましたね。声や息を心配していたことさえすっかり忘れてました。万作師らしい絶妙のペース・コントロールだったのでしょうが、それ以上に何か「乗り移った」ようであったとも思うのです。大変良いモノを拝見しました。本当に。

※『悟浄出世』

狂言劇場の、というよりはやはり『山月記』『名人伝』に続く"中島敦シリーズ"の一環として観てしまうかな。今回のチラシの写真(黒頭に敦眼鏡、グリーンを基調にした唐風の装束)にそこはかとなく岸部シローテイストを感じつつw 座席は狙って取りました!"俺様ビュー"と勝手に命名している2階最前列ど真ん中。これがドンピシャリ大成功。斜め30~40度上から舞台全体が床も含めて、まるで劇場中継番組の画面のようにまんべんなく拝めます。床には丸い岩場のようなオブジェと照明に寄るマダラ模様の投影、背景中央に天井から床まで茶のシースルーっぽい布地の細長いカーテン、舞台後方の両角に朽ち木のような柱二本、橋掛かりは左右の袖に伸びています。

舞台がが始まると、床の真ん中の岩のようなオブジェの表面がするするとその中心部に吸い込まれて行き(黒っぽい布がかけられていたわけですね)、"敦モノ"ではおなじみのあの三日月形のスロープをかなり小振りにした台座が出現。その三日月の中央にぽっかりと穴があいていて、そこから眼鏡をかけたカッパwww萬斎師が演じる沙悟浄が上半身を覗かせて物語(リーディング)が始まります。衣裳はチラシのものとほぼ同じ。黒頭の登頂には錦織の布の"お皿"が乗っていてなかなか可愛いw黒頭を被っているのですが前髪だけ横分けの自毛が見えているのが、カッパのいでたちの中にも中島敦のイメージ(例の横分け髪の写真ですね)を持たせようとしたあらわれでしょうか。前日をご覧になった方のお話では前髪は見えなかったとのこと、一日で変えてきたのかも。

「自分とは何者なのか?」という疑問の答えを探るべく、妖怪たちや賢者たちの元に教えを請いに旅に出る悟浄。演出では基本的に悟浄は中央の穴の中あるいはその周囲の三日月オブジェに乗ったり腰かけたりして朗読をし、彼が行く先々で出逢う者達が舞台袖や背後のカーテンから現れ悟浄の方に寄って来るという形。しかしこれが延々と繰り返されているのでかなり起伏に乏しい見え方なのが辛い。背景の細長いカーテンの奥に登場人物を透過させて見せるという、『国盗人』を思い起こさせる見せ方もあるにはありましたが…正直、飽きて来るところがちょこちょこと(ーー;) 普通のお芝居ではなくリーディング形式だから当然なのだけど、全員が本を手にしてやや下向き加減になり、自分が「読んで」いない間は素に戻って次の"出番"をぼーっと待っているように見えてしまうのには、そのあまりの緊張感の無さに「?」となってしまいました。

思うに、装束やらセットやらがそれなりに作り込んであるのがかえって、リーディングという形式とズレを起こしているのかな、と。悟浄だけでなく他の登場人物(怪物)も、汎用の衣裳("水系"のモンスターは頭に烏帽子ぐらいの高さのある布を巻き付け、額のあたりに魚の眼を模したような銀色の珠を二つ付けています)や個別の装束をふんだんに使って、充分普通のお芝居モードになってるんですね。ところどころ、舞扇を見立てに使って動いてみたりとか、狂言師らしい場面もあるのだけれど、やはり「本を持って読んでいる」状態が大半。それがリーディングであるのは承知の上で、「とりあえず本は落として顔をあげて動きましょうよ!」と何度思ったことか(^_^;) なまじっか動きがある所為か、終盤で悟浄が穴の中に台本を落としてしまうハプニングもありました。ホント、場面場面で「台本邪魔だなぁ!」と思ってしまうんですよね…。

ましてやこの『悟浄出世』では哲学的な台詞というか要は理屈理屈理屈(w)で押すように話が展開していくので、どんどん「読まれて」いくものを咀嚼しながら観て行くのがかなり困難であり(単に私の理解力の問題だと言われればそれまでw)、使われている言葉も仏教用語や漢文からの引用、普段の生活ではほとんど耳にしないような熟語など、これまた観る側のそれなりの素養を問われるようなものばかり。確かに狂言師(古典の世界)の方々の"語る力"は素晴らしいですが、それ以上に良い意味で雄弁になれる身体性も同時にお持ちなのだから、言葉の力と身体と双方をバランス良く駆使出来る演出…やはり『敦』的な見せ方の方がずっとすんなりと入って来るように思うのですが。

言葉は難解ですが、題材はとても面白いと思います。様々なもののけ達は、人ならぬモノを演じるに長けた古典の方達が最も力を発揮出来る役でしょうし。悟浄が答えを求めてあちこち彷徨う姿からはおとぎ話的テイストも感じられますよね。充分に「観て楽しい」ものになると思うのです。今回はリーディング形式が目的でしたが、また時間を置いて是非、『敦』のような舞台に練り直して頂きたいなぁと。もう『敦』シリーズ化する勢いでw 舞台中央に置かれたミニ三日月スロープは今回はあまり機能していない印象でしたけれども、『敦』というコンセプトの一つの象徴と捉えられますし、この日はラストで悟浄が"脱皮"して唐風装束からあのグレー"敦スーツ"に早替わりという場面もありましたので(これも前日は無かったとのこと)、それも象徴でしょう。リーディングはリーディングとして"真の完全体カッパ"を、時間がかかっても良いので是非是非拝見したいと切に願っております。

最後になってしまいましたが、客演の佐藤友彦師・野村又三郎師がとても良かったです。配役は確かに万作家メンバーに比べて少ないけど、このお二人が一番「読みこめて」いたように感じました。なのでこのお二人の場面ではますます「本が邪魔だよなぁ」と(^_^;)

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